イスラーム映画祭10 『母たちの村』 (西アフリカ 女子割礼を巡る物語)

hahatachi.jpg

『母たちの村』 原題:Moolaade
監督:ウスマン・センベーヌ / Ousmane Sembene
2003年/セネガル=ブルキナファソ=モロッコ=チュニジア=カメルーン=フランス/125分/バンバラ語、フランス語  字幕:日本語
予告編: https://youtu.be/aXjE0nIJsbQ?si=mkc_1oM0WOnKlqYe

2006年に今はなき岩波ホールで公開された、「アフリカ映画の父」と呼ばれるセネガルの名匠ウスマン・センベーヌ監督の遺作。19年ぶりにリバイバル上映。
ある日シレ家の第二夫人コレのもとに、4人の少女が割礼から逃げてきます。
割礼が原因で二度も死産し、ようやく生まれた娘には割礼させなかったコレは、少女たちを“モーラーデ(保護)”しますが…。
今もアフリカを中心に世界各地に残る”女性性器切除(FGM/C)”廃絶を願いつつ、二つの伝統的慣習を対比させた見事な作品です。
(藤本さんからの案内文)

◆ストーリー 
西アフリカの小さな村。 シレ家の第二夫人コレは、第一夫人ハジャトゥ、第三夫人アリマや子どもたちと暮らしている。
ある日、太鼓の音で少女たち6人が割礼を前にいなくなったと知らされる。 そのうちの4人がコレの元にやってくる。 コレが自分の娘の割礼を拒否していたのを知って、「保護」を求めて来たのだ。 コレは家の入り口に縄をかけ「モーラーデ(弱いものを保護すること)」を宣言する。 始めたものが終わるというまで、この聖域には立ち入ることができない。 少女たちはこの中にいる限り安全なのだ。 しかし割礼師や少女たちの母親が談判にやってくる。 割礼は古くからの風習で、受けないものは不浄で結婚できないとされている。 コレは割礼のおかげで難産し、2度も子供を死なせていた。 3度目は帝王切開でやっと産むことができ、この娘の割礼を拒否し続けているのだ。

女たちが頭上に水がめを載せて、モスクの前を歩いていく。 木のくいがいっぱい飛び出たモスクは、世界遺産に指定されているマリ共和国トンブクトゥのモスクと同じタイプの、西アフリカでよく見られる日干し煉瓦で造られたスーダン様式。 のどかな風景だが、水汲みという重労働が女たちに課せられていて、一夫多妻は労働力確保のためかと思いたくなる。 本来、イスラームが一人の男に4人まで妻を娶ることを認めたのは、イスラーム初期の聖戦で男たちが数多く戦死したための方策であったはずだ。 イスラームが各地に伝播するうちに解釈が違っていたり、本来の宗教の教義と、その土地の因習が交じり合い、あたかもそれがイスラームの定めであるかのように扱われていたりしていることは実に多い。
本作では女子割礼が神の定めたこととして、村の長老たちは絶対的権力をもって執り行っている。 しかしある日、女たちはラジオを聴いていて、「メッカに巡礼している女たちは割礼していない」という指導者の言葉を耳にする。 ラジオを取り上げ焼き払う長老たち。 けれども、指導者の言葉というお墨付きを得た女たちは、女子割礼廃止に向けて立ち上がる。 エンディングに高らかに唄われる歌の歌詞「割礼のことは書かれていない」とは、もちろん、「コーランに書かれていない」という意味。 女子割礼に苦しむ女たちに、安心して反対運動を起こしなさいとエールをおくっているようである。

本作には、女たちだけでなく、悪しき因習から立ち上がろうとする男たちも描かれている。 パリ帰りの村長の息子、長兄の命令で妻に鞭を振るいつつも妻に理解を示す夫…。 男も女も共に意識を変えていかなければ社会は変らないことを訴えているのであろう。
もう一人、際立った登場人物が「兵士」と呼ばれている商人の男。 普段、村人相手に暴利をむさぼる商売をしているが、割礼廃止に立ち上がった村の女たちの味方をする。 そのために長老たちによって葬りさられるのだが、この男、国連平和軍に従軍していた折りに、高官が給料をピンはねしていることを口外したために刑務所送りとなった経験があるという人物だ。 監督はアフリカの伝統社会に一石を投げているだけでなく、国際社会に向けても、ぴりりと批判の言葉を発していて、喝采をおくりたい。(咲)

☆2006年公開当時のシネジャ作品紹介より抜粋 


★トーク
2/20(木)18:55上映後
【テーマ】 《女性性器切除(FGM / C)は誰のため? ― 「宗教」と「開発」二つのナラティブをめぐって》
【ゲスト】 嶺崎寛子さん 成蹊大学文学部 教授 
PXL_20250220_120955954.jpg
専門は、エジプト。2000年から約5年、エジプトで文化人類的な調査を行った。
西アフリカは専門外で、先月初めて西アフリカのガーナに調査に行った。
エジプトは、FGM/C率の非常に高い地域。
FGM/C 割礼は、地域によって違う。儀礼も中身も意味も違う。
FGM/Cは、欧米によって、排除しないといけない遅れた有害な文化的慣行として扱われてきた。
イスラームに基づいた習慣と信じている人もいるが、エジプトのキリスト教徒もしている。
PXL_20250220_121240022.jpg
「女子割礼」と、現地では普通にいう。廃絶運動をしている人たちによって、1990年代に、FGM/Cという言い方になった。“cutting”という言葉は、言い過ぎだと思う。

ヴェールが強制されるのは、おかしい。自分の意志で被るのは、抑圧ではない。
女子割礼に関しても同じ。

『母たちの村』は、多層的、寓話的。
女子割礼をめぐる立場は多様。性別、経験、教育程度、権力関係などが影響している。
映画の中では、「あの儀式」といっている。
フランス帰りのエリートである村長の息子が保守的。
PXL_20250220_122059575.jpg
一方で、欧米的価値観では批判の対象である一夫多妻が、この映画では女性同士の連帯として肯定的に描かれている点が興味深い。

女子割礼、元々はアフリカの文化、

映画の中の割礼を施す女性たち。どこかからやってきて、割礼でお金を得ている。
別の仕事を作らないと排除できない。
宗教に基づくものなら、やめるのは簡単。
スーダンでは、FGM/C廃絶会議。男性たち、「俺たちの大事な文化」

ヴェールにしても割礼にしても、当事者の気持ちを考えて語るべき。

*******
トークの中で、WHOが定めるFGM/Cの4分類についても、具体的に図解付きで解説してくださいました。
実に明快かつ詳細な解説でした。

報告:景山咲子




イスラーム映画祭10 『シリンの結婚』(ドイツのトルコ系移民)

shirin.jpg

『シリンの結婚』 原題:Shirins Hochzeit 英題:Shirin’s Wedding
監督:ヘルマ・ザンダース=ブラームス / Helma Sanders-Brahms
1976年/西ドイツ/121分/ドイツ語、トルコ語  字幕:日本語、英語
日本初公開

今までに上映してきたドイツ移民映画の極めつきとして、西ドイツ時代につくられ物議を醸した問題作をご紹介します。
トルコの村に住むシリンは政略結婚から逃れようと、幼い頃に結婚の約束がなされたマフムードを追いドイツのケルンへと渡ります…。
生涯にわたり女性の問題を撮り続けた監督が、ドイツで初めてトルコ移民をテーマに製作。最初にTV放送された本作はドイツとトルコ双方の民族主義者を怒らせ、主演の俳優は脅迫さえ受けました。
(藤本さんからの案内文)

上映前に、藤本さんから、本作のナレーションが、ブラームス監督と架空の人物である主人公シリンとの“対話”の形をとっているとの説明がありました。どちらも一人称で語られているという次第です。

◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)
私は死んだ
シリンは死んだ
ファルハドは掘ってシリンを探し続けた

アナトリア それが私たちの国
土地は、アガ(領主)のもの 
母が死んだあと、父は領主に石を投げて逮捕された。
1971年真夏 許嫁のマフムードがドイツから戻らず、管理人の求婚を受け入れた
そんな折、マフムードがドイツから帰ってきた!
でも、自分の前を通り過ぎた。
マフムードは村中に贈り物を。
シリンには、最後に残った洗面器を。
村にもうすぐ電気が来るからと、冷蔵庫や洗濯機なども・・・
マフムードはシリンのことを忘れていた。そして、ケルンに戻っていった。

管理人の車に乗って嫁に行く。マフムードからもらった洗面器を大事に抱えて。
途中のガソリンスタンドでガソリンを入れている間に、ガソリンスタンドの父の友人に「逃げるからお願い」といって立ち去る。 
シリンはマフムードを探す。鋼の山を掘る。

管理人は、叔父に返金を求めた。

シリン、バスを止める。でもバス代がない。居合わせたファトマが払ってくれる。知り合いでもないのに。 
イスタンブルへ。 
ファトマの娘のところに一緒に行く。
娘婿はドイツで事故死したのに補償もない。
ドイツ語を学ぶ。 
移民局で検査を受ける。
ドイツへ。ここは領主の地より冷たい。
スーツケースを開けるように言われる。 中には美しいシーツや布類。

ケルンに着く。
バスタブや水道の使い方を教わる。
工場でギリシャ人の女性と知り合う。 ギリシャは敵と学んでいたが、違った。
管理人の妻なら、大きな家に住み、何も怖れることはなかった。
マフムードに会えるのか?

ギリシャ女性:ドイツは孤独。トルコの心を知った。

同僚のアイシェから、ズボンは脱いで。 スカーフはしないでと。
シリン:村ではスカーフをしないと罪になる。男に髪の毛を見せたら地獄に落ちる。
マフムードを駅で見かけたが、それから2年・・・


1974年 大量解雇。 会社の寮も出ることになる。
子どものいるギリシャ人のマリアは解雇されず。

シリン、職探しに。 担当女性、リンゴをかじりながら紹介してくれる。
「リンゴいる? 庭で育ったの」

ギリシャでは政変。皆が喜ぶ。 トルコ人も一緒に喜ぶ。

シリンは、また解雇されて、その上にレイプされる。
マリアはギリシャに帰るという。「あなたもトルコに帰って」
もう処女じゃない。結婚できない。
列車でギリシャに帰るマリアと子どもたちを見送る。
洗面器を大事に抱えているシリン。
また職安へ。
「解雇になったら、次は難しい。今回はリンゴもない」とつれなくいわれる。

職を求めて入った食堂で知り合いの男に会う。 仕事も部屋もくれるという。
娼婦の仕事だった・・・

マフムードと思わぬ出会い。
マリアの夫が客で来る。半年、女のいない暮らし。
お金を払うといわれるが、ダメ、マリアは友達。

家に帰るといって去るシリン。撃たれてしまう・・・

******

親が決めた婚約者のことをマフムードは、すっかり忘れているのに、シリンはマフムードから貰った洗面器(そも、最後に残ったものだった)をいつまでも大事に抱えているのが可愛いです。というか、切ないです。可笑しくもあるのですが、それほどまでにシリンが純情ということでしょうか。 処女でなくなったということは、ムスリマのシリンにとっては、もう結婚できないという致命傷。娼婦になるしかなかったシリンの悲しく切ない物語でした。

ところで、冒頭、「シリンは死んだ。ファルハドは掘ってシリンを探し続けた」という場面があるのですが、劇中、ファルハドは出てきません。
実は、ここで思い浮かんだのが、「ホスローとシーリーン」というニザーミーによるペルシア語の叙事詩。その中に、ササン朝のホスロー王子が恋するシーリーンに横恋慕した石工のファルハードの物語があるのです。ホスローが嫉妬からファルハードに、崖の岩に階段を彫らせた、運河を掘らせたという話。
映画の中にファルハドは出てこなかったので、成就しなかった恋愛の象徴として、冒頭に掲げたのかなと思いました。

ところで、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督には、2004年の東京国際女性映画祭で『魂の色』が上映された折にインタビューしたことがあります。
63p20.jpg
左から、景山咲子、石井香江、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督

シネマジャーナル63号(2004年12月発行)に記事を掲載しています。
『魂の色』パラノイア化する世界に抗して 〜ヘルマ・サンダース=ブラームス監督に聞く〜

『魂の色』は、セネガル人のミュージシャンと、ドイツ人女性の看護師の魂の交流を描いた心温まる物語。その合間に、ドイツ社会の今を物語るシビアーなエピソード(黒人やイスラーム系住民に対する偏見、経済の後退、若年失業者の増加)などがさり気なく散りばめられていました。
ヘルマ・ザンダース=ブラームス監督が、一貫して労働者階級や移民などに目を配って映画製作をされていたのを感じました。(咲)


★トーク
③2/21(金)19:00上映後
【テーマ】 《トルコ系移民とドイツ社会 ―映画がもたらしたスキャンダル》
【ゲスト】 渋谷哲也さん ドイツ映画研究者/日本大学文理学部 教授


トルコの愛国主義者から、監督と女優が狙われた。
ブラームス監督 女性の生き方を描いた映画が多いと思われているが、ドイツ社会に生きる労働者を描いたものをその前によく撮っている。
社会問題を広く扱っている。文学作品も。
PXL_20250221_121519813.jpg
ヘルマ・ザンダースの名で活動していたが、ヘルク・ザンダースという、やはり有名な監督がいて、まぎらわしいので、ヘルマ・ザンダース=ブラームスに。 5代前が作曲家のブラームス。

あるトルコ女性と共同でシナリオを書き、その女性が主演を務める予定が撮影直前に降板。急遽、アイテン・エルテンを起用。
ナレーションが、監督とシリンの対話になっている。

マフムード役は、トルコ出自のアラス・オーレンが演じている。

1961年、トルコと短期労働者を募集する二国間協定を結ぶ。
1961年にベルリンの壁が建設され、東ドイツからの労働者が西に入れなくなって、労働力が必要になったという事情がある。

1960年頃、西独の外国人 30万人位。
1973年 270万人くらいに増えた。

外国人排斥の動きがあって、新規の外国人受け入れを1973年停止。
1980年代になって、帰国促進事業。 ドイツに長期間滞在を望む者が多かった。
ドイツは期限付きで帰ると想定していたが、なかなか帰りたがらない。会社側も慣れた人を長く雇いたい。
すでに働いている人は家族を呼び寄せていいことになり定住が進む。(1973年~)

ドイツで生まれた移民2世。 
国籍は血統主義だったが、2000年に出生地主義になり、成人(23歳)までに国籍を決めることに変更された。

生活環境
宿舎は会社持ちでなく、公営施設。
仕事がないと滞在許可が得られない。悪循環で身を落とす人たちも。
なぜシリンは娼婦になったのか?
シリンは故郷に帰れば、稼ぎを当てにする地元の家族がいる。また、イスタンブルへの道中助けてくれたファトマにも援助している。
レイプされ処女を失う。トルコ女性にとっては、結婚できない事態。
名誉のために死ぬか、娼婦となるか。
トルコでは名誉殺人が多い。映画でも描かれることが多い。
家父長的なトルコ社会から逃れて、自由を求めたという面もある。
髪をブロンドに染めたのは、自由への憧れもある。

映画製作:トルコでの撮影許可は下りず、トルコの場面もドイツで撮影。ケルン近郊にオープンセット。

公開を巡って、トルコ政府はトルコ国内での上映を禁止。
トルコ国内と、ドイツのトルコ系移民コミュニティの保守派が過激な反応。
抗議や殺人予告。
撮影中もエルテンさんはトルコ人の反応を怖がっていた。
主演のアイテン・エルテンは家からも出られなかったが、その後、数本の映画に出演。
80年代にトルコに帰国。大学で演劇を学んだ人。
PXL_20250221_125045974.jpg
シリンを演じたアイテン・エルテンさんは、「あらゆる女性労働者が搾取される様を提示したいと思った」と語っている。

マフムード役のアラス・オーレンは作家で、トルコに対して批判的発言も。

★出稼ぎ労働者を扱ったニュージャーマン映画
『不安は魂を食いつくす』1974年 モロッコ移民
『パレルモまたはヴォルフスブルク』1980年 イタリア移民

報告:景山咲子

イスラーム映画祭10 『さよなら、ジュリア』(スーダン)

juria.jpg

サブサハラアフリカ・サヘル地域特集-(1)
『さよなら、ジュリア』 原題:Wadaean Julia 英題:Goodbye Julia
監督:ムハンマド・コルドファーニー / Mohamed Kordofani
2023年/スーダン=エジプト=ドイツ=フランス=サウジアラビア=スウェーデン/120分/アラビア語  字幕:日本語、英語
予告編: https://youtu.be/Xh8sauNG4AE?si=CUhQWq2yHc1mdRHO
日本初公開

4年ぶりのスーダン映画。
現在の内戦が始まる前に製作されました。  (今の内戦の始まる3ヶ月前に撮影終了)
夫の命令で歌手をやめたモナはある日、自分の過失から取り返しのつかない悲劇を招きます。
罪悪感に苛まれる彼女は、被害者の妻ジュリアと息子の面倒を見ることに…。
南スーダン独立前を背景に、北部のムスリム女性と南部のキリスト教徒女性の日々を描き、混迷のスーダン史を重ねた観応え満点のドラマです。
(藤本さんからの案内文)


◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)

2005年、ハルツーム。
台所で玉ねぎを切りながら、ライブ日時を電話で聞くモナ。

朝食中に暴動の音。
「奴隷め」と夫アクラム。
車を焼き、石を投げる人々

十字架のペンダントをした女性ジュリア。家主から家を出てくれといわれる。

モナがレストランに行くと、暴動でライブは中止になったといわれる。

モナの夫が、モナの誤解のせいでジュリアの夫を撃ってしまう。
ジュリア、夫が行方不明と、警察へ。暴動が起こっているため、ちゃんと対応してくれない。

市場でオクラの粉を売っているジュリア。
モナが10袋買う。さらに、ジュリアをメイドとして雇う。
「南部の人は野蛮。ジュリアの住み込みは嫌だ」と夫。

ジュリアから1年生になったダニエルを公立学校に通わせたいといわれ、「遠いので近い私立に、お金は出すから」と提案するモナ。

♪サイード・ファリーファの歌。
モナは歌手をしていたが、夫にやめさせられた。
「いい人だけど愛は冷めた」とジュリアにつぶやく。
そんなモナにジュリアは、「大事にして。夫がいなくなって大切さがわかる」と告げる。

夫から、「ダニエルに私立は場違い」と言われ、「お金は遺産で払った」というモナ。
「奴隷は差別していい。君だって彼女の食器に印をつけて差別しているのを認めろよ」と夫。

2010年12月 ハルツーム
スーダンの南北分離独立か統一かを問う選挙
ジュリアは南北統一を支持。
ルーツは南だが、ハルツームで生まれ育ってアラビア語で話すジュリア。
だが、選挙結果、南スーダン独立。

ジュリアとライブを聴きにいく
ヒジャーブ姿でギターで弾き語りを始めるが、モナだとばれてやめる。

ジュリアがモナを教会に案内する。
教会で歌を聴く。ちょうどクリスマス。
今までモナが知らなかった世界・・・・

*****

自分のせいでジュリアの夫を死なせてしまったという自責の念で、その事実を隠して、モナはジュリアに近づき、住み込みの家政婦にします。息子に私学に行かせるだけでなく、勉強したかったというジュリアにも学校に通わせます。裕福だから出来ることですが、夫は南出身の人々を「奴隷」と蔑んで、ジュリアのこともよく思っていません。
とはいえ、モナもジュリアの使う食器に赤い印をつけていることを夫から指摘されて、何もいえません。
南北分離独立前は、アフリカで一番大きかった国スーダン。なぜ分離独立することになったのかの事情をよくわかっていませんでした。
「奴隷」と言われるほどまでに、南の人たちが北の人たちから蔑まされていることを知って、そりゃ~南の人たちは独立したかっただろうと納得しました。
ルーツが南でも、北で生まれ育ったジュリアが南北統一を支持していたのもわかります。内戦は終わっても、また次の戦争が起こるとジュリアがつぶやいた通りになりました。悲しい現実・・・  それでも、本作を観終わって、宗教や人種の違う二人の女性が心を通わせたことに、一縷の望みを感じました。その動機がモナの自責の念からだったとしても。(咲)


★トーク
2/22(土)11:50上映後
【テーマ】 《なぜ「さよなら、南スーダン」になったのか? ―歴史に翻弄されたスーダン人の今と未来》
【ゲスト】 丸山大介さん 防衛大学校 准教授

PXL_20250223_051342237.jpg
丸山:ハルツームを中心にスーフィズムの調査を行ってきました。
北と南のことを映画を通じて知ったこともあります。

藤本:2005年が1時間、2010年が1時間。後半のほうが明るい開放的な雰囲気。

丸山:2005年は内戦が終わったばかりで、また戦争が起こるかもという状況だったのではないかと思います。 2008年にスーダンを訪れた時は、内戦が終わってしばらく経ち、人々も優しく受け入れてくれました。

藤本:歌がとてもいい。ラストはこの映画のためのオリジナル曲。
スーダンのゴスペル。サイード・ファリーマの曲です。
ジュリアはルーツは南だけれど、ハルツームで生まれ育ち、アラビア語を話す。
統一を支持していて、南の人からは北の人と見られる。
モナとジュリアを北とみなみの対立とはいえない。

丸山:ハルツームは、二つのナイルが合流する地 様々な多様性。民族は、アラブ研究者が行くとアフリカ的と思い、アフリカ研究者が行くとアラブ的と感じます。
北:アラブ系、南:アフリカ系とも言い切れないところがあります。
多様な民族集団です。
南は元々アラビア語を話さなかったが、北からの軋轢などで使うようになりました。

******

PXL_20250222_054019517.MP.jpg
丸山大介さんからは、このほか、スーダン前史から現代史、多様性に富んだスーダン(北部と南部の違いを中心に)、2010年の国政選挙の模様(写真たっぷり)など、資料を用いて、充実の解説をお聞きすることができました。

報告:景山咲子



イスラーム映画祭10 『ハリーマの道』(ボスニア・ヘルツェゴビナ他)

bosnia.jpg

『ハリーマの道』 原題:Halimin put 英題:Halima's Path
監督:アルセン・アントン・オストイッチ / Arsen Anton Ostojić
2012年/ボスニア・ヘルツェゴビナ=クロアチア=スロベニア=ドイツ=セルビア/97分/ボスニア語、クロアチア語
予告編: https://youtu.be/VxhxteoJnC4?si=O_1csv1ks436gJQ1
日本初公開

2025年は90年代のボスニア紛争終結、そしてその末期に起きた欧州戦後最悪の虐殺“スレブレニツァ事件”から30年です。
ボスニア紛争は、国内に住むセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ボスニア・ムスリム)の間で3年半にわたり交わされました。
本作は紛争中、セルビア組織に処刑された夫と息子の遺体を捜すムスリム女性の物語です。
理不尽に愛する者を奪われ、傷ついた人々の癒えない悲しみに胸を塞がれます。(藤本さんからの案内文)

上映の前に「今回、一番気に入っている作品」と藤本さん。
期待が高まりました。

◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)
1977年、ボスニア西部の村。
ある晩、雷雨の中、ハリーマの家に、兄アヴドの娘サフィヤが駆け込んでくる。
「お父さんに殺される」
生理が遅れている。相手はクリスチャンだという。

一方、豚の世話をしている青年スラヴォミル。(サフィヤの恋人)
「恋人がイスラーム教徒らしい、とんでもない」と母親。
父親は、「息子が選んだのなら間違いない」
「結婚する!」というスラヴォミルに、村中が反対する。
父がミュンヘンに仕事を見つけ、スラヴォミルは出稼ぎにいく。

2年後、ドイツから帰国したスラヴォミルがサフィヤを迎えにくる。
「赤ちゃんは死産だった」と伝えるサフィヤ。
「両家から遠いラストツィに土地があるから、そこで暮らそう」と、半ば駆け落ちのような形で結婚する二人。

23年後。ボスニア紛争終戦から5年。
遺骨が並べられている体育館のような場所で、ハリーマは、夫サルコと息子ミルザの遺骨を探す。
夫の遺骨が、夫の弟ムスタファの血液とDNAが一致して確定される。
手首に巻かれた紐で息子ミルザに違いない遺骨を見つけるが、確定するために、ハリーマの採血が必要だと言われる。

ハリーマは、息子ミルザが夫と共にセルビア軍に連れ去られた夜を思い出す。吠えた犬は撃ち殺された。

夫の弟ムスタファの息子アロンと、ミルザは年も近くて仲がよかったので、アロンが畑を耕しているのをみながら息子ミルザを思い出してしまう。

ラストツィにいるサフィヤに会いに行くというハリーマを、バスがないから車で送っていくというアロン。だが、アロンは無免許。それでも行こうとしているのをムスタファが見つけ、運転を買って出る。

「ここでは少しの距離がすごく遠い」とハリーマ。
「スルプスカ共和国」と壁に書かれている。
(ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する共和国で、セルビア人主体の国。ボシュニャク人の暮らす地区と行き来する公共交通機関がない)

サフィヤは「ソフィア」の名で暮らしている。
ハリーマは、ミルザの埋葬証明のためサフィヤに採血を頼む。

サフィヤが娘たちとパイを作っていると、夫スラヴォミルが帰ってくる。
冷たく対応するサフィヤ。

夫を振り切って、ハリーマのところに出かけるサフィヤ。ミルザの写真を見る。
サフィヤはハリーマを名乗って採血し、ミルザの遺骨が確定される。

酒場で一人で酒を飲むスラヴォミル。
戦争に行った後遺症を抱えているのだ。
銃を口に加え発砲するスラヴォミル・・・

ミルザの埋葬。 墓碑には、「1977~1992」
ハリーマは、手編みのセーターをそっと棺の上に置く。
サフィヤと3人の娘たちも来て、遠くから眺めている・・・

*****

最後の方で流れる ♪「母よ どうして僕を産んだの?」♪という歌の歌詞が、しんみりと胸に響きました。
民族や宗教が違っても、共生していた時代もある地。戦争が起きて、お互いが理解も、交流もしないで、心に傷を抱えて暮らしていることをずっしり感じました。
なかなか子どもが出来なくて、「産めない女に価値があるのか」とまで夫の弟に言われるハリーマ。どんな形であれ、息子を持てたこと、そして、その息子を戦争で失ったことの悲しみ・・・ 切ない物語でした。(咲)


★トーク 2/23(日)12:25上映後
【テーマ】 《ボスニア紛争終結から30年 ―今なお模索が続く民族融和への道》
【ゲスト】 鈴木健太さん 神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部 准教授


藤本:救いがない
鈴木:救いがないところを、どう見るか
藤本:でも、ペシミスティック(悲観的)でない。
最後の雪のお墓、ひたすら編み物をする姿がいい。

PXL_20250223_051342237.jpg
サラエボの写真 4枚

鈴木:映画の舞台は基本、西部の農村。サラエボは、かつては3民族が共生していた。ムスリムが多かったが、戦後は町の中でも分かれて暮らしている。
サラエボはオスマン帝国時代、ムスリムの商人が町の中心にいました。
サラエボの中心にあるセビリには、モスクや水飲み場があります。

ラテン橋 第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件が起こった場所。
社会主義時代は、「プリンツィプ橋」と呼ばれていました。 事件を起こした暗殺犯の名前です。

藤本:2000年にサラエボを訪れました。戦争の傷跡はあるけれど、いい街だなと。

鈴木:ベオグラードによく行くけれど、サラエボは好きな街。チャンスがあればまた行きたい。
スナイパー通りと戦争中呼ばれていた大通り

サラエボ84 冬のオリンピック

ボスニアは、4宗教の地。正教、カトリック、イスラーム、ユダヤ。
ムスリムは、1990年代に「ボシュニャク人」と自称するようになりました。

ユーゴスラビアの解体
社会主義体制をどう変えていくかの段階で意見が分かれ、1990年代に入り分裂して独立する方向に。
混成地域で、何が起こったか?

PXL_20250223_053936785.jpg
『ハリーマの道』から読み解ける民族の分断
「分断」の昔と今
ユーゴ時代と今では同じではない。 

ユーゴスラヴィア紛争を描いた映画
『アンダーグランド』(1995年)  
 第二次世界大戦、戦後の社会主義樹、90年代の紛争の3つの時代を描く

『ブコバルに手紙は届かない』(1994年)  
クロアチア紛争の最前線ブコバル
セルビア人とクロアチア人のカップル

『ノ―マンズ・ランド』(2001年)
ボスニア紛争下のとある中間地帯。
ムスリム系の監督だが、関わった人は様々。
監督は従軍カメラマン

『ビューティフル・ピープル』(1999年)
ボスニアからロンドンに渡った移民と地元の人々
監督:ボスニア出身の英国人

『ビフォア・ザ・レイン』(1994年) 
マケドニア出身の監督
マケドニアの山岳地帯とロンドンを舞台にした3部構成の物語。
武器をとる人々、救おうとする人々

『サラエボの花』(2006年) 紛争後

『泣けない男たち』(2017年) イスラーム映画祭7で上映
兵士として前線に行った男たち
旧ユーゴ 出自関係なく演じることが多い中、それぞれ自分の出自を演じている

なお、ハリーマを演じたのはクロアチアの舞台中心に演じている女優

報告:景山咲子


第2回Cinema at Sea - 沖縄環太平洋国際映画祭受賞作

_20A4420_R補正2_R.JPG
「受賞者と審査員の皆さん」©Cinema at Sea 2025


2025年2月22日(土)〜3月2日(日)に開催された「第2回Cinema at Sea - 沖縄環太平洋国際映画祭」、受賞作を紹介します。

最優秀長編作品賞
『ルーツ 岩と雲の先へ』(Through Rocks and Clouds)
監督:フランコ・ガルシア・ビセラ 2024/83分/ペルー、チリ

審査員コメント:
見事に作り上げられた作品。巧妙で引き込まれる物語や映画の技術、自然な演技が、この部門の他の候補作品を僅かに上回りました。
12ルーツ 岩と雲の先へ_R_R.jpg
© luxbox

最優秀短編作品賞
『デイリー・シティ』(Daly City)
監督:ニック・ハルタント 2024/16分/アメリカ

審査員コメント:
移民の家族が「アメリカン・ドリーム」に適応しようとする様子を巧みに描いた短編映画。異文化に溶け込もうとする過程を、ユーモアを交えた視点で表現しており、思わず笑いに包まれました。
22デイリー・シティ_R_R補正.jpg

審査員賞
『島から島へ
』(From Island to Island)
監督:ラウ・ケクフアット 2024/290分/台湾

審査員コメント:
多層的な物語を織り交ぜた感情に訴える歴史ドキュメンタリー。私たちが人間性を忘れず、過去から学ぶことの大切さを改めて思い出させてくれる作品でした。
5島から島へ_R_R補正.jpg
hummingbird production

最優秀主演賞
Cast of the girls / 少女たち 『私たちはデンジャラス』
監督:ジョセフィン・スチュワート・テ・フィウ

審査員コメント:彼女達の一体となった演技には、丁寧に作り込まれて、観る者の心をひきつけ、強く印象に残るものです。そして、アンサンブルはこの物語を見事に支えています。最優秀主演女優賞は『私たちはデンジャラス』の少女の皆様に贈ります。
10私たちはデンジャラス_R.jpg

太平洋島嶼特別賞(笹川平和財団提供)

長編作品:『モロカイ・バウンド』(Moloka’i Bound)
監督:アリカ・テンガン Director:Alika Tengan

審査員コメント:刑務所を出所した若きハワイアンの男性が、家族との絆を取り戻そうと奮闘する物語。この作品は、将来有望な監督とその制作チームの才能を際立たせました。
9モロカイ・バウンド_R_R補正.jpg

短編作品:『女王に花を』(The Queenʻs Flowers)
監督:キアラ・レイナアラ・レイシー Director:Ciara Leinaʻala Lacy

審査員コメント:
この魅力的なアニメーションは、若きハワイアンの少女と、退位させられたハワイの女王との偶然の出会いを通じて、歴史的事実を巧みに織り交ぜています。観る者を笑顔にし、希望の余韻を残してくれる作品でした。
女王に花を_R.jpg

観客賞
『島から島へ』(From Island to Island)
監督:ラウ・ケクフアット Director:LAU Kek-Huat

ラウ・ケクフアット(本作監督)コメント:
沖縄の観客の皆さんがこの作品を評価し、観客賞を授けてくださったことに、心から感謝いたします。最近、撮影の関係で沖縄線についての研究を始めました。その中で、沖縄が戦争の記憶を積み重ねるために、どれほど努力をしてきたのかを理解するようになりました。以前、私はある老人を撮影したことがあります。彼は戦争を経験し、生き延びたことで、自分の戦争体験を語り続けることが必要だと感じていました。彼が言った言葉を今でもはっきりと覚えています。「私は自分が目にした悲惨で悲しい出来事の証人だ」そう言った彼は、私は目をじっと見つめ、こう続けました。「私は君にこの話を語った。だからこれからは君も証人だ」「君は生き延びた。この話を伝えていく義務がある」。私はこの言葉を胸に刻み、証人としての責任を持って映画を撮り続けています。

スペシャルメンション賞
『湖に浮かぶ家』(Tale of the Land)
監督:ロロ・ヘンドラ Director:Loeloe Hendra

審査員コメント:
この作品では、自身の内面的なトラウマと向き合うために孤独を選んだ女性の姿にとても心を動かされました。その素晴らしい描写を審査員一同が評価しました。
6湖に浮かぶ家_R_R補正.jpg

最優秀企画賞
『煙突清掃人』(The Chimney Sweeper)
監督:太田信吾 Director:Shingo Ota

太田信吾(本作企画者)コメント:昨年も受賞出来ましたので、今回も受賞することが出来て、とても驚いています。ドキュメンタリーを監督することはとてもエネルギーが必要な、長い長い旅路です。こうしてディシジョンメイカーのみなさまとともに、プロセスをシェア出来たり、アドバイスをいただけることはとても光栄だと思います。ピッチングの時にもお伝えしましたが、この映画祭は私たちの一番大好きな映画祭です。この映画祭で温かいアドバイスや言葉をいただけたことに感謝したいと思います。ありがとうございました。
煙突清掃人_R.jpg

詳細は公式HPへ
https://www.cinema-at-sea.com/news/r_3AwSxx