『マイルストーン』原題:Milestone
監督:アイヴァン・アイル(Ivan AYR)
インド / 2020 / 98分
北インドを舞台に、激しい腰痛に苦しみながら亡くなった妻の家族への賠償金のために働くベテランのトラック運転手の苦悩を描く。デビュー作『ソニ』が高く評価されたアイヴァン・アイルの監督第2作、ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で上映。
(公式サイトより)
https://filmex.jp/2020/program/competition/fc5
*物語*
トラック運転手として経験の長いガーリブ。デリーにあるトラックセンターで待遇をめぐって荷物の積み込みを行う労働者がストに突入。ガーリブは自ら積み下ろしをしなくてはならず、腰を痛めてしまう。
さらに、ガーリブが頼りにしている相棒の運転手ディルバーグの夜目が利かなくなり辞めるという。トラックセンターの老社長や若社長から、絶大な信頼を置かれているガーリブは、若手育成を託される。若い運転手パーシュがトラックに同乗するようになるが、いつか自分の仕事を取られてしまうのではとガーリブは不安になる。
一方、2年前にやっと娶った妻が自殺してしまい、妻の実家のシッキムから父親と妹がやってきて、賠償金を支払えという。ガーリブは故郷の村落委員会に解決の仲介を頼む・・・
仕事場では、頼りの同僚は仕事ができなくなり、労働者のストもあって負担が重くのしかかっているのに、私生活でもやっと結婚した相手が自殺。散々な目にあっているガーリブの物語。デリーのガーリブの隣人はカシミール出身の家族。亡くなった妻は、ネパールやブータンにも近いシッキム出身。なぜこんな遠いところの人と結婚?という謎は、Q&Aで解けました。
シッキムには20年以上前に行ったことがあって、亡くなった妻の父親や妹の風貌が日本人にも似ているのを懐かしく思いました。監督のいるインド北西部のチャンディーガルにも行ったことがあって、ル・コルビュジエ設計の碁盤の目のような計画都市。インドらしくない無機質な町。こちらはシク教徒の多い地区。ガーリブという主人公の名前からムスリムかなと思っていたら、亡き妻の賠償金の調停のために帰った村は、どうみてもシク教徒の村。第一、ガーリブがムスリムなら結婚するときに婚資金の取り決めをしているはずなので、賠償金の額でもめることはないはず。そんなことを思っていたら、監督とのQ&Aで、ガーリブはシク教徒と判明しました。インド北西部のシク教徒の間で、ムスリムの名前を付けることはよくあることなのだそうです。
上映:
10月31日(土) 21:20- @ヒューマントラストシネマ有楽町
11月5日(木) 12:50- @TOHOシネマズ シャンテ
◎Q&A(リモート)
11月5日の『マイルストーン』上映後、監督とのQ&Aがリモートで行われました。
登壇:
アイヴァン・アイル(監督)
市山 尚三(東京フィルメックス ディレクター)
松下 由美(通訳)
動画:https://youtu.be/i1Ea8Ra9go8
下記のうち、★印:動画にはない部分
市山:インドのチャンディーガルにいる監督とZOOMで繋がっています。さっそくQ&Aを始めます。
監督:大変な時期だからこそ、皆さんが劇場で観てくださったのがなにより嬉しいです。自分もその場にいられたらと思います。日本で観ていただくのが夢でした。日本の巨匠たちから大変影響を受けましたので。
市山:なぜ長距離トラックの運転手を主人公にしたのでしょうか? 日々の生活を描いていますが、なぜこの職業の方を?
監督:まず、トラック運転手はどこにでもいますよね。資本主義を支えているのが運送業の人たち。でも気づいたのですが、移動しているけど、運転手自身は小さなトラックの世界に閉じ込められていて、実は彼らはどこにも行っていません。それは私たち皆にも当てはまることだと思います。自分の人生を操縦する主人公であるのにもかかわらず、小さなところから思うように動かない。その視点から作品を撮ることにしました。
Q:ファーストカットを長いシーンにしたのは? ワンカットにした理由を教えてください。
監督:私は自分の作品をカットのないシークエンスでよく始めます。最初に主人公のいる状況、時と空間をまず観て貰って、360度キャラクターの眼に入るものを観客に共有してもらう目的です。居場所や環境を観る人に確認してもらって、キャラクターの目線で世界を観て、そこから旅を始めるという導入です。
Q:主人公はムスリムだと思いますが、シッキム出身の奥さんは仏教徒かクリスチャンでしょうか? 二人はどのようにして知り合って結婚したのでしょうか?
監督:主人公の名前はムスリムのものですが、シク教徒です。主人公のガーリブという名前は、インドの19世紀のムスリムの偉大な詩人からつけられています。北インドのシクの人たちは、ムスリム系の名前をよくつけます。
また、亡くなった妻をシッキム出身の女性にしたのは、リサーチでわかったことですが、運転手はなかなか結婚できなくて、仕事で行った先で結婚を持ちかけられ、金を払って妻を娶ることがあるそうです。この映画の主人公の場合はお金を払ったとは特定していませんが、仕事で行った先のシッキムで知り合ったという設定です。彼はクウェートで生まれ育って、その後インドに両親と戻ってきたけれど、よそ者。デリーでも馴染めない。北東のシッキムの人もインドに住んでいながら部外者意識を持っていて、共鳴しあったという設定です。
Q: ガーリブが詩人の名前と説明がありましたが、助手のパーシュも詩人の名前。なぜ二人に詩人の名前を付けたのですか?
監督:気が付いてくださって嬉しいです。インド外ではあまり知られていませんが、インド国内でも、映画を観てなかなか気づいてくれません。詩に触れる機会がないのです。映画の主人公たちも、日々自分の名の背景に気が付いてもらえません。インドの社会で、こういった名前が意味を持たなくなってしまったのは、詩や芸術に価値を見出せない。それを享受する余裕もなくて、生きるのに精一杯なのです。楽しいことを求めるけど、あまりにも困難で詩を書くこともなかなかない。私のペシミストな観方が二人に反映されています。
Q:主人公の腰の痛みが最後に取れ、今度は姉からの電話で若いパーシュが腰痛になったと知ります。監督にとっても腰痛は何かのメタファーなのでしょうか? ★
監督:実は腰の痛みが取れるという発想は、映画を煮詰めている終わりのほうで自分に降ってきたものです。ストーリーとして意味はないのですが、こういう形で終えようと思いました。なぜ急に痛みが消えたのか? それが比喩だとしたら、一番近い答えは、ガーリブが罪の意識を克服できたからではないでしょうか。自分でもちゃんとした答えはないのですが。 ★
Q:ガーリブの部屋にダライ・ラマの写真がありました。奥さんが飾っていたものでしょうか?
監督:亡くなった奥さんの出身地シッキムの大多数は仏教徒で、仏教徒ではない人たちも、ダライ・ラマの写真を伝統的に飾ります。彼の家を仕切っていたのは奥さんだったということを示しています。
Q:日本の監督で特に影響を受けたのは?
監督:一番多くを学んだのは小津監督です。私の映画に対する考えを変えた偉大な監督です。最近では、市川崑の『野火』を観て、映画観が変わりました。黒沢明監督、鈴木清順監督。現役では、是枝監督、黒沢清監督。日本以外では、インドのサタジット・レイ、リッティク・ゴトク監督。ゴトク監督はサタジット・レイに比べると知名度は劣るのですが非常に才能に溢れた監督で影響を受けました。国外ですと、デビッド・リンチ、ジム・ジャームッシュ、イランのジャファール・パナヒと、挙げたらきりがないです。
市山:リッティク・ゴトク監督の特集をかなり以前にフィルメックスでしました。(2007年 第8回東京フィルメックス) しばらく観る機会がないので、また上映できればと思います。★
もう時間がありませんので、これを最後の質問にしたいと思います。Q「今、インドで感じている閉塞感や問題点があれば教えてください」
監督:経済的に困窮していて、何を話してもそれがあまりにどこにも垂れこめていて、経済的不安定の中で必死になっています。短期契約の非正規雇用がコロナでどんどんなくなっています。誇張せずに、全くお金が無くなって、親元や兄弟に頼らざるをえなくてストレスを感じている人が多いです。文化、芸術、哲学、教育、健康などについて話す余地が全くないのが現状です。
最後に皆さんに手を振って終了。
まとめ:景山咲子