東京国際映画祭 審査員特別賞&最優秀女優賞 W受賞『タタミ』 (咲)

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©Juda Khatia Psuturi

コンペティション部門で審査員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞した『タタミ』。
クロージングセレモニーでの喜びのビデオメッセージと、10月29日(日)上映後のQ&Aの模様をお届けします。


『タタミ』 Tatami
監督:ザル・アミール、ガイ・ナッティヴ
出演:アリエンヌ・マンディ、ザル・アミール、ジェイミー・レイ・ニューマン
2023年/ジョージア・アメリカ/103分/モノクロ/英語・ペルシア語
https://2023.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3601CMP14
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©Juda Khatia Psuturi

*物語*
ジョージアの首都トビリシで開かれている女子柔道選手権に参加しているイラン代表選手イラ。このまま勝ち抜くとイスラエル代表選手と当たる可能性があるため、負傷を装って棄権しろ、との命令をイラン政府から受ける。テヘランにいる両親が政府に拘束されていることを知るが、レイラは出場を諦めない。コーチのマルヤムは命令に従うよう説得するが、レイラの決意は固い。やがて、マルヤムは、自身もかつてソウルで、負傷したと嘘をついて棄権せざるを得なかったことを明かす。レイラと共にスカーフを脱ぎ、自由のために闘う決意をする・・・

『聖地には蜘蛛が巣を張る』(22)でカンヌ映画祭女優賞を受賞したザル・アミール。本作で、コーチのマルヤム役としてキャスティングされた後、共同監督も務めることになった。



◆第 36 回東京国際映画祭 クロージングセレモニー

審査員特別賞
『タタミ』監督:ザル・アミール、ガイ・ナッティヴ(ジョージア/アメリカ)

講評と発表:國實瑞惠さん(プロデューサー)
スリリングなストーリーを、女性二人の迫真の演技に手に汗を握りしめて、最後まで見入ってしまいました。鮮烈なモノクロ映像で、より緊張感を高める作品『タタミ』に審査員特別賞をお贈りします。

ザル・アミール(共同監督/俳優) ビデオメッセージ
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世界は燃えています。イランは燃えていて、そこに住む素晴らしい人々を殺害しています。パレスチナは燃えていて何千人もの市民の死を嘆いています。イスラエルは燃えていて、人々が殺されています。いたるところで無実の人々が不正により血を流し、私たちが生み出した混乱のなかで無力になっています。しかし、私たちは映画を作りました。この映画は憎しみ合うように育てられた人々の奇跡的な組み合わせにより生まれた物語です。イスラエルとイランの監督が一緒に仕事をするのはとても大変なことです。あらゆる困難を乗り越えて初めて団結し、歴史を作ることになるのです。しかし、映画が公開された時は歴史がこのように動くとは思っていませんでした。この映画にひとつの力があるとすれば、それは闇の時代に光と戯れることでしょう。日本で「柔道」という言葉は柔和な道を意味すると聞きました。それこそが私たちが進みたい道です。未来ある唯一の道です。この映画『タタミ』は日本の名前ですが、普遍的な問題を語っています。憎しみに向き合い敬意を示す勇気をどう持ちうるかです。

ガイ・ナッティヴ(共同監督)ビデオメッセージ
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このすばらしい驚きをザル・アミールと共に感謝したいと思います。私たちはちょうど東京からの長いフライトを終えロスに降り立ったところです。皆さんの反応を肌で感じ、美しい東京で過ごしたすばらしい1週間でした。『タタミ』は日本の伝統へのオマージュであり相手を敬うことでもあります。そして、イスラエル人とイラン人の初の共同作業でもありました。私たちは政府が阻止しようとしていたことを実行したのです。兄弟姉妹になるために協力し合いました。そのことを認めてくださり映画を見てくれて、感謝しています。そして困難な状況の中で生きている私たち全員にとって、それがどれほど重要なことなのかを理解してくれたことに感謝します。この映画が暗いトンネルの中の小さな光明となることを願っています。

最優秀女優賞受賞
『タタミ』ザル・アミール(監督/俳優)

講評と発表:審査委員長 ヴィム・ヴェンダース
この女優さんは、共同監督も務めた方です。『タタミ』のザル・アミールさんです。

ザル・アミール (ビデオメッセージ)
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大きな驚きとともに受賞を光栄に思います。日本で皆さんと一緒にお祝いしたかったです。現在深夜2時です。撮影から帰宅して受賞の知らせを聞きました。これは私にとって特別で大きな意味をもつ受賞です。俳優という職業はアスリートに似ていると思いました。両者とも人前でチャンスやタイミングをつかむ必要があり、身体的にも精神的にも重圧がかかります。イラン人アスリートは常にスポーツと国の狭間に置かれ恐怖を乗り越え、尊厳を失わないようにしています。その立場は私も共感できることばかりでした。この作品に登場するマリアムもそうした一人です。彼女は自由を得ながらも大きな代償を払うことになります。最高のパートナーであるアリエンヌ・マンディがいなければこのような作品にはならなかったでしょう。彼女の献身的な仕事に対する私の感謝の気持ちは計り知れません。改めて最優秀女優賞を受賞できたことを光栄に思います。この賞はイランの女性たちに捧げたいと思います。畳の上、路上、そして家庭の中でひっそりと虐げられている彼女たちへ。本当にありがとうございました。

ヴィム・ヴェンダース コメント:ザル・アミールさんが柔道のコーチとして政府の決断と自由の意志との間で葛藤する姿を演じて、大変信ぴょう性がありました。


◎10月29日 13:20からの上映後 Q&A @丸の内TOEI
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ゲスト: ジェイミー・レイ・ニューマン(プロデューサー/俳優)
予定していたガイ・ナッティヴ監督の参加はキャンセルとなりました。
司会:安田祐子
英語通訳 富田香里さん

ジェイミー:夫で共同監督であるガイ・ナッティヴは、今、アメリカに向かっています。中東で起こっている大きな出来事に関わっています。今日は私一人です。ごめんなさい。

司会:ガイ・ナッティヴ監督は、アメリカに住むイスラエル人です。フランスに住んでいるイラン人であるザル・アミールさんと二人で一緒に映画を作ったのが奇跡的で素晴らしいことです。

ジェイミー:映画の歴史の中で、イランとイスラエルが共同制作したのは、初めてだと思います。それ自体が奇跡的なプロジェクトだったと思います。ジョージアのトビリシの町で秘密裏に作りました。アメリカ大使館とイスラエル大使館が非常に協力してくれました。私たちは二人の子供を連れてトビリシに行きました。すべての俳優の名前は暗号化しました。特に、共同監督で女優でもあるザーラさんは危ないとのことで、トップシークレットで行いました。

会場より
― (女性)モノクロで撮られた意図は? 

ジェイミー:カラーバージョンはなくて、最初から二人の監督がモノクロで撮ると決めました。彼らの人生に色がないからです。いつも白か黒しかないのです。ヘジャーブを着けるか着けないか、運転していい、いけない。その間がないのです。アスペクト比がタイトなのですが、最後の方で難民チームの代表として登場するところで広くなります。
時代を感じさせないものにしたかったのです。50年代に撮られたのかもしれない、80年代に撮られたのかもしれない、今、撮ったのかもしれないという風に。ある意味、時代劇のようにも観てほしかった。自由になったときに振り返って、そういうことがあったのだと雰囲気が欲しかったのです。


司会:何も情報がないまま観ると昔の話なのかなと思うと、スマートフォンでビデオ通話している場面が出てきて、今の話なのだと衝撃でした。今のイランのアスリートたちが直面している現実に胸が痛くなりました。これはいろいろな実話を組み合わせたものなのでしょうか?

ジェイミー:最初のきっかけは、2018年~19年あたりに柔道大会に出ていたイランの男性が、イスラエルと対戦しないよう棄権しろと言われて、大会中に亡命したという事件でした。ガイが脚本を書いているうちに、2022年、マフサ・アミニさんがスカーフの被り方が悪いと注意され、亡くなった事件があり、違う方向に転換していきました。いろいろなスポーツでアスリートが亡命するという事件もありました。政府が強制して、棄権させていることもわかりました。ザル・アミールさんが制作に参加して、女性の権利の話も加わっていきました。

―(女性) 大きなテーマの映画で、日本人にとっても考えさせられるものでした。パリの場面で、子供はいましたが、お父さんの姿が見えませんでした。たどり着けなかったのでしょうか?

ジェイミー:夫も無事たどり着いたので、子供も一緒にたどり着いたのです。 イランに残してきた家族がどうなったのかはわかりませんが。 この映画に出ているイラン人は、皆、亡命していて、イランに戻れません。

―(男性)柔道のシーンも、裏で起きているシーンも緊張しました。試合前に和楽器(和太鼓)が緊張感を高め効果的に使われていましたが、誰のアイディアでしょうか?

ジェイミー:撮影現場はスタジアムで、廊下で監督がモニターで観ていました。撮影監督が柔道のシ-ンを撮影しているときに、監督は日本で戦争の時に使われた太鼓をずっと叩いていました。和太鼓を使うのは最初から考えていました。柔道発祥の地である日本へのオマージュがたくさん入れ込んであります。
レスリングでもボクシングでもよかったのですが、監督にとって、柔道はお互いを尊敬していて、美しい。スポーツマンシップがあって、血が一滴でも出てきたら、試合を中断しています。


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―(男性)権力や古い風習に抑圧されている人間がどう立ち向かうのかは日本人にも他人事でない内容だと思いました。 ザル・アミールさんは、当事者だと思うのですが、どのような意見を?
秘密裏に作られた映画とのことですが、上映にあたって何か圧力はありませんでしたか?

ジェイミー:もともと脚本は、ガイ・ナッティヴが書きました。ザル・アミールさんは、最初、女優としてキャスティングしました。『聖地には蜘蛛が巣を張る』を観て、コーチ役をしてほしいと思ったのです。パリで彼女がキャスティングディレクターをしているとわかって、パリでイラン人俳優をキャスティングしてもらいました。その後、ガイ・ナッティヴが一人では監督できない、イラン人女性の声が必要だと、共同監督を依頼しました。コスチュームも含めて、彼女の経験がこの映画に不可欠でした。
上映への圧力ですが、 ベネチアでは上映できました。来年公開するのですが、イランではもちろん上映できません。今、中東で起こっていることがあって、世界は刻々と変わっています。この映画がどうなっていくのかわかりません。とりあえず完成したことが嬉しいです。


司会:イランの人たちに観てもらえないのが残念ですね。世界中で公開が決まっていますが、日本での公開はどうなのでしょう。

ジェイミー:残念ながら日本の配給はまだ決まっていないのですが、公開できれば嬉しいです。個人的な物語でありながら、普遍的で世界に通じる話だと思います。

司会:皆さま、口コミで応援どうぞよろしくお願いします。

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★10月25日(水)13:05からの上映後のQ&Aレポート(TIFF公式サイト)
https://2023.tiff-jp.net/news/ja/?p=63144

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圧力のある中で、自由と権利を求める物語。確かに力強く、メッセージも明確なのですが、政治的見地から賞をおくった感が否めません。 
レイラが夫とのベッドの中での会話を回想したり、試合前に体重を測る場面で服を脱いで肌を見せたりの場面は、イランではもちろんご法度。こういう表現をしなくてもいい場面なのに、それを敢えて入れたような気がします。両親が人質として拘束されるということも実際あるのかもしれません。政府批判があからさまなのが気になりました。本作の関係者が逮捕されたりしませんように・・・  

報告:景山咲子

ヤンヨンヒ&モーリー・スリヤ(黒澤明賞受賞)対談

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左からヤンヨンヒ監督、モーリー・スリヤ監督


ヤンヨンヒ監督&モーリー・スリヤ監督対談

国際交流基金と東京国際映画祭の共催企画「交流ラウンジ」で10月31日、『ディア・ピョンヤン』(2005)、『かぞくのくに』(2012)、『スープとイデオロギー』(2022)などで知られる梁 英姫(ヤン ヨンヒ)監督と、2017年『マルリナの明日』が世界的に高い評価を受け、2017年の第18回東京フィルメックスでは最優秀作品賞『殺人者マルリナ』(フィルメックスでの題名)を受賞し、今回、グー・シャオガン監督と共に黒澤明賞を受賞したインドネシアのモーリー・スリヤ監督の対談が行われた。
『マルリナの明日』http://www.pan-dora.co.jp/marlina-film/

2人は20年の東京国際映画祭でリモートでの対談をしているが、3年後の今年、念願の初対面を果たした。ヤン監督は、昨日『マルリナの明日』を観て興奮した状態で来ましたと語っていた。

3年ぶりの対談 コロナ禍を振り返った

ヤンヨンヒ監督:前回の対談時、『スープとイデオロギー』の編集を始めた頃で韓国に滞在していました。母の介護もあったので時々帰国していたけど、2年くらい韓国にいました。その間に母は亡くなりました。国籍は韓国なのに暮らしたことがなかったので、この滞在では、韓国の映画業界や社会を深く、いいところも悪いところも見ることができました。

モーリー・スリヤ監督:2000年に撮る予定だったけど、コロナ禍のインドネシアではスタッフを集めることが困難で、新作「This City Is a Battlefield」の撮影を延期。その後『マルリナの明日』に関連したプロジェクトをアメリカで製作できることになり、翌年に渡米して別の作品を撮影しました。アメリカの映画産業はシステマティック。組合もしっかりしているし、腕のあるスタッフをすぐにみつけることができた。みんながチャンスを狙っていて、それが映画業界のアメリカンドリームと言えるのかもしれません。その後インドネシアに戻ったけど、コロナ前と同じ状況には戻っていませんでした。

インドネシアの映画事情ですが、1998年まではスハルノ独裁下で、死に体と言っていいくらい衰退していました。検閲も厳しく公開も難しい状況。今は盛り上がっているけど、まだまだ赤ちゃんのような業界。組合もあるけど、機能していなくて模索状態。

ヤン監督が日本も韓国も大規模予算の商業映画に女性監督が登用されることはほとんどない現状を語ると

スリヤ監督:インドネシアにはスタジオシステムも配給会社もないので、全てがインディペンデント。全国公開になっても、島が7000もあるのでプロモーションが難しい。そして、ホラー映画が多く、全体の半分くらい。女性監督の視点からのホラー映画はひとつのジャンルになっていて商業的にも当たるんです。

映画と配信の両立の難しさなどについて意見交換をした上で、後進へのアドバイスを求められたヤン監督は、「自分を信じるド厚かましさも才能。それが揺らぐと絶対に止まる。撮影が終わっても完成させられない、公開が決まっていても流れるなどいろいろな理由があって着手するのが恐ろしくなる作業だが、自分を信じ、信じられるスタッフとどう出会えるか。そのための精神力、体力も必要」と持論を展開。続けて、「小さな発信でも地球の裏側まで届くという意識を持って、踏ん張るしかない」とエールを送った。

スリヤ監督は、これまでの3作品の作風が全て違うという質問を受けたが「2度同じことはしたくないという思いはあるが、自分としてはそんなに変わっていない。映画学校時代はスタンリー・キューブリック監督にあこがれ、スタイルを踏襲しているところはある。彼の作品のジャンルも多岐にわたっているが、一つの同じ声があると思う」と解説。一つの同じ声の真意も聞かれたが、「言葉にできるなら映画にする必要はないわよね」と煙に巻いた。そして、“パート3”の開催を約束し、二人で固い握手を交わした。

東京国際映画祭 アジアの未来 作品賞 『マリア』 記者会見・Q&A報告 (咲) 

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アジアの未来 作品賞受賞したイラン映画『マリア』。
クロージングセレモニーと受賞者記者会見での喜びの言葉と、10月29日(日)上映後のQ&Aの模様をお届けします。


『マリア』 Maria
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監督/脚本:メヘディ・アスガリ・アズガディ
プロデューサー: アリ・ラドニ
撮影監督:ダウード・マレクホセイニ
編集:エルナズ・エバドラヒ
音楽:ハメド・サベット
出演:
ファルハド: カミャブ・ゲランマイェー
ゾーレ: パンテア・パナヒハ
ペイマン :サベル・アバール
パリサ: マーシド・コダディ
ラスル:ホセイン・マージューブ
2023年/イラン/119分/カラー/ペルシャ語
https://2023.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3602ASF04

*物語*
若い映画監督のファルハド。自分の結婚式の日、映画の撮影用に借りていた車に花をあしらって運転中、陸橋から落ちてきた女性を轢いてしまう。その女性マリアは、2年前にファルハドが娼婦役に起用したが、テスト映像が流出して以来、姿を消していて、行方を探していた。意識不明で重体のマリアの家を訪ねたファルハドは、一家がバローチ族で、バッタに畑をやられ、土地を離れテヘラン南部にやってきたことを知る。界隈には、バルーチ族が多く暮らしている。マリアは突き落とされたのではないかとの疑いが浮上するが、12人もの男が、自分が犯人だと名乗り出てくる・・・




◆第 36 回東京国際映画祭 クロージングセレモニー

アジアの未来 作品賞
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マーク・ノーネスさんより発表。
レイモンド・レッドさんよりトロフィー授与。

来日出来なかったメへディ・アスガリ・アズガディ監督のコメントを奥さまであり編集を担当したエルナズ・エバドラヒさんが暗記したものを披露しました。

「東京国際映画祭、審査員の方々、この映画をセレクトしてくれた方々、心よりお礼を申し上げます。この賞をいただき、私はもう一回映画で人生を歩んでいけるという力を貰いました。編集を担当した妻、主役の俳優さんはじめ映画に関わったすべての人にこの場を借りて感謝を申し上げたいと思います。また、私たちのイラン映画の巨匠であるアミール・ナデリ監督にはお礼を申し上げたいと思います。私たちはいただいたこの賞をアミール・ナデリ監督に差し上げたいと思います」

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◆受賞者記者会見
登壇:エルナズ・エバドラヒ(編集)、カミャブ・ゲランマイェー(俳優)

― 28歳の若い監督の受賞、おめでとうございます。今回は来日が叶わず残念でした。映画の世界の中で進んでいく物語。作る上でのご苦労は? イランの特殊な部族のことも入っていましたが・・・

エルナズ:夫である監督は来られなくてこの場にいられないのはほんとうに残念です。けれども、映画をご覧いただいたこと、また受賞したことを伝えましたら、大変喜んでいました。審査員にも大変感謝しております。次の作品で来日できればと願っています。
この映画は、映画の中の映画という作りです。バルーチ民族を題材に使いましたが、繊細に描かないとイランのほかの民族と間違えられるかもしれないので、言葉の訛りや、衣装など、とても気を使いました。バルーチ人のアドバイザーがいましたので、繊細に撮ることができました。


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― カミャブさんにお伺いします。今回は、イランの人々を描いた映画が偶然にも多く受賞しました。作品を選ぶ時の哲学のようなものはありますか?

カミャブ:私のことを話す前に、『雪豹』のペマ・ツェテン監督が亡くなられたことを聞いて、心を痛めています。これからも皆さんめげずに頑張ってください。 実は、短編も含めて、この映画が初出演でしたので、2年後位に別の作品に出演したら答えられるかもしれません。


◎2023年10月29日(日) 10:25からの上映後の質疑応答
@TOHOシネマズ シャンテ スクリーン2

ゲスト:カミャブ・ゲランマイェー(俳優)、エルナズ・エバドラヒ(編集)
司会:石坂健治シニア・プログラマー

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カミャブ:サラーム。おはようございます。朝からありがとうございます。初めての映画デビュー作の完成版を、初めて皆さんと観ることができました。

エルナズ:おはようございます。監督は残念ながら来られなかったのですが、メッセージを預かりました。
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「皆さんと一緒に映画を観ることができなくて残念です。国から出られなかったのです。徴兵が終わってなくて、許可が出ませんでした。実は、歳の問題で行けなかったので、書類を揃えて出したのですが、駄目でした。リサーチを進めて、次の作品を作って東京に行けるようにしたいです。映画を愛している私は東京国際映画祭にぜひまた選んでいただいて参加したいです。
28歳で、完成作品を観たいと思っていたのですが残念です。いつかまた!


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メヘディ・アスガリ・アズガディ監督

石坂:今回、最年少の監督でした。お目にかかりたかったです。 
まずは、バローチ族について、説明いただけますか?

カミャブ:東南地区のシースターン・バローチスターン州に主に暮らしているのですが、日照りが厳しくて、水の問題があって、生活に苦労して、仕方なく首都テヘランなどに移住したり、ばらばらに暮らしています。

エルナズ:数年前に砂嵐で多くの村が破壊されてしまいました。マリアの両親も砂嵐で亡くなって、祖父とテヘランに移住したという設定です。

―(女性) 撮影と編集が素晴らしかったです。イランで起きた事実を脚色したのでしょうか? 女の人が高いところから落ちてくる。男性の幻想から、ヒッチコックの『めまい』などを思い起こしました。影響を受けた映画などがありましたら教えてください。

エルナズ:監督にとって初めての映画で、私にとっても初めてのフィーチャー映画の編集でした。監督は『めまい』がとても好きです。緑色は『めまい』の影響です。現実と幻想も『めまい』の影響です。パリサの服装の色も、『めまい』に同じ色のものが出てきます。

―(男性)車の中のシーンが多かったですが、難しかったのでは?

カミャブ:いろんなロケーションで車のシーンがあって、でこぼこの道のところもあって、とても困難な撮影でした。

エルナズ:主役が子ども二人を車のバックシートに入れるシーンは、苦労してとても大変でした。
雨の中で暗かったけれど、監督はチャレンジしたかったのです。


―(女性)実話に基づくとのことですが、どれ位、本当なのでしょうか? 映画としては、どういう風にしようと考えたことなど教えてください。

エルナズ:監督が数年前、一人の若い女性に出会い、売春婦の役を演じたら、家族に殺されそうになったと聞いて、いつか映画にしたいと思っていました。
パナヒ監督の『ある女優の不在( 3 Faces)』のポスターが貼ってあるのは、その映画の中で役者になりたかった少女が家族の反対で自殺しようとしたという話があるからです。


石坂:カミャブさんは、もう少し、こうすればよかったというところはありましたか?

カミャブ:観ながら、ここはこうすればよかったというところはありましたが、最初に観た時には、「あ、私だ!」と。

―(男性)後ろめたさを感じたという絵作りは、役者として、どのように意識されましたか?

カミャブ:この役を演じるのに、9か月、監督とやりとりしました。複雑な役で、ファルハドは、すべてを映画の角度から見ているキャラクターです。例えば、結婚式の日、花嫁に電話して「メイク終わった?」と聞きますが、その「メイク」は映画の現場で使う「メイク」です。生活の中でも、すべてを映画と絡めている人物です。

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石坂:若いチームが作り上げた映画で、日本公開が実現できればと思います。
最後に一言ずつお願いします。

カミャブ:東京国際映画祭が選んでくださったことにお礼申し上げます。楽しんでいただけましたら嬉しいです。

エルナズ:東京国際映画祭にお礼申し上げます。初めて東京に来て、東京にほれ込んでしまいました。モダンでシステマティック。惚れ惚れしました。

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まとめ:景山咲子





東京国際映画祭 最優秀男優賞受賞 『ロクサナ』 受賞記者会見・Q&A報告 (咲)

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コンペティション部門で最優秀男優賞を受賞したイラン映画『ロクサナ』。
クロージングセレモニーと受賞者記者会見での、ヤスナ・ミルターマスブの男優賞受賞の喜びの言葉と、10月25日(水)上映後のQ&Aの模様をお届けします。

『ロクサナ』 Roxana
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監督/脚本/編集:パルヴィズ・シャーバズィ
撮影監督:プーヤ・シャーバズィ
プロデューサー:マンスール・ラダイ
出演:
フレード:ヤスナ・ミルターマスブ
ロクサナ:マーサ・アクバルアバディ
フレードの母:マエデー・ターマスビ
マンスール:ラムボド・モタレビ
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*物語*
無職の青年フレードは、認知症気味の母親と2人暮らし。ある日、車の窓を割られ、バッグを盗まれた女性ロクサナを助ける。結婚式のビデオ撮影を仕事にしているロクサナ。バッグには顧客の結婚式を撮影したハードディスクが入っていて、撮り直しがきかないという。 ロクサナから、翌日のショマール(北: カスピ海地方を指す)での結婚式の撮影を手伝ってほしいと頼まれ、友人のマンスールを誘って行く。途中で、車にお酒を積んでいるのが警察に見つかり、フレードはロクサナの身代わりで警察に連行される・・・
★さらに詳しいストーリーは、末尾に掲載しています。



◆第 36 回東京国際映画祭 クロージングセレモニー

最優秀男優賞
ヤスナ・ミルターマスブ(『ロクサナ』、イラン)
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講評と発表:チャン・ティ・ビック・ゴック(プロデューサー、ベトナム)
感情的でシンプルな役柄は、彼の真摯な演技によってイランの平凡な現代社会の豊かな生活を目の当たりにする機会を与えてくれました。

ヤスナ・ミルターマスブ:コンニチワ サラーム。審査員の皆さんにお礼を申し上げたいと思います。このいただいた賞を監督のパルヴィズ・シャーバズィさんに伝えたいと思います。また会場にいる撮影監督のプーヤ・シャーバズィにもお礼を申し上げたいと思います。ムスリムだろうがクリスチャンだろうがユダヤだろうが関係ないと思います。我々の命の中で一番最低なのは、もちろん戦争ですし、子供がその中で亡くなっていくのはやはりいけないと思います、戦争を止めましょう。

◆受賞者記者会見

ヤスナ・ミルターマスブ:
コンニチワ。 12歳で演技を始め、13歳から主役として演じてきて、初めて受賞しました。東京国際映画祭での受賞はとても嬉しいです。これまで、キアロスタミ、ナデリ、マフマルバフなどイランの巨匠が東京国際映画祭で映画を紹介してきました。素敵な街で受賞できて嬉しく思います。
脚本を教えてもらえないまま、撮影に臨みました。それが一番の経験でした。演技力を監督が取り出してくれました。これから演技の新しい道を歩いていくと思います。監督に感謝しています。ほかの監督からオファーがあっても、脚本はいらないと思ってしまうかもしれません。
遠いイランから東京まで来られたことに感動しています。受賞したのは大きなお土産ですが、東京に来て一番感動したのは、日本の方たちがお互いにリスペクトしていることでした。尊敬しあうことを学びました。素晴らしいことだと思いました。イランでは、それは少し欠けているかもしれないと考えていて、お互い尊敬することをイランの家族や友達へのお土産として説明したいと思います。
13歳から主役を演じてきて、毎回、もし受賞したらこういうメッセージをと考えていたのですが、今回初めて受賞して、父や母がこの場にいてほしいと思いました。でも、市山さんがそこにいらしてくださるので、ご挨拶申しあげます。



◎2023年10月25日(水)18:30からの上映後のQ&A @丸の内TOEI
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ゲスト:パルヴィズ・シャーバズィ(監督/脚本/編集)、ヤスナ・ミルターマスブ(俳優)
司会: プログラミング・ディレクター 市山尚三さん
英語通訳 富田香里さん、ペルシア語通訳:ショーレ・ゴルパリアンさん

(登壇し、舞台でハグする監督とヤスナさん)
監督:サラーム(ご挨拶)を申し上げます。ご覧いただきましてありがとうございます。

ヤスナ: コンニチワ。サラーム。今日初めて自分が出た映画を観て、ドキドキしました。監督にお礼を申しあげます。

監督: お互いに褒めあってることに、驚かないでくださいね。

市山:今日は、会場にプロデューサーのマンスール・ラダイさんと撮影監督のプーヤ・シャーバズィさんも会場にいます。 (二人が立ち上がる)

監督:撮影を担当したプーヤは私の息子です。家族で作った映画です。

市山:監督とは、1998年に東京国際映画祭のヤングシネマ部門で『南から来た少年』がゴールド賞を受賞された時に初めてお会いしました。お互い歳をとりましたが、こうやって再会できました。

監督:市山さんには、いつもイラン映画、特にインディーズ映画をサポートしていただいて、東京フィルメックスにも呼んでいただき、感謝しています。

市山:私から二人に質問したいと思います。まず監督に。主人公が次から次と問題に巻き込まれるスリリングな話でしたが、もとになった出来事があったのでしょうか? どういうところから発想されたのでしょうか?

監督:細かくいくつかのストーリーが入っていて申し訳ありません。デリケートな問題を描くのに、お母さんのこと、ギャンブル、お酒…といろいろな出来事が必要でした。若者と話したときに、お酒を持っているのが見つかるとムチ打ちされると聞いたことがあって、それも入れています。トマス・ビンターベア監督の映画『アナザーラウンド』では、お酒を飲むのはいいことだと言っていますが、私の国では罪になることを描きたかったのです。

市山:ヤスナさんに伺います。脚本は、ちゃんと出来ていましたか?  脚本を読んで、どういう風に思って引き受けましたか?
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ヤスナ: とてもいい質問です。監督は誰にも脚本を渡しませんでした。役者の私にも、プロダクションの人にも。監督を尊敬していたので、選ばれた時に嬉しくて、「どういう話ですか?」と聞いたら、「そのうち説明しますから」と言われました。なかなか話してくださらないので、時々聞いてみたのですが、撮影の前日になっても教えてくれませんでした。撮影の日、朝ご飯を食べながら、今日こそくれるだろうと思ったのに、脚本は出てきませんでした。心配になって父に、「こういう監督はいるのでしょうか?」と聞いてしまいました。(★注:父Mojtaba Mirtahmasbは、映画監督。)
12歳から演じていますが、こんな監督は初めてでした。
撮影が始まって、私だけでなく、誰にも脚本は渡してなくて、そもそも脚本はありませんでした。監督は自分の想像の中で絵を描いていて、毎日、その絵の一部をくれるということなのだと思います。この監督の素晴らしさだと思います。撮影の最後の方になって、こういうストーリーだったのだと、やっとわかりました。


監督:裏話はやめましょう(笑)。

ヤスナ:あとから考えてみたら、脚本をわかっていない私から、監督は毎日指導する中でいろいろ演技を引き出してくれたのだと思いました。今まで経験したことのない演技力が出てきたと思うので、監督にお礼を申し上げないといけません。長い間、演技をしてきましたが、これからの私の演技は、今までと違うものになると思います。

監督:内輪で褒めあってばかりじゃなくて、皆さんがどう思ったのか聞いてみたい。

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*会場から*
― (男性) 素晴らしい映画でした。普通に考えたら、タイトルは主人公のフレードだと思うのですが、『ロクサナ』なのはなぜですか?

監督:女性の名前をタイトルにした方がいいなと思いました。ロクサナの出番は少ないのですが、メインキャラクターは彼女ですから。

―(女性)素晴らしい映画でした。スチール写真を見て、シリアスな映画なのかと思っていたら、結構コミカル。イランは検閲が厳しいことで有名ですが、国内外での上映に問題はありませんか?

監督:今日が初めての上映でした。これからどうなるかわかりません。まだ、上映許可を貰ってないので、イラン国内での公開は決まっていません。スクリーナーは渡してありますが、結果はどうなるか。あまり厳しい検閲を受けないことを願っています。真実しか語っていません。自分が足したものはなくて、すべて見聞きしたことを入れ込んでいます。

―(男性)日本に入ってくるイラン映画は、アスガル・ファルハーディーやジャファール・パナヒなどシリアスな作品が多くて、イランの若者の姿が描かれることは少ないのではないかと思っているのですが、本作は若者の実態がわかって面白かったです。イスラーム法が厳しいはずなのに、非常にいい加減な部分も感じました。これは実態を描いているものなのでしょうか? キャラクター造形をどのように考えているのか教えてください。

監督:ほかの監督の映画については何も言えませんが、これまで作った映画は、現実の若者の姿を描こうと頑張ってきました。映画を観ると、若者の生活の中でハッピーなことも、問題が起こることもあるとわかると思います。

―(男性)勇気ある映画だと思いました。イランの現状を映画にしていて、ヘジャーブのこと、鼻の整形のこと、麻薬、女性への暴力など全部入れ込んで、ダークな部分だけじゃない綺麗な部分も散りばめて、イランの全部を見せたかったのかなと思いました。

監督:細かく見ていただいてありがとうございます。それしか言えません。

★あっという間に質疑応答の時間が終わってしまいましたが、最後の男性の方が質問したように、今のイラン社会の等身大の姿が描かれた映画でした。
失業率が高く、大学を卒業しても正規の職業につけない中、ギャンブルに走る人も多いのも実情です。結婚式のビデオを撮るのは、ずいぶん前から人気で、スマホのなかった時代には、高いビデオ機材を購入して、副業にしている人も大勢いました。イランの友人たちに、結婚式の時のビデオを見せてもらう機会がよくあるのですが、皆、編集がとても素敵でした。 踊っている場面ばかりのものもあって、「いつ休むの?」と聞いたら、「踊っていないときは撮影している人も休んでる」と言われたことがあります。 男女一緒のパーティや、踊りやお酒も政府は禁じていますが、どこ吹く風。集まれば踊るのが大好きなイラン人たちです。そんな様子も垣間見れる映画でした。
ニュースからは、厳格なイスラームの国のイメージが強いイランですが、国民はそうでもないことがわかると思います。


*フォトセッション*
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マンスール・ラダイさん(プロデューサー) , パルヴィズ・シャーバズィ監督、ヤスナ・ミルターマスブ, プーヤ・シャーバズィさん(撮影監督)


*物語*  長いバージョン
青年フレードが玄関を開けると、警官が二人。
母親が警察に通報したのだ。
「息子は家でごろごろして仕事もしないし、結婚もしない。私の宝飾品も盗んだ。連行してちょうだい」と母。
母は認知症気味で、これまでにも警察を呼んだことがあるらしく、警官も笑ってる。
玄関の外に出て見送るフレードに、「短パンで外に出ないように」と注意する警官。
(★注:女性が髪の毛を隠さないといけないのと同様、男性も短パンはNG。革命後数年間、男性の半袖も駄目だった時代があります。)

ウエディングドレスを作っている工房。
フレードの友人マンスール。「ここに住み込みで働けないかな?」

工房の外で騒ぎ声。
ロクサナという若い女性が、駐車中の車の窓を割られて、バッグを盗まれたという。
見張りを頼んでいた従姉ゾルは煙草を買いに行っていた。
バッグにはハードディスクが入っていて、結婚式を撮ったものなので、撮り直しができないという。

隠家のような「ジアの店」に行くフレード。
玉突きで、賭けをしている。
受付をしているホジャートという若い男。「僕はムスリムだから賭け事は許せない。身分証を取られて、やめられない」
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ロクサナの車の修理に付き合うフレード。
ビューティーサロンに連れていかれ、カード占いをしてもらう。
「バッグは必ず出てくる。一日か、一週間か、一年かわからないが、思わぬところから出てくる」
「3日前に知り合った人といい関係になるが、結ばれない」

ロクサナから、明日、ショマール(北)で結婚式を撮る仕事があるから一緒に行ってほしいと頼まれる。
翌日、友人のマンスールもついてくる。
鼻に絆創膏を貼った従姉ゾルも現れる。「新しい鼻、どう?」
(★注:イランでは大きな鼻を削って小鼻にする。以前はもっと大きな絆創膏を貼っていました。)

後ろの座席で、ゾルがマンスールに触られたと喧嘩になる。
怒ったマンスールが降りるというので車を止めたら、パトカーが来て、荷物を調べられる。
トランクからお酒が出てくる。
「ウエディングビデオのパッケージの一部」とロクサナ。
「お酒は僕が積んだことにして」と罪を被るフレード。

フレードを警察に連行した兵士が仲間たちと踊っているのを撮るフレード。

カスピ海沿いの町のバーザール。
兵士が少年に算数の問題を解いている間に逃げるフレード。
結局、兵士に捕まる。「逃げたといわないから、踊ったことを言わないで」
保釈には家の権利書か、誰かの給金での保証が必要だと言われる。
「家の権利書は母が燃やしてしまった」というと、花嫁の親戚の男性が給与で保証してくれる。

山間の村での結婚式。音楽に合わせて踊る人たち。
カスピ海の畔でも撮影する。 ロクサナが「花嫁にキスして」というと、花婿が「恥ずかしいから皆に見られたくない」という。

撮影を終え、テヘランのアーザーディ広場に着く。
炊き出しの手伝いをする。 大きなお鍋で、ルビヤーポロー(豆ご飯)を作って、配って歩く。

ロクサナ、海外にいる友人のササンに電話して、保釈金を貸してくれるよう頼む。
「千ドルは無理。500ドルなら。送金できないから、ミトラに渡してもらう」
(★注:経済制裁で、海外との送金のやりとりは出来ないので、イラン国内にいる親戚や知人などに立て替えて貰う形で決済)

ロクサナが、バッグに入れていたサングラスがネットで売られているのを見つける。
サングラスを持ってきた女性に「これは盗まれたもの」という。
夫に話して、バッグは返すという女性。後ろに子供を乗せバイクを走らせる彼女の後ろを車でついていくが、一方通行に阻まれる。
警察に通報しないロクサナ。「子供もいるし気の毒」

盗まれたバッグをロクサナの代わりに取りにいく
肝心のハードディスクがない・・・
モタメディモールで売りに出されているとわかる。

ロクサナの事務所にいると、男が3か月分の家賃の取り立てに来る。
ミトラから預かった500ドルを増やそうとジアの店に行くと、皆が警察に捕まっている。
フレードはまだ賭けてもいないのに、所持金の500ドルを没収されてしまう。

ロクサナが契約していた結婚式に行くが、ロクサナは来ていないと言われる。
前に車で送ったときにロクサナを下した場所で、片っ端からベルを鳴らしてロクサナを探し、やっと会える。

二人でショマールの警察へ。
あの時、フレードを連行した兵士フセインは兵役を終えていた。
初犯だし、懇願すればお金で済むといわれる・・・・


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最初と最後のほうに出てきた場面。
カスピ海の浜辺に横たわる青年。犬が数匹、寄ってくる・・・


まとめ:景山咲子

東京国際映画祭 コンペティション部門 『ペルシアン・バージョン』 マリアム・ケシャヴァルズ監督インタビュー (咲)

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第36回東京国際映画祭 コンペティション部門 
『ペルシアン・バージョン』 The Persian Version
監督:マリアム・ケシャヴァルズ
出演:レイラ・モハマディ、ニユシャ・ヌール、カマンド・シャフィイサベット
2023年/アメリカ/ 107分/ カラー/英語、ペルシャ語

*ストーリー*
1967年にイランからアメリカに仕事のために渡った両親のもとに生まれたレイラ。1979年、イラン革命。アメリカ大使館人質事件で、両国の関係が悪化し、一家はアメリカでの定住を決める。兄8人が徴兵を心配してイランに行けない中、レイラはアメリカの音楽を隠し持ってイランを行き来する。父が入院し、家に1人残った祖母の世話を頼まれたレイラは、祖母から母たちの過去を聞かされる・・・
祖母、母、そして娘の3世代の女性の辿った人生をユーモアを交えて描いた自伝的物語。 
★さらに詳しいストーリーは、末尾に掲載しています。

★2023年10月29日(日)10時からの上映後のQ&A @丸の内TOEI も、インタビューの後に掲載しています。
公式サイト:https://www.sonyclassics.com/film/thepersianversion/



マリアム・ケシャヴァルズ
ニューヨーク生まれのイラン系アメリカ人監督。2011年のサンダンス映画 祭で上映された“Circumstance”で監督デビューし、観客賞に輝いた。3作目となる本作は、2023年のサンダンス映画祭米国ドラマティック・コンペティション部門観客賞とウォルド・ソルト脚本賞を受賞。サンダンスでは観客賞を2度受賞している。


◎マリアム・ケシャヴァルズ監督インタビュー
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監督の胸元には、ペルシア語で 「darya(海)」という文字の金のペンダント。

監督にお会いして、まずペルシア語で 「初めてイランを訪れたのが革命の1年前の1978年で、グーグーシュの曲をよく聴いたので懐かしかったです」とお伝えしたら、「日本人はどうしてペルシア語をしゃべれる人が多いの?! あなたで10人目位」 とびっくりされました。 中には、16世紀の詩人の詩を吟じてくれた人もいたと言われたのですが、後日、大学の後輩だったとわかりました。

ここからは、英語の通訳の方を介してのインタビューとなりました。

◆イラン人の誇りを持ってアメリカで暮らしてきた
― 私が革命後にイランを訪れたのは1989年10月で、ホメイニー師が亡くなった直後です。革命前と180度変わったイランでしたが、イラン人の家に行くと、アメリカの音楽や、アメリカにいるイラン人が作った曲をかけて、踊っていました。政府が禁止しても、ちゃんと入ってくると言われました。今のようなネット社会じゃないのに、劇中のレイラさん、つまり、監督のような運び屋がたくさんいたのだと思いました。

監督:確かにそうですね。政府がすべてコントロールしようとしても、文化は管理しきれるものじゃありません。制限されても情報交換もできたし、音楽も隠し持ってイランに入ることができました。人の人生はコントロールできません。 映画の最後にシンディ・ローパーの曲をペルシア語版で歌って踊っているように、英語版で持って行ったものも自分たちのものにして、皆、楽しんでいました。

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©Yiget Eken. Courtesy of Sony Pictures Classics.©Sony Pictures Classics

― いろいろな事情で、イランを離れた人たちも、ペルシアの伝統文化に誇りを持っていると感じています。

監督:私はアメリカで生まれて、ニューヨークに住んでいたけれども、初めて耳にしたのはペルシア語ですし、家の中ではペルシア語で話し、ペルシア語の学校に行きましたので読み書きもできます。料理もイランのもので育ちました。アメリカにいながら、イラン人としての誇りを持ちながら暮らしてきました。80年代にはアメリカ大使館人質事件もあって、イラン人であることが難しい時期もありました。殴られたりするので、アメリカに適応する名前に変えたイラン人も多かったのですが、我が家では、ホセインとかモハンマドといった名前を決して変えませんでした。殴られたら、自分で自分を守るように育ちました。
イランの文化と共に育ちましたが、多くの兄弟のうち2人だけイラン人であることを拒否して、ペルシア語を学びませんでした。皮肉なことに2人はイラン人と見られたくなかったのに、イラン女性と結婚しました。ようやくイラン人であることのアイデンティティを受け入れたのですが、子どもにペルシア語を教えられないので、一緒にペルシア語を習っています。私はイラン人女性としてのアイデンティティがあるから、あえてイラン人と結婚する必要もありませんでした。


― アメリカでイランのイメージが悪くて、つらい思いもされたことがあったことも含めて、監督のイランの文化的背景がこの映画を作る原動力になったのでしょうか?

監督:もちろん自分の育った環境もあって映画を作ったということもあります。イランに誇りを持って育ってきました。厳しい時代もあって、嫌な思いもしましたが、それでも誇り高いイランの伝統と文化を背負って育ってきました。アメリカではイラン人を世の中から消してしまうかのような風潮で、戦争や爆弾テロなどメディアがその面だけを出してイランを悪役のように描きました。そこに輪をかけてトランプ政権は他国籍を受け入れませんでした。そういうアメリカでも自信をもって育ちましたし、母親もまさにイラン人としての自信を持って暮らしていました。自分のアイデンティティを持って生きることができることを描きました。


◆13歳の自分を演じた少女に会って、言葉を失った母
― 『ペルシアン・バージョン』は、ほぼ本当の話とのことですが、なにより13歳で結婚したお母様の話がすごいと思いました。アメリカに来てからも資格を取って不動産業で成功されました。長年イランと関わってきて、イランの女性は強いと感じているのですが、まさに強い女性だと思いました。
お母様は、この映画をご覧になって、どのようにおっしゃいましたか?  製作中から、お母様のご協力はあったのでしょうか?

監督:前から自分の家族の話を書きたいと思っていたのですが、母から家族の話は恥になるから書いてほしくないと、ずっと言われていました。ですが、父も祖母も亡くなって、気が付いたら一番の長が母親で、もう書いていいわよと言ってくれました。兄たちからも、母が許したならいいと言われました。ストーリーを書いていく上で、母にインタビューもしました。母役の女優ニユシャ・ヌールさんも、母にインタビューしました。それでも、インタビューで母の人生の全部がわかったわけではありませんでした。
母は、トルコにリハーサルを見に来てくれました。積極的な人で、決して静かな人ではないのに、食事をしているときに、すごくおとなしくしていました。母は、13歳の時の自分の場面のリハーサルを見て、自分が結婚した時は、こんなに若かったのだ、あの時は生き延びるのに必死だったけれど、どれだけ幼い時に大変な経験したのかということを初めて認識して、声が出なかったようです。 実は、13歳の母の役をキャスティングするときに、13歳という年齢とイラン人じゃないと母の思いは伝わらないと思っていました。母が完成した映画を観てくれた時、私はドキドキしてナーバスな気持ちになったのですが、母が認めてくれてほっとしました。



― 若い時のシーリーンを演じたカマンド・シャフィイサベットさんについて教えてください。

監督:私の祖父は、シーラーズで一番大きな書店を経営していて、カマンドさんのお父さんが、まだ学生の頃に専門書を買いによく来ていました。北のほうから来た学生で住むところがないというので、祖父が本屋の裏にあるアパートの部屋を貸してあげたのですが、その頃から知っていて、その後、結婚して娘が二人生まれたのも知っていました。 今回キャスティングしたのは、次女の方です。ご両親から時代背景も聞いて、撮影に臨んでくれました。 本屋は、今は叔父が経営しています。


◆次回作は、母を演じたニユシャ・ヌールさんの脚本で!
― 大人になった母シーリーンを演じたニユシャ・ヌールさんについて教えてください。

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©Yiget Eken. Courtesy of Sony Pictures Classics.©Sony Pictures Classics

監督:母シーリーンを演じたニユシャ・ヌールさんは、素晴らしい女優です。父親が有名な撮影監督なので、本名だとすぐに娘だとわかってしまうので、ステージネームを使っています。13歳の時にアメリカに移民してきました。映画の中のダンスは全部彼女が振り付けてくれました。劇中で歌も歌っています。楽器も3種類位演奏出来る方です。子どもを産んだことはありませんが、いかにも子どもを産んだ母親だという風に演じてくれました。 
とても有能な方で、ヌールさんは脚本も書かれます。次回作は彼女の書いた『ブルーフラワー』という脚本で撮る予定です。彼女の初恋の物語で、2つの時代のラブストーリーです。


― 次回作を拝見できる日を楽しみにしています。もっと聞きたいことがあったのですが、時間が来てしまいました。今日はどうもありがとうございました。

*******
このほか、主役レイラを演じたレイラ・モハマディさんや、イランにルーツを持つ人たちを世界各地からキャスティングされたこと、そしてトルコのマルディンを撮影地に選んだことについてもお伺いしたかったのですが、時間が来てしまい残念でした。

『ペルシアン・バージョン』は無冠に終わりましたが、TIFF Timesの星取り表では、1位でした。ぜひ公開してほしい作品です。          
取材:景山咲子



『ペルシアン・バージョン』
2023年10月29日(日)10時からの上映後のQ&A  @丸の内TOEI
ゲスト:マリアム・ケシャヴァルズ(監督/脚本/プロデューサー)
MC:プログラミング・ディレクター 市山尚三

(残念ながら、取材できませんでしたので、公式サイトのYouTubeから文字起こししました。)

監督:2時間も私の家族とともに過ごしていただいて、皆さん、大丈夫でしょうか?
この度は、お招きありがとうございます。初めての来日で素晴らしい経験をさせていただいています。

市山:今年1月のサンダンス映画祭で観て、素晴らしい作品でした。招待して東京で皆さんにお見せできるのを嬉しく思います。ご家族のお話ということで、どの程度フィクションが加えられているのか背景を教えてください。

監督:(笑) ほとんど真実ですが、残念ながら母は時間を止めることはできません。映画の中で子どもが生まれるシーンがあって父に会える形にしていますが、24歳の時に父は亡くなりましたので、実際には私の娘に父は会っていません。映画では8人の兄がいますが、ほんとうは7人です。3世代の女性を描いていて、いろいろな側面から皆さんご覧になったと思いますが。それぞれの女性の物語があって、その中での真実があって、私が映画を作る中から真実が見えてきたということもあります。

― (男性)楽しい映画をありがとうございました。イランの家族をアメリカで描くということで、アメリカで作るという点でエピソードがありましたら教えてください。

監督:アメリカで作ることができたのは、それこそ奇跡だと思っています。アメリカでイラン人はテロリストと思われているところがあって、全然真実とは程遠いと思っています。私の家族や伝統を見せることで、イラン人は決してそうではないということを皆さんにわかってもらえればと思って作ったということもあります。2つの国、2つの言語を入れて作りました。プロセス自体大変でした。前から家族の物語を書きたいと思っていたのですが、母から家の恥になるから駄目だと言われていました。父が亡くなり、祖母も亡くなり、母が長老になってようやく書いていいと許可がおりました。子ども時代と違って、シネマというものがずいぶん変わってきました。バイカルチャーのものが何本か上映されて受け入れられてきて、道を作ってくれたと思います。

― サラーム。ようこそいらっしゃいました。 (ここまでペルシア語で、この後は英語で。イランの男性の方) もう少しイランがみられると思っていたのですが、ロケーションについてお聞かせください。

監督: 私の家族はイランのシーラーズから来たのですが、ニューヨークにもシーラーズのコミュニティがあります。シーラーズ自体、近代化して、昔の雰囲気が薄れています。古い地域を再現するのが難しい。くねくねした道や、映画の中の広場も、見つけるのが難しくなっています。
60年代に家族がアメリカに移民したので、祖父が故郷を忘れないようにと8mmをたくさん送ってくれていました。小さいころに見ていましたので、同じような雰囲気のところで描きたいと思っていました。最終的に出来上がったものをみて、母もかなり驚いていました。小さいときに育った環境に似ていると。父が医師として派遣された村の場面は、トルコのクルド人の住んでいる村で撮影したのですが、両親がいた頃の当時の写真がまったくなかったので、聞いた話から想像して撮影しました。20世帯位しかいない小さな村で、小さな少年が山の上まで羊を追っていくのですが、一緒についていったらどれだけハードなのかわかりました。撮影した村まで行くのも大変だったので、大都会との違いを描けると思いました。

― (女性)イランでは女性が差別されて自由がないという立場で、過去40年の女性の権利を求めるムーブメントがありますが、女性監督としてどのようなところが大変だったか教えていただけますか?

監督:ナルゲス・モハンマディさんがノーベル平和賞を受賞したのは、ほんとに素晴らしいし尊敬しています。
ムーヴメントはすぐにできるものじゃない。何年も何年も自分の信じている道を貫いてきたのです。
私が作ってきた映画には、必ず女性が中心にいます。イランの中で、女性が自分のやりたいことをやるのが難しいことは映画でも描いてきました。私も自分の母や祖母からも話を聞いてきました。今のイスラーム主義の中で、女性が学校に行くのが難しい(★注)けれど、母もそうでしたが、学校に行きたい。自分の信じていることを貫きたい。どういう風にイランの女性のことを思っていらっしゃるかわかりませんが、イランの女性は非常に強いです。なかなか諦めないのがイランの女性だと思っています。
イランの中で自由がない中でなんとか変えていきたいという気持ちがあります。13歳の母の役を演じたイランの女の子をビザを取ってサンダンスに連れてきたのですが、「アメリカに残りたい?」と聞いたら、「イランに戻って、なんとか物事を変えていきたい」と強い意志がありました。それがイランの女性なのだなと思いました。


★注:イスラーム政権になって、農村部などでは、かつて男女共学の小学校に行かせるのが心配だったけれど、男女別学になって、安心して通わせることができるという風潮もあると聞いています。また、革命後、飛躍的に女性の大学進学率が伸びて、文科系だけでなく理科系でも女性の占める率が6~7割という状況が続いています。景山咲子)

― (英語でイラン人男性) ノスタルジックな場面がたくさんあって楽しみました。一つ、イランの詩が出てきたところに、日本人のお客様にわかるように字幕があれば、もっと素敵だと思いました。

― (英語でトルコ人男性)  私自身アメリカに移民した人間なのですが、アメリカ人とは位置付けてないのですが、センチメンタルなところを感じましたし、すごく理解できるところがありました。クレジットを見ていたら、いろいろな国の人の名前がありました。トルコの村でロケをしたということで、トルコの人の名前も多かったですが、兄たちもトルコの人たちが演じていたのかなと。

監督:キャストは、母親役はアメリカに移民してきたイラン人、レイラ役は私と同じく移民した両親のもとアメリカで生まれたイラン人女性です。母の若い時の役は、イランから連れてきました。ほかのキャストも、イラン人のエッセンスを伝えたいと思ってヨーロッパやアメリカやカナダからイラン系の人を集めました。映画をアメリカとトルコで撮影しましたので、スタッフにはトルコの人も多かったです。クルーは、今はどこの映画も同じだと思いますが、非常にインターナショナルだったと思います。

― クルド地域で撮影したことで、トルコ政府から問題になりませんでしたか?

監督:トルコのクルドの村で撮影しましたが、そうとわかるようにしませんでしたので問題はありませんでした。

市山:ほかにもたくさん手があがっていましたが、時間になりましたので、これでQ&Aを終わらせていただきます。


『ペルシアン・バージョン』 
*ストーリー*
ほとんどほんとの話

ヘジャーブ姿で濃い化粧をする女性レイラ。
なんと、下は、ピンク系の水着。サーフボードを持って出かけた先は、仮装パーティー。 

歴史に翻弄された人生。故国イラン、パフラヴィー国王から、ホメイニー師に。
兄8人に娘一人。兄たちと違って、女には兵役がないので、アメリカとイランを行き来したけど、80年代、アメリカではイラン人はテロリスト扱い、イランではムスリマたちから異端視され、どちらにいても板挟み状態。
政治と科学では垣根があるけど、芸術なら大丈夫。脚本家になる!

1985年、イランは恋人だったアメリカを封印。私は、運び屋として活躍。マイケル・ジャクソンなどのカセットテープを下着の下に隠してイランに持ち帰った。空港のチェックで危ながったことも。持ち帰ったカセットテープをかけ、皆で踊った。

2000年代、ブルックリン。
スーパーマーケットで、離婚した同性婚の相手と会ってしまう。

父マジッドが心臓移植の手術を受けることになり、ニュージャージーへ。
母から、おばあちゃんを家に一人残してきたから、面倒を見てほしいと頼まれる。
シーア派ムスリムの救世主イマームザマーンに息子の無事を祈るおばあちゃん。
信心深いおばあちゃんが奇跡を呼び寄せた。父、無事手術を終える。

おばあちゃん、脚本家の孫娘レイラに、おじいちゃんは詩人だったと話す。
両親がアメリカに来た理由を知ってる?
1967年、ベトナム戦争で医者が不足して、アメリカがイランから医者を呼んだ。
1979 年、イラン革命で帰れなくなった。
実は両親は、スキャンダルがあってイランから逃れてきたのよ。

レイラ、乳がんを疑って病院にいくと、妊娠していた!
あの仮装パーティーの夜、ドラッグクイーンと寝たのを思い出す。
レズビアンが妊娠なんて!

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の看板
ドラッグクイーンに会いに行くと、「連絡を待ってた。いつぶり?」と聞かれる。
「12週間ぶり」
「ずいぶん具体的ね」
「妊娠中期に入った」
明日のお昼、ニュージャージーで家族とランチをするというと、「ぜひ行ってみたい」とドラッグクイーン。

*****
母シーリーン、90年代、移民女性として成功を収めた。
不動産業で、移民をターゲットにして、セールストップに。
まわりは、移民に?と言っていたが、可能性を信じていた。

母、勉強ができたのに13歳の時、結婚する。夫は17歳。
2人でグーグーシュのコンサートへ。
「君はグーグーシュと同い年」と夫にいわれる。
★注:グーグーシュ:1950年生まれ。革命前、国民的歌手だったが、革命後、女性の歌手は禁止されて活動できなくなった)

卒業したてで医者になった夫。
結婚後 辺鄙な村へ赴任する。
一番近いバス停からロバで一日かかる村。
料理は絶品。ソフレ(食布)にたくさんの料理が並ぶ。

村で唯一出来た友、ロヤ。
36歳だが、30歳の時に大学に戻ったという。
「今からでも遅くない」とシーリーンに語る。

2年後、夜中に夫が患者のところにいかなければと出かけていく。
妊娠して大きなお腹をかかえたシーリーンが後をつけていくと、ロヤのところでお腹の大きな彼女を診察している夫。
一人で町に帰り、女の子を産むが死産。アレズー(希望)と名付ける。

一方、ロヤがお産で亡くなったから、代わりに母乳をあげてほしいと夫が男の赤ちゃんを連れてくる。
ヴァヒドという名前。 いつか女の子を産むと誓うシーリーン。

*****

レイラ、赤ちゃんを産む。女の子。アレズーと名付ける。
母、「なぜその名前に?」と涙。

母と祖母、そして強い女たち、イランの女性たちに

皆でモスクの中庭で踊る
♪ 女の子だって楽しみたい♪   

まとめ:景山咲子



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