第34回東京国際映画祭 観て歩き(暁)

2021年10月30日(土)~11月8日(月)

今回、東京国際映画祭の会場がこれまでの六本木から有楽町地区に移ったので去年よりは移動が楽になったけど、会場はシネスイッチ銀座、TOHO日比谷、シャンテ、読売ホールなど観劇の会場そのものがいくつもになり、さらに東京フィルメックスは朝日ホール。私の足では移動に時間がかかり、結局、TOHO日比谷で上映された作品はあきらめた。
その中から東京国際はプレス試写、一般上映合わせて7本の作品を観た。フィルメックスは8本で合計15本。これまで、大体東京国際映画祭で16本くらい観て来たので、だいたい例年通りの本数になった。
ただ今回プレスセンターがTOHO日比谷で、プレス試写会場のシネスイッチ銀座と離れていたので、プレスセンターをほとんど利用できなかったのが残念だった。これまでは空き時間にはプレスセンターに寄り、情報を集めたり、記事を書いたりできたのに、今回は時間的にプレスセンターに行くのが無理でそういうことはできなかった。
プレスカードの引き取りとクロージングセレモニーの申し込みのみ。クロージングの取材申し込みがネットでしか申し込めなかったので、ネット操作に疎い私は、プレスセンターで係の人に聞きながら申し込み申請した。
去年から東京フィルメックスと同時期開催になってしまい、これまで15年近く参加していた東京国際映画祭のオープニング取材は、フィルメックスでの映画鑑賞を優先させたので去年に引き続き参加を諦めた。やはり同時開催ではなく、少し時期をずらして開催してくれたらと強く思う。フィルメックスを少し後ろにしてくれないかな~。来年は久しぶりに東京国際映画祭のオープニングに参加してみたい。
さて、映画祭で観た作品ですが、観た作品から下記作品を紹介します。

『オマージュ』 原題[오마주] コンペティション
108分 カラー&モノクロ 韓国語 日本語・英語字幕 2021年韓国
監督:シン・スウォン[신수원]
キャスト:イ・ジョンウン、クォン・ヘヒョ、タン・ジュンサン

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©2021 JUNE Film. All Rights Reserved.

今年の映画祭で観た作品で、一番印象に残ったのがこの作品。
主人公のジワンは3本の映画を撮った中年の女性監督だが、そのあとの作品がなかなか撮れないでいる。このスランプのジワンがが請け負った仕事が、韓国の女性監督の先達が1960年代に撮った『女判事』のフィルムを修復することだった。元のフィルムは音声の一部と何かのシーンが欠落していた。検閲でカットされたと思われるフィルムを探すシーン、修復の作業の過程を通してその女性監督が辿った苦難の道のりが明らかになってゆく。と同時に、今も変わらぬ女性監督たちの実情も伝わってくる。
2010年東京国際映画祭最優秀アジア映画賞に輝いた『虹』のシン・スウォン監督の新作は、韓国最初の女性映画監督へのオマージュだった。主人公を演じているのは、『パラサイト/半地下の家族』(19)で怪しい家政婦役を演じていたイ・ジョンウン。

ジワンは「安いけど意義のある仕事と、何も考えずにやれる賃金の高い仕事とどっちを取る?」と言われて、このアルバイトをすることになったけど、さりげないセリフの中にユーモアがあったり、先輩監督の苦悩の中に韓国だけでなく世界中の女性監督が被ってきた苦難を表現していたり、最後のフィルムがみつかる思わぬシーンの意外性も素晴らしく感動的な作品だった。
ホームコメディ的な作品かと思うような冒頭の息子とのやりとりのシーンからは、こういうシリアスなテーマを扱う作品だとは全然思わなかった。コメディ色が結構ありながら、ミステリアスだったり、シリアスな現実も描いていて、こういう映画の作りとてもうまいと思った。女性監督が映画を続ける上での苦労などシビアなことを扱っていながら、映画は優しさにあふれていた。
シン・スウォン監督は、「1960年代当時の非常に保守的な環境の中、自分自身や他人からの視線と闘いながら生き残ってきた女性監督たちの姿が、自分自身の苦悩と重なる思いがあったことから、いつかこれをモチーフにした映画を撮りたいと思っていた」とトークで語っていた。
昔の女性監督は大変だったけど、今も変わらないというのが残念なことではあるけど、それを表現できるということが素晴らしい。

TIFFトークサロン『オマージュ』の情報 

東京国際映画祭2021のレポ(白)

今頃ですみません。
東京国際映画祭(TIFF)の会期中10月30日(土)~11月8日(月)の10日間分のレポートをスタッフ日記に書いています。こちらにもまとめておきます。(白)

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TIFF開幕 1日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484139431.html

TIFF2日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484153797.html

TIFF3日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484170450.html

TIFF4日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484187511.html

TIFF5日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484203201.html

TIFF6日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484216652.html

TIFF7日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484231637.html

TIFF8日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484245921.html

TIFF9日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484273000.html

TIFF10日目
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484274443.html

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東京国際映画祭 トルコ映画『最後の渡り鳥たち』TIFFトークサロン (咲)

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©IEDB Film

アジアの未来 共催:国際交流基金アジアセンター
『最後の渡り鳥たち』  *ワールド・プレミア
原題:Turna Misali  英題:The Last Birds of Passage  

監督:イフェト・エレン・ダヌシュマン・ボズ
出演:シェンヌル・ノガイラル、ネジメティン・チョバンオウル、ティムル・オルケバシュ
2021年/トルコ/トルコ語/99分/カラー

*物語*
トルコ南部メルスィン。海が遠くに見える高台。
年に2回、夏と冬に400キロの旅をするノマド(遊牧民)も、今や120名(家族?)。
ヤギを追う男や子どもたち。住民から、「なぜ毎日ここを通る?」と言われる。
徒歩での家畜移住禁止令が出る。トラックでヤギを移動させることに遊牧民の女家長ギュルスムは反対。徒歩移動はヨリュク民族の伝統なのだ。
一方、娘ルキエの夫は、ラクダよりもトラクターの方が便利だとギュルスムと対立している。
当局が定住用住宅を建て、25年ローンで売るという。水もお湯も出る。暖房も自動と言われ、膝の悪いギュルスムの夫ジェマルは定住に乗り気だ。
「定住用住宅はコンクリの墓。死ぬ前から行くのか」とギュルスム。
夫と二人で定住住宅を見に行き、先に定住した知り合いの女性たちに会う。洗濯機は水道代が高くつくから手洗いしているという。定住した男も、遊牧が懐かしいという。
フェスティバルでカシュックダンスを踊るノマドたち。
伝統と近代化の間で揺れる中、移動の時期が近づく。
火を焚き、雨が降りますように、草が乾かないよう、高地への旅が続きますようにと祈る。
いよいよテントをたたみ、ラクダに荷を積み出発する・・・



TIFFトークサロン
『最後の渡り鳥たち』
2021年11月5日 19:00~

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登壇者:イフェト・エレン・ダヌシュマン・ボズ(監督/脚本/プロデューサー)
モデレーター:石坂健治

石坂:長いお名前ですが、今日はエレンさんとお呼びしていいでしょうか。まず、ひとことお願いします。

監督:イスタンブルからこんばんは。TIFFで上映されるのをうれしく思っております。そちらに伺えませんが、行ったも同然と思っております。

石坂:冒頭、映画の舞台や登場人物が説明されていますが、あらためてご説明お願いします。

監督:舞台はトルコの南部メルスィンで、イスタンブルからは遠いところです。

石坂:複数の方からキャスティングについて、本物のノマドの方が出演されているように見えましたがという質問がきています。
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©IEDB Film
監督:メインのキャストはプロの役者です。お婆さん役シェンヌル・ノガイラルもトルコで有名な女優です。唯一、2歳の赤ちゃんのみ実際の遊牧民の子どもです。エリフ役やタシュバシュ役は、まだプロにはなっていないのですが、メルスィンで演劇を学んでいる学生さんです。もちろん、エキストラとして実際の遊牧民の方たちも出演しています。

石坂:脚本もご自身で書かれていますが、ノマドの暮らしについてはかなり取材されているのでしょうか?

監督:共同脚本の夫エイブ・ボスはプロデューサーであり撮影監督でもあるのですが、彼とともに4~5年かけて入念なリサーチをしました。エイブは13年前にノマドについてのドキュメンタリーを撮るために一緒に暮らしていたこともあります。私どもはノマドについて以前から知ってはいたのですが、あまり詳しくは知りませんでした。ドキュメンタリーの制作を通して彼らと一緒に過ごしたことで彼らの生き方にインスパイアされて、今回の作品にいたりました。彼らといろいろ話して、彼らについての本も読みました。

石坂:ノマドの人たちはトルコ人と外見で違いがわかるのでしょうか?

監督:女性に関しては、とてもカラフルな服装をしていますので、すぐにわかります。赤と青などとても元気の出る色を着ています。男性は服装に関しては特に特徴はないのですが、エイブとも話したことがあるのですが、薄毛の人は少ないです。ノマドの男性は頭髪が豊かです。外の風にあたって健康的なものを食べているからかなと思います。子どもたちも明るい色の服装をしています。
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©IEDB Film
石坂:女主人公の存在に強い印象を受けました。イスラームでは家父長制と思っていたのですが、女性のほうが強い。トルコではよくあることなのか、もしくはノマドの特徴なのでしょうか?

監督:決してギルスムだけでなくノマドの中では女性が重要で、女性が決定権を持っていることが多いです。男性のほうがノマドの暮らしを捨てて定着することが多くて、女性のほうが遊牧を続けていることが多いです。

石坂:『最後の渡り鳥たち』というタイトルに、今、撮らなければいけないという思いを感じました。

監督:この映画を作ったメインの目的は、まさにそこにあります。声を大にして、彼らの好きなように彼らのスタイルで生活させてあげてください、彼らを歩き続けさせてあげてくださいと言いたいのです。彼らは歩きたいのです。暮らし方は賢いものです。彼らと時を一緒に過ごして、自然との特別な関係を保っていることがよくわかりました。それは大変重要なことですし、私たちは彼らの声となって伝えたいと思いました。

石坂:ノマドに対して、トルコでは学校教育をきちんとする対応をとっているのでしょうか? 差別や偏見はあるのでしょうか? 後半にフェスティバルでノマドが行進する場面がありましたが、差別をなくす試みとして行われているのでしょうか?

監督:トルコの文化の中では、どのような立場の人も自分のルーツはノマドにあるといいます。彼らの生活や哲学が好きだというのですが、反面、実際彼らが移動する地区の人たちは彼らを歓迎していません。移動するのがだんだん難しくなっています。草が豊かに生えるためには水が必要なのですが、水源が工場に取られたりしているのが実情です。暮らしはますます過酷になっているのが現状です。彼らの暮らしに憧れて、リゾートのように2日間や1週間位一緒に暮らしたり、彼らからチーズを買ったりする人たちもいますが、当局としては定住してほしいと思っています。移動されるとコントロールできませんから。お祭りのシーンで認知されているように見えましたが、もてはやされますが、祭りが終われば忘れ去られてしまいます。子どもたちもなかなか良い教育を受けることができません。学校の始まるころにちょうど移動するので、定住して学校に通えるようになった時には学期の途中で勉強が遅れてしまいます。また学年の終わるころには移動しなくてはならないので、1学年をちゃんと終えることができません。学校の教育問題も取り上げたいと思って、学校の先生を登場させました。

石坂:ラストのほうで、研究者のような男性が一緒に遊牧についていきますが、小さな希望とみていいでしょうか?

監督:研究者をいれたのはそういう意図です。ノマドの生き方はとてもパワフルで、継続させるべきだという人もたくさんいます。研究者である男性教師が一緒に移動することで希望を表したいと思いました。

石坂:車椅子の女性は、怪我をした男性にスカーフを差し出したりしていますが、親からはアバズレと言われています。女性が男性に親切にするだけでアバズレと言われてしまうのでしょうか?

監督:決して一般的ではありません。あのシーンを私たちはとても気に入っています。お父さんもお母さんもあまり教育を受けてなくて視野が狭いので、娘を罵倒しています。でも、若いカップルはいずれも障がいをもっています。片方は身体的に、もう片方は精神的にという違いはありますが。二人はとてもナイーブで純真で、お互いに惹かれあっています。周りの人からみれば、ただただ障がい者と思われているのですが、決してそうではないと私は考えています。

石坂:スカーフについての質問がきています。おばあさんは寝ているときもスカーフを被っています。娘さんは寝るときにははずしています。小学校の女の子は、山の青空教室ではスカーフをしているのに、町の学校では外しています。どのような考えで、あのような演出をされているのでしょうか?

監督:リアルな姿です。トルコでは文化的な意味と政治的な意味の両方があります。文化的なとらえ方で映画ではスカーフを描いています。祖母の時代はずっとスカーフをしていました。私はそれを自然な姿だと見て育ちました。ノマドに関しては、日中着ている服のまま寝ます。寝巻は持っていません。ルキエは夫とともに寝るので、スカーフを外しています。そして、トルコでは10年前まで学校ではスカーフを被ってはいけませんでした。今はそうでもありません。(末尾を参照ください)少女は、学校ではほかの子と同じようにスカーフをはずして、目立たないようにしています。

石坂:ヤギが可愛かったです。ノマドにとって家畜であると同時にペットでもあるのでしょうか?

監督:彼らはヤギたちと一緒に暮らしていて、病気になったらテントの中に入れて介護します。子どもたちは、ペットのように遊んでいます。赤ちゃんやぎはテントの中に入ってきて一緒にじゃれあっています。今一緒に遊べないから向こうに行っててよと子どもたちが話しかけたりしています。赤ちゃんヤギだけじゃなく、大人のヤギも中に入れています。もちろん、肉を食べたりもするし、ミルクを飲んだり売ったりもするのですが、まさにペット同然の存在だと思います。

石坂:まだまだ質問がきているのですが、時間がきてしまいました。

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*スクリーンショットタイム*

石坂:最後にひとことお願いします。

監督:作品を受け入れて上映してくださってありがとうございます。私たちがノマドの声となり伝えることができ、お礼申しあげます。


**********

★トルコでのスカーフ問題★
このTIFFトークサロンの中で、気になったのが、トルコでのスカーフ問題です。監督は政治的にとらえる意図はなかったと語っていますが、「トルコでは10年前まで学校ではスカーフを被ってはいけませんでした。今はそうでもありません」という部分が、とても気になりました。

トルコでは1980年以降、政教分離政策の一環でイスラーム教徒の女性が公共の場でヒジャブ(スカーフ等)を着用することを禁止してきました。
最後にトルコを訪れた2006年に感じたのは、大都市イスタンブルはじめ各地でスカーフでしっかり髪の毛を隠した若い女性が増えたことでした。それも古風な被り方ではなく、比較的派手な柄のスカーフで、おしゃれにしっかり。信仰の証というより、それがトレンドなのかと感じるほどでした。

2008年6月第1週のスタッフ日記にこんなことを書いていました。
5日(木)帝国ホテル「孔雀南の間」で、オスマントルコ時代の女性用民族衣装展。ギュル大統領ご夫妻によるテープカット。
このとき、大統領夫人はスカーフでしっかり髪を隠されていて、政教分離をうたうトルコの大統領夫人が公式の場でこのように髪を隠すのはどういうことなのかと思ったのでした。
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調べてみたところ、下記のような事情がわかりました。
2008年2月、イスラーム系の与党・公正発展党(AKP)政権の主導で国会でイスラーム教徒の女性に大学構内でのスカーフ着用を認めた憲法修正が可決されました。ところが6月5日、憲法裁判所がこの憲法修正を憲法が定める世俗主義の原則に反するため無効との判断を下しています。

そして、その後の状況:
与党・公正発展党(AKP)は段階的に公共の場でのヒジャブ着用禁止を解除。2013年には大学生と官公庁職員、2014年には中高生に着用を許可したほか、昨2016年8月には対象を警察官に拡大。軍隊はスカーフ着用が認められていない唯一の政府機関で、政教分離の牙城とされてきたが、2017年2月、女性兵士のスカーフ着用が許可された。

現エルドアン大統領は「着用禁止は反自由主義的な過去の遺物」と断じています。
2020年7月、エルドアン大統領は世界遺産の旧大聖堂で博物館のアヤソフィアを、イスラーム教の礼拝の場であるモスク(礼拝所)に変更。
1934年にモスクだったアヤソフィアを博物館に変更したのは初代大統領ケマル・アタチュルクでした。政教分離をうたって独立したトルコ共和国ですが、今後、どうなるのでしょう・・・

たかがスカーフ、されどスカーフ。外国人にも着用を強制しているイランでは、女性たちが着用は自由意思にまかせてほしいと命がけで運動しているのも忘れてはなりません。

景山咲子




東京国際映画祭 『ザクロが遠吠えする頃』 ~アフガニスタン内戦をイラン女性が描いた作品~ (咲)

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アジアの未来 共催:国際交流基金アジアセンター
ザクロが遠吠えする頃
英題:When Pomegranates Howl  ペルシア語題:Vaght-e Chigh-e Anar   
監督:グラナーズ・ムサウィー
出演:アラファト・ファイズ、エルハム・アフマド・アヤジ、サイーダ・サダト
2021年/アフガニスタン・オーストラリア・オランダ・イラン/80分/カラー/ペルシャ語他

*物語*
内戦が続くアフガニスタンの首都カーブル。父を亡くした9歳の少年ヘワドは路上でザクロを売り一家を支えている。家では母が叔父から意に添わぬ再婚を勧められている。
結婚式で太鼓に合わせて踊る女性たち。女部屋で紅茶を配るヘワド。結婚披露の宴が盛り上がる最中、爆撃される。
ある日、ヘワドはオーストラリア人の記者から声をかけられ、友人ナウィドと一緒にカメラの前に立つ。映画を撮りたいと言われ、俳優になる夢を膨らませる。
後日、記者が来て、爆発があった村に行くので今日は映画を撮れないと言われる。記者から、「息子に靴を買うから選んで」と頼まれ、もう1足、ヘワドの分も買ってくれる。
ヘワドは映画に出たい子を集めてカメラテストの真似をする。
子どもたちが集っていたとき、突然上空に飛行機が現れ銃撃される。八方に散らばる子どもたち。ヘワドもナウィドも倒れる。雪の中で泣き叫ぶ母と祖母。
オーストラリア隊員を運ぶヘリを攻撃されたと誤認して二人の子を殺してしまったというニュースが流れる・・・

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映画の最初のほうで描かれた結婚式最中の爆撃。アフガニスタンでは、結婚式で祝砲をあげるのが習わしで、それを宣戦布告と誤認して攻撃するという悲しいニュースを時折耳にします。ソ連、アメリカ、ターリバーン、イスラム国と、様々な勢力が入れ代わり立ち代わりアフガニスタンで権力を握り、市民を犠牲にしてきました。無責任にアメリカ軍が撤退し、今またターリバーンが台頭。凧揚げも、音楽や踊りも映画も禁止され、女性たちが学ぶ機会や仕事を奪われる時代に逆戻りしてしまうのでしょうか・・・(咲)


◎TIFFトークサロン

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イラン出身で、1997年よりオーストラリアで暮らすグラナーズ・ムサウィー監督と、リモートでQ&Aが行われました。

2021年11月6日 東京19:30~

登壇者:グラナーズ・ムサウィー(監督/脚本/製作)
モデレーター:石坂健治

石坂:TIFFにお招きできて光栄です。

監督:映画祭の皆様、私の映画を選んで上映してくださいまして、ほんとうにありがとうございます。お時間を作って私の映画を観てくださった皆さまにも心からお礼申しあげます。

石坂:オーストラリアでしたら、時差はあまりないのでしょか?

監督:メルボルンで夜の9時半です。2時間しか時差はありません。

石坂:『When Pomegranates Howl(ザクロが遠吠えする頃)』というタイトルに込めた思いを教えてください。

監督:映画作りに入る前に、詩をたくさん書きました。私のルーツは詩にあると思います。ストーリーを書いているときには、必ず題名についても考えています。一つ一つの言葉が大事なようにタイトルも大事です。
ザクロはアフガニスタンにたくさんあって、アイデンティティのモチーフの一つといえると思います。食べる以外に、ザクロジュースを売っていたりします。戦争のグレーの世界の中で赤いザクロは目立ちます。戦争で苦しんでいる子どもたちの一人一人がザクロの粒のように見えてきました。ばらばらになった実が戦争に苦しむ悲惨な子どもたちのように思えます。


石坂:ここから観客の方からの質問です。アミール・ナデリ監督に捧ぐとありました。日本でもお馴染みの監督ですが、ナデリ監督とはどんな関わりがあったのでしょうか?

監督:この映画を必ずナデリ監督に捧げようと思っていました。イランのもっとも名前の知れた巨匠のひとりです。たくさん学んだことがあります。私自身、ナデリ監督の映画の魂から影響受けました。映画のためには怖いものはない。すべて必ず越えて映画を作っていきます。それを学ぼうとしました。ナデリ監督の『期待(Waiting)』(1974年)という短編で、扉から女性の手だけが出てくる場面があります。私の映画にも、その場面を入れました。すべてを映画に捧げたナデリ監督に私の映画そのものを捧げたかったのです。

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東京フィルメックス 特集アミール・ナデリ監督 『期待』 Q&A (咲)
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/462848623.html
(2018年11月)

石坂:キャスティングについて、皆さんお聞きになりたいようです。主演の少年たちをはじめ、素人の子どもたちでしょうか? どのように指導されたのでしょうか?

監督:アフガニスタンで映画を撮るために、1年半くらい住んで、少しずつ準備をしました。戦場にいるような状況で、いつ爆発があるかわかりません。家に帰ってくると、鏡を使って車の下に爆弾が隠されてないか、まずチェックしました。オーストラリアのパスポートで来ているので、危険はないかと考える必要もありました。
アフガニスタンでは、たくさんの民族が一緒に住んでいて、今のアフガニスタンでは、民族どうしのぶつかりで問題が起こっているように思えます。私の人生の中では、人々を近づけて友情関係を作ることが一番の目的です。映画を作るときも、主たる大きな3つの民族を全部入れて作りました。パシュトゥーン、タジク、ハザラの子どもたちを全部入れましたし、キャストもスタッフもそれぞれの民族を入れるようにしました。
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いろんな民族から選ぶために西から東までずっと旅をしました。東のジャララバードで主役の子を選んだのですが、後から思えばとても幸運でした。彼を選んで連れてきたあと、ISIS(イスラム国)が入ってきて、行けなくなりましたので。ほかの子どもたちはカーブルで選んだのですが、いろいろな民族の子を選んでいます。

(注:映画を観ていた時に、二人の子が片方はダリ語、もう一人はパシュトゥー語で話している場面がありました。あれ?っと思ったのですが、そういう事情だったとわかりました。もっとも、アフガニスタンでは、両方の言葉が国語で、お互いにわかるらしく、違う言葉をしゃべっていても会話は成立するのだと思います。)

石坂:イラン生まれでオーストラリアにお住いの監督が、アフガニスタンでこの映画を作ろうと思ったきっかけをお聞かせください。

監督:大きな二つの理由があります。イランで生まれましたが、隣のアフガニスタンとは同じ歴史や文化や言葉を持っています。隣りの人が苦しんでいたら、私も一緒に苦しみます。彼らの痛みは私の痛みです。オーストラリアで大学に入って、その後、ずっと住んでいるので、第二の故郷です。亡くなった父や祖母のお墓もオーストラリアにあります。そんな私ですが、アフガニスタンがどういう状態にあるのか気になっていました。
映画のストーリーは、現実に基づいたものです。テレビを観ていたら、オーストラリアの防衛大臣がアフガニスタンのことを話していて、聴いていたら悲しみが心の中から湧いてきて、同じ言葉をしゃべっている隣の国に生まれたイラン人である私に何かできないかと思いました。私にできることは映画しかありません。それが、この映画を作る一番のきっかけです。この防衛大臣の言葉が一番のきっかけでしたので、防衛大臣取材の場面を映画の最後に入れています。
時間をすごくかけてストーリーを書きました。リサーチして、アフガニスタンのプロデューサーのバヒール・ワルダック(Baheer Wardak)さんからも話を聞きました。政治を勉強した人でしたので、いろいろ話を聞かせてくれました。戦場のようなところで、ロケできるかどうかと思って、パキスタンで撮ろうとも思ったのですが、やはりカーブルで撮らないといけないと思いました。苦労はあっても現地で撮ったほうがいいとプロデューサーからも言われました。ロケーションも映画のキャラクターの一つになりました。 イランの女優で監督でもあるマルジエ・ワファメール(Marzieh Vafamehr)さんがアレンジしてくださって、撮影や音声などすべてのチームをイランから連れてきてくれました。一人一人に心から感謝しています。彼らがいなければアフガニスタンで撮れませんでした。チームのアシスタントは、アフガニスタンのローカルの人たち。ほぼ完成したところで、オーストラリアのプロデューサーがプロジェクトに入ってくれて、アデレードの映画祭に紹介してくれました。一人一人が、映画に何かを足してくださっています。
12年前にアジアフォーカス・福岡国際映画祭にデビュー作『私のテヘラン』を出しました。今回イランからのスタッフすべてをアレンジしてくれたマルジエ・ワファメールが主役です。また二人で、1本映画を作って日本に持ってきた感じです。


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アジアフォーカス・福岡国際映画祭2010
『私のテヘラン』(2009年/イラン・オーストラリア)主演女優のマルジエ・ワファメールさん(左)とグラナーズ・ムサウィー監督。どちらも美人!今度はマルジエさんがグラナーズさんを主演に映画を撮りたいと語っていました。(撮影:景山咲子)

石坂:映画が出来上がったところで、大きくアフガニスタンが変わって、この映画の持つ意味がまた違って重くなったと思います。今、どんな風にお考えですか?

監督:私が作ったのは現実に基づいたストーリーで、子どもたちの運命が描かれています。アフガニスタンは20年間ではなく40年間、戦争が仕掛けられた国です。私は戦争を批判する側なので、ある時期の小さな部分しか語っていないのですが、40年間いろんなことが起こって、今のアフガニスタンがあります。今の現状をまるで予言したような映画になっているかもしれません。今でもアフガニスタンにいたら、同じように戦争の中にいる子どもたちを描くと思います。

石坂:最後のメッセージを!

監督:日本について考えていて、いつか『アフガニスタンの娘 in Japan』を作りたいと頭の中で考えています。今回は東京に行けませんでしたが、東京に行って、映画関係のいろんな人と会ってエネルギーを貰いたかったです。大好きな町にいつかぜひまた行きたいです。今回、私の映画を紹介する機会をくださった東京国際映画祭の皆様に心からお礼申し上げます。



グラナーズ・ムサウィー初監督作品
『私のテヘラン』
2009年/イラン・オーストラリア/95分
*物語*マルジエは女優の仕事を続けたいのに、規制があって満足のいく芝居になかなか出会えない。オーストラリア国籍を持つイラン人男性と恋に落ちた彼女は、結婚して移住したいと願うが、健康診断でHIVに感染していることがわかり、恋人との関係も破綻する。密出国を決意した彼女は持ち物を売り払ってオーストラリアを目指す。

赤裸々に描いた衝撃的な作品でした。
イランで許可なしに撮ったもので、撮って逃げる、撮って逃げるという状態で完成させたもの。イランでは上映許可もおりていません。抑圧されている中で、自由を求めてもがく女性たちの姿が描かれた作品。
シネマジャーナル80号にインタビューを掲載しています。

まとめ:景山咲子



★『ザクロが遠吠えする頃』関連の画像:東京国際映画祭のサイトより




東京国際映画祭 『ある詩人』ダルジャン・オミルバエフ監督インタビュー (咲)

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©Kazakhfilm

コンペティション部門  ★最優秀監督賞
『ある詩人』 英題:Poet  原題:Akyn  *ワールドプレミア
監督:ダルジャン・オミルバエフ  Darezhan Omirbaev
出演:エルドス・カナエフ、クララ・カビルガジナ、グルミラ・ハサノヴァ
2021年/カザフスタン/カザフ語/105分/カラー

*物語*
若い詩人ディダルは、文壇に認められず、小さな新聞社で働いている。
オフィスで、資本主義と言葉の関係を議論している男たち。フランスでさえ、論文の半分が英語。人類の言語と文化はいずれ一つになるのではないか。そんな中で詩人は闘っているのだ。ディダルは、権力に抗って処刑された19世紀の詩人マハンバトゥに思いを馳せる…。

◎ダルジャン・オミルバエフ監督インタビュー

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2021年10月31日(日) 20:30~21:00
来日の叶わなかった監督と、リモートでインタビューの時間をいただきました。

監督:2012年10月、東京国際映画祭で『ある学生』が上映されたときに、娘と一緒にお邪魔しました。

― 実はその時のことを、まずお伝えしようと思っていました。お嬢様、日本のアニメが好きとおっしゃっていました。

監督:今、娘がそばにいます。 (画面にお嬢様が現れました。)
お嬢様:大人になりましたが、今でも日本のアニメが大好きです。(笑顔で手を振ってくださいました)

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2012年10月25日(木)
東京国際映画祭『ある学生』のQ&A。カザフスタンのダルジャン・オミルバエフ監督がドストエフスキーの「罪と罰」を映画化。なんともいえない空気感の漂う作品でした。小説そのものをなぞって映画にしたのではなく、モチーフを使って構成。殺人が金目的ではなく、精神的不平等が原因であることを描いていると説明されました。日本のアニメが大好きという中学生のお嬢さんが学校を休んで一緒に来日。ほのぼのとした撮影タイムとなりました。


◆文字を読まなくなった時代を憂い詩人を主人公に
― 今日、映画を拝見したのですが、冒頭、各民族固有の言語や文化が科学技術の発達で、どんどん淘汰されていくという残念な傾向を細かい数字を出して説明していらして、まず、現状に驚きました。

監督:世界は残念ながら一つの言語に統一されていく傾向を感じています。

― 一方で、本作はカザフの文化がテーマですが、普遍的な映画になっていると思いました。

監督:おっしゃる通りだと思います。より広い範囲で捉えれば、芸術全体を説明している映画だと思います。本作は詩人をテーマにしましたが、音楽家や画家を主人公にすることもできました。今回、文章に携わる詩人にしたのは、今の時代、文章を読む人がどんどん少なくなっていると考えたからです。画像や映像など、よりビジュアル的なものに興味を持つようになっていて、テキストを読まなくなっています。
今回の映画を作る最初のきっかけは、ヘルマン・ヘッセの短編で、小説家が地方都市での朗読会に招かれて行ったら、誰も来なかったという話です。それを読んだのが最初のきっかけなのですが、広義に捉えれば、芸術家全体が直面している問題といえます。


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©Kazakhfilm


◆時を経て認められた悲運の詩人マハンバトゥ
― 映画の中に19世紀の「イサタイとマハンバトゥの戦い」が出てきました。「文化の対立で、カザフが遊牧の生活様式を守る戦いだった。西洋が勝った。遊牧民の持っていない科学技術に負けた」という部分が気になりました。 詩人が戦いを鼓舞したということも知り興味を持ちました。

監督:私の考えですが、ほんとうに優秀な才能は、政治とは関係なく、また、その国の状況とは関係なく誕生してくるのは自然の摂理だと考えています。今のヨーロッパのように福祉が整い社会的に発達した国では、あまり優れた芸術家は生まれていません。一方、いわゆる貧しい国や戦乱の起きている国で才能ある芸術家が生まれています。

― マハンバトゥの遺骨を掘り返し、霊廟を建てて埋葬しなおしたのは、まだソ連時代なのでしょうか? 最後に出て来た美しい霊廟は実際に建てられたものなのでしょうか?

監督:マハンバトゥという詩人は実在で、遺骨をめぐる部分はすべて事実に即したドキュメンタリーといえます。60年代、遺骨を発掘した直接の原因は、私の記憶ではロシア人の学者が頭蓋骨をもとに生前の姿を再現する技術を開発し、それをマハンバトゥに適用してみたかったというのが発掘のきっかけでした。その後、70年代、ソ連の中で、グルジアのトビリシに神殿が作られたのですが、カザフスタンでも同じような神殿を作りたいという動きがあって、そこにマハンバトゥの遺骨を埋葬したいという話がありました。けれども、この神殿の建設は実現しませんでした。
60年代に遺骨の採骨と研究調査を行った考古学者がモスクワに異動することになって、遺骨は親族である女性に移譲されました。そのあと、ソ連の政権交代や崩壊があって、カザフスタンが独立したあと、墓廟が建てられて埋葬されました。
一連の出来事は、カザフ文化の歴史の中ではあまりよくない歴史だと思っています。発掘されてから10数年間、あたかも誰にも不必要なもののように放置され続けてきたからです。これもまた 詩人の運命を象徴していると思います。生前も悲劇的な人生を送り、亡くなった後も悲しい運命をたどりました。

― 美しい霊廟は本物ですか?

監督:はい、本物です。

― 詩人の悲しい歴史がありながら、美しい霊廟に少し救われ気持ちがします。

監督:悲劇的な運命をたどりましたが、最終的には彼は詩という芸術をもって勝利を収めたと思います。今でも、カザフスタンの多くの人が彼の詩を暗唱できるくらい広く知れ渡っています。時間こそが彼の勝利を明らかにしました。


◆映画の形式にも注目してほしい
― 今のお話を聞いて嬉しく思いました。独自のカザフスタンの文化を大事にしたいという思いが、今のカザフスタンでは強いのでしょうか?

監督:もちろんそうです。大事にしたいと思っています。どの民族も同じだと思います。

― 言語の面では、ソ連から独立しても、ロシア語とカザフ語半々の状況なのですね?

監督:おっしゃる通り、二つの言語が主として話されています。その件について、私は職業としての言語学者でも文学者でもありません。私は映画を撮るのが仕事です。今回の映画の内容についてお話しましたが、映画の形式も重要だと思います。音楽にいろいろな形式があるように、映画言語というものがあります。それも重要だと考えております。

― 今回の映画も監督の力量を感じました。次の作品も楽しみにしています。
(映画言語についての私自身の知識が薄っぺらで、監督に深い質問をすることができず、申し訳ない限りでした。)

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監督:スパシーバ (ロシア語で「ありがとう」)

― ラフマット (カザフ語で「ありがとう」)

監督:お話しできて嬉しかったです。日本に行ったことがあって、ご無沙汰しているのですが、日本語がわからないながら、聴くのが心地よくて、今日は嬉しかったです。

取材:景山咲子
  
*監督の写真は、東京国際映画祭事務局よりご提供いただきました。


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<第34回東京国際映画祭>
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