SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 『別れ』ハサン・デミルタシュ監督インタビュー

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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 国際コンペティションで上映された「トルコ映画『別れ』。報告がすっかり遅くなりました。


『別れ』 英題:Separation
監督:ハサン・デミルタシュ
出演:メフメト・アリ・イゾル、ハリル・デミル、チチェク・テクデミル、サルベスト・カルカン
2023年 / トルコ / 90分

*ストーリー* 
1990年代、トルコ東部マルディン郊外のクルドの村。
7歳のアリーの祖父ハミットは、5年前に他界した祖母の墓に毎日白い花を手に通っている。
マルディンで再びクルドの奇襲から守るために戦闘が起きたとのニュースが流れる。
ある日、村長が家長の男たちを集め、政府から、政府軍につくか、村を去るか1週間で選べといわれたと伝える。
銃は持てないと、ほとんどが村を出ることを選ぶ。
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©Hasan Demirtas
家を出る前日、祖父は夜中にお墓を掘り起こし、せめて一握りの骨をと包む。
20時間かけてイスタンブルに着き、伯父の家をめざす。
「長男のいるドイツに行くからそれまで泊めてほしい」と父。だが、ドイツ領事館に行くとビザの発行は停止中といわれる。結局、伯父が家を世話してくれる。
ある日、アリーが公園にいって、雨の中、家に帰ると祖父が亡くなっていた。
「村に連れて帰って、祖母の隣に埋葬しよう」と父・・・
https://www.skipcity-dcf.jp/2024/films/intl07.html



◆ハサン・デミルタシュ監督インタビュー
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― 監督が何歳の時にマルディンを追い出されたのですか? その時のことを覚えていますか?

監督:7歳の時です。はっきり覚えています。家ではクルド語を話していました。

― 監督の生まれ育った村で撮影したのでしょうか?

監督:私の村ではないけれど、近くのeski kaleで撮影しました。

ー 撮影期間は?

監督:10日間です。イスタンブルの坂道の場面もマルディンの町で撮影しました。俳優をイスタンブルに連れていくのに費用もかかりますので。資金が4000ドルしかなかったので、自分で何役もこなしました。撮影も、人に頼むと支払いができないかもしれないので、自分でしました。

― 強制移住させられた時に、亡くなられたおばあさんの骨を持って出れなかったことが、本作のきっかけになっていると伺いました。

監督:小さい時に祖父から祖母の骨を持っていければよかったと一言聞いたことから映画を作りたいと思ったのです。祖父の一言が私を映画監督にしました。映画の中では、町を出る時におばあさんの骨を持って出ていくシーンを入れています。

― 映画を作りたいと思うような、影響を受けた映画があるのでしょうか?

監督:なんの映画も観たことがありませんでした。お祖父さんの一言で、いい教育を受けて、いい成績をとって、映画を作るんだと決めたのです。

―お祖父さんの一言で映画監督になったというのがすごいですね。
演じた方について教えてください。

監督:祖父と父役はプロの俳優です。子役はマルディンの村の子たちです。
私の父も村人の一人として出演しています。セリフはありませんが、声の綺麗なウズラの鳥は父のウズラです。
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©Hasan Demirtas

―お祖母さんの肖像画が出てきましたね。

監督:祖母の絵はお祖父さんが貸してくれました。

― 絵の裏に空になったハチの巣がありましたね。

監督:偶然にもハチの巣がついてました。面白いと思って、映画に入れました。

― トルコでは、ハチの巣に入ったままの蜂蜜をよく売っていますよね。

監督:絵の裏のハチの巣には、もう蜂蜜はありませんでした。

― 「アデューレ」というクルドの歌が素敵でした。

監督:クルドの人が皆知ってる詩ではないのですが、100年ほど前のイランとの戦争の時に、兵士が妻に宛てて歌った詩です。

― クルド語が使えない時代もありましたが、今はクルド語も使えるし、このような映画も作れるようになってよかったと思います。

監督:ほんとによかったと思います。90年代にはクルド語が禁止されていましたが、今は使用が許されています。
イスタンブルに移住した時には、トルコ語は母語じゃないので話せなくて大変でした。今ではトルコ人にトルコ語を教えるほどになりました。

― 今は学校でクルド語も教えているのでしょうか?

監督:公立学校ではなく、クルド語はプライベートな学校で教えています。

― 私もクルド語ができるとよかったのですが。

監督:蕨には、クルド人が多いと聞きました。

― クルド人の新年「ネブロス」を祝うお祭りが、川口や蕨の公園で行われるのですが、何度か行ったことがあります。
ところで、ご両親はお元気ですか?

監督:両親は今、マルディンにいます。父は教会の飾り壁などを作っています。
父はイギリスで教会建築を学びました。

― マルディンには、様々な宗派の教会や、モスクがあって、素敵な町ですね。
マルディンで、『ペルシャン・バージョン』という映画を、アメリカ在住のイラン女性であるマリアム・ケシャヴァルズ監督が撮影しています。イランでの話をイランでは撮れないので、マルディンで撮影したとおっしゃってました。
マルディンのモスクで撮影したほか、郊外をイランの村としています。

監督:その映画は知りませんでした。

― 『消えた声が、その名を呼ぶ』(原題:THE CUT、ファティ・アキン監督)は、マルディンを追い出されたアルメニア人の話ですが、マルディンでは撮影していないようです。
かつては、東トルコには、クルド、アラブ、アルメニアなど様々な人が暮らしていた時代がありましたね。 

監督:母方の祖母がアルメニア人で結婚するときにイスラームに改宗しました。

― 今後の計画は?

監督:次の映画の構想はもちろんあります。 最近、マルディンに映画学校を作りました。アメリカにいる学生とはオンラインで授業をしています。

― 次の作品も楽しみにお待ちしています。ありがとうございました。


★このインタビューの前に取材したQ&Aの内容です。

2024年7月15日(月)11時からの上映後 Q&A
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監督:アリガトウゴザイマシタ。日本はとても大好きな国。小津監督の『東京物語』や、サムライの国。

司会(中西):作品を作られた背景は?

監督:私の祖父の話です。1995年に村を出たのですが、妻の骨を一緒に持って出ればよかったと聞いたのがきっかけです。

★会場から
― 考えさせられる映画でした。優秀なドキュメンタリー監督が初ドラマ作品をお祖父さんの話にしたことをもう少し詳しく教えてください。
日本でのクルド人の印象はよくありません。ここ川口には大勢クルド人がいるのですが。クルド人の何を理解することが大事でしょう? トラブルをなくすにはどうすればいいでしょうか?

監督:祖父の話をドキュメンタリーではなく、フィクションで語りたいと思いました。世界にいろいろな問題があるように、クルドにも問題があります。
90年代、トルコで禁じられていたクルド語も、今ではクルド語で映画をつくることも可能になったのが嬉しい。
日本にいるクルド人、それぞれに問題があると思います。日本でたくさんのクルド人を受け入れていただいたことに感謝します。

― トルコの東部から強制移住しなければならなかった人がたくさんいると知りました。私の知人も軍に追い出されました。どれくらいの人が追い出されたのでしょうか? 今も自分の村に戻れないでいるのでしょうか?

監督:1990年代に、東トルコの4万の村から、約100万人のクルド人が強制移住させられました。(注:数字については未確認) トルコ政府は誤りを認め、戻ることを認めました。多くの人が戻りました。その後、トルコ政府は強制移住のことに触れないし、金銭的な謝罪もしていませんが。
過去においてクルド語を話すことも禁止し、話したことで刑務所に入れられるケースもありましたが、今はクルド語で話せます。テレビでクルド語のチャンネルも一つあります。より良くなるようにと願っています。

― 監督のお祖父さんということは、孫のアリーが監督ということでしょうか?
牛や馬、鳥への思いは?

監督:面白い質問! アリーは私です。子どもの時、観てきたことに興味を持って、それがあって映画監督になりました。
動物については、子どもの時、クルドの村に住んでいた時、犬や牛や馬を飼っていましたが、村を去る時、売っていかなければなりませんでした。町には持っていけませんでしたから。町での生活は大変でした。家もなかなか見つかりませんでした。私の祖父と家族の物語です。
学校の教育を受け始めた時、トルコ語ができなくて、1年間、まったく話せませんでした。母がトルコ語の本を枕の下に置いて、頭に入るようにと祈ってくれました。その後、トルコで大学に行き、アメリカにも行きました。
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― 素晴らしい映画でした。東部を舞台にしていますが、東部と西部では今でも状況は違いますか?

監督:文化、言語において違います。クルド語は印欧語、トルコ語はアジア系で、かなり違います。トルコ人とクルド人でベストを尽くして改善して共存しようとしています。自分は伝書鳩と思っています。西と東を繋ぐこと。それが私の映画製作者としての務めです。世界の人々に平和に暮らしてほしい。人を見る時に、いい人、悪い人、どちらもいます。クルド人、アメリカ人、日本人・・・という分け方でなく、その人がいい人かどうかで見てほしいと思います。
クルドの文化は私の心の中でとても大事です。

― 映画の中で、トルコ軍の要請に対して話す場面で、自然の中に真理があるという考えが伝統的にあると述べられていましたが・・・

監督:はい、私たちは自然から学んでいます。1990年代、トルコ政府から軍に入るか、移住するかと言われ、ほとんどのクルド人は軍には入りたくないと思いました。何人かが入りましたが、私たちは銃の扱い方も知りません。山に住んでいて、自然と共に暮らしていました。私たちは自然や動物を理解しています。


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【国際コンペティション部門総評】白石和彌審査委員長
 クロージングセレモニーの中での言葉:

ここ川口では、クルド人問題が起き、ネットにはクルド人に対するヘイトスピーチが溢れ返っています。Q&Aのときに、ハサン監督は「私は伝書鳩になってクルド人の生活、文化を世界中に届ける。それが役目だ」と言っていました。大切なのは相互に理解すること。どんな移民問題も、解決の糸口はそこなのだと思います。伝書鳩になって世界中に届けるというハサン・デミルタシュ監督の気持ちに心を打たれました。そうした映画が、埼玉県川口市で行われる映画祭のコンペティションに選定されることの意義を、僕はSKIPシティDシネマ映画祭の静かなメッセージとして捉えました。こういう作品を上映することにも、映画祭の意義はあると思っています。


*ストーリー* 少し長いバージョン
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1990年代、トルコ東部マルディン郊外のクルドの村。
7歳のアリーの祖父ハミットは、5年前に他界した祖母の墓に毎日白い花を手に通っている。
アリーの年の離れた兄は、祖母が亡くなった年、ドイツに出稼ぎに行って不在だ。
一日荒れ地で働いてぐったりした父が、アリーに「背中を踏んで」と頼む。

「♪愛しいアディーレ♪」 お墓でカセットテープを聴く祖父。

マルディンで再びクルドの奇襲から守るために戦闘が起きたとのニュースが流れる。
ある日、村長が男たちを集める。
政府から、政府軍につくか、村を去るか1週間で選べといわれたという。
男たちが集まり、数珠を手にチャイを飲みながら話し合う。
「僕らは動物や鳥の声を聴く暮らしを選ぶ」と、ほとんどが村を出ることを選ぶ。
父が家族に「数日内にここを出ないといけない。まずはイスタンブルへ。そのあと、長男のいるドイツへ行く」と伝える。
荷物の整理をしていたアリーは、祖父の描いた絵の裏に空になったハチの巣がついているのを見つけ、母に見せる。
馬は、村に残る者に半値でひきとってもらう。
祖父は夜中にお墓を掘り起こし、せめて一握りの骨をと包み、スーツケースにそっと入れる。
村長に別れを告げ、車で去る。
村長も2週間後には出るという。
マルディンの町に着き、崖地に広がる町を見上げる。
バスに乗りマルディンの町を去る。
20時間かけてイスタンブルに着く。
階段をあがって伯父の家をめざす。
「ドイツに行くからそれまで泊めてほしい」と父が伯父に頼む。
ドイツ領事館に行くと、長蛇の列。ビザの発行は停止中といわれる。
結局、伯父が家を世話してくれる。
父のウズラが鳴かない。死んではいなかった。
アリーが公園にいって、雨の中、家に帰ると祖父が亡くなっていた。
「村に連れて帰って、祖母の隣に埋葬しよう」と父。
棺に入れ、ロバ車で運ぶ・・・


★余談★
私にとっての映画祭初日である7月15日、11時からのトルコ映画『別れ』を目指して、川口駅10時発の無料シャトルバスに乗車。もう満席で立っている人も多々。座っている外国人の方のお顔、知っている方のような気がして、じっと見つめてしまったら目があって、席を代わってくださいました。
なんと、トルコ映画『別れ』のクルド人の監督ハサン・デミルタシュさんでした。
Webサイトでお顔を見ていたから、確かにどこかで見た顔だったのですね。
立たせてしまい恐縮しながら、お話しました。
隣の隣にシネジャの千絵さんが座っていて、映画祭パンフレットの『別れ』のページを開けてくれたので、そこに映る東トルコのマルディンの写真をみながらお話しました。
映画はまだ観る前でしたが、歴史ある素敵な街マルディンに行ったことがあるので、話がはずみ、幸先のいい映画祭スタートでした。
景山咲子


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 グランプリ作品『日曜日』 ショキール・コリコヴ監督インタビュー

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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 最優秀作品賞(グランプリ)に輝いた『日曜日』。
監督インタビューの掲載がすっかり遅くなりました。

北九州国際映画祭2024でオープニング上映されます。
2024年11月1日(金)18:00~
ショキール・コリコヴ監督も登壇します。
https://2024.kitakyushu-kiff.jp/


『日曜日』 原題:Yakshanba 
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監督:ショキール・コリコヴ Shokir KHOLIKOV

ウズベキスタンの村。山裾に佇む広い中庭を囲む家。
日曜日、老夫婦が車で家に帰ってくる。煙草にマッチ2本で火をつけながら運転する老人。老婦人は風車を手にしている。中庭の縁台で寝そべる老人。老婦人は、レンジに火をつけようとするがマッチがない。お隣が貸してくれたライターで火をつける。食事も終わり、夫と縁台でくつろぐ老婦人。茶碗を差し出しても、お茶を入れてくれない夫。それどころか、少し遠くのテレビのチャンネルを妻に変えさせる夫。
翌週の月曜日。近くに住む長男がやってくる。「家を建て直せば、遠くにいる弟も帰ってきて結婚するのに」と諭す。マッチ不要のガスレンジを長男が手配する。うまく着火できなくて、髭や顔に火傷を負ってしまう老人。
翌週の火曜日。老夫婦はささえあって泥を踏んで、壁の補修をする。明日からテレビがデジタルに変わるからと長男が新しいテレビを持ってくる。チャンネルを変えろと夫に言われるが、リモコンの使い方がわからない老婦人。
翌週の水曜日。お湯を沸かして、羊の毛を染める。新しい冷蔵庫が届く。
翌週の木曜日。縦糸を張って、絨毯を織り始める。絨毯の仲介屋が現金の代わりにカードを老婦人に渡す。夜、夫にテレビのチャンネルを変えろと言われ、そろっとリモコンを渡す老婦人。
翌週の金曜日。老人は身なりを整え、知り合いの結婚式に出かけていく。留守中に長男が来て、勝手に車を知人に譲ってしまう。帰宅して、「なぜ家も売らなかった?」と怒る老人。
翌週の土曜日。老婦人が風邪を引いて寝込んでいる。妻に代わって絨毯を織る老人。
翌週の日曜日。小雪がぱらついている。家の改築作業が進んでいる。老人が煙草に火をつけようとするがマッチが1本しかない・・・・
https://www.skipcity-dcf.jp/2024/films/intl10.html



◎ショキール・コリコヴ監督インタビュー
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― Xush kelibsiz(ようこそ) 私がウズベキスタンに旅をしたのは、1986年のことで、まだソ連時代でした。タシケント、サマルカンド、ペンジケント、ブハラ、ヒヴァに行きました。
映画で刺繍の飾り布であるスザニや縁台(タプチャン)など、ウズベクらしさを楽しみました。一方で、新しいテレビやビデオ通話ができる携帯などになかなか対応できない老人と息子世代の関係が描かれていて、これはどこの国でも、ありえる話だと思いました。
リモコンになってもテレビのチャンネルを妻に変えさせたり、お茶も入れてあげなかった夫が、妻の具合が悪くなって初めて、妻にやさしくして、絨毯まで織り始める姿に、今さら遅いと思いましたが、妻の「何があってもいい人生だった」という言葉にほっとさせられました。
あの世代の男性は、亭主関白で自分では何もせず奥さんにやらせるのでしょうか?

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監督:あの世代だけでなく、私の兄は祖父に似た性格です。ウズベクだけじゃなく、トルコ系の言葉を話す地域では、今も男性の多くはあんな感じです。若者には、もちろん色々なタイプがいますが。

― 監督はご結婚されてますか?

監督:はい、娘もいます。妻には、絶対に言葉で「愛してる」とは言いません。シャイというわけではないです。「愛の五種類」という本を読んだことがあります。行動で見せて言葉で言わない人、言葉でいう人、行動も言葉でも表さないけれど自分たちで愛し合っているとわかっているケースなど、愛の形は様々です。ロマンチックに「愛してる」と言葉で言わなくても、愛は存在します。(と、静かに語る監督でした。)

― 脚本は監督の祖父母の性格をモデルにして書かれたとのことですが、演じたお二人が、まるでほんとうに長年連れ添った夫妻のようでした。どのような俳優さんなのでしょうか?

監督:二人ともプロの俳優です。祖父の性格をモデルにしましたが、あの俳優さんも同じ性格なのでアテ書きしました。 おばあさん役の方も、私の祖母と似た性格です。話してみたら、家庭環境が同じでした。夫と息子の間に自分が入って調停役をしていると言ってました。撮影現場では、ほんとに50年連れ添った夫婦のようでした。

― 撮影地は、ジザクのザミン(ゾミン)地区ピシャガルとのことですが、 あの家とまわりの環境が素晴らしかったです。あの場所を見つけるのに9か月くらいかかったそうですね。(ザミンは同国最古の自然保護区)

監督:私の出身のスルハンダリョ(スルハンダリヤ)も自然環境が似ています。実際に老夫婦が住んでいる家を借りました。25日間の約束でしたが、雨が降ったりしたので、実際撮影したのは、そのうちの10日間でした。 

― 撮影はわずか10日間で、10月下旬に行われたとのことですが、最後の雪の場面は、雪が降るのを待って撮ったのでしょうか?

監督:ほとんど秋である10月に撮影したのですが、最後の雪の場面は、初雪を待って、降ったと聞いて、クルーを連れて飛んでいって撮りました。日曜日から始まって、全部で8週間の物語です。

― マッチで始まり、マッチが象徴的に使われていました。今では、マッチはもうほとんど使わなくなっているのでしょうか?

監督:田舎では、今も100%使ってます。

― 監督はソ連崩壊後のお生まれですが、KHOLIKOVさんという名前にもソ連の名残があります。 
映画の主人公の老夫婦は、ソ連時代を知る世代。 ソ連時代と、独立後の違いなど、その世代の方からどのようにお聞きになっていますか?

監督:キリル文字は使ってなくて、今はラテン文字です。今の世代は、ソ連時代を知らない人が大半です。ソ連時代を知る人の中には、ソ連時代がよかったという人もいます。ソ連時代は宗教を良しとしませんでしたが、独立後はモスクも多く建てられています。苗字はロシアの名残りがありますが、最近、~OVをはずす人も出てきました。 

― 私が訪れた40年前のウズベクは、無理矢理ソ連と思いました。

監督:今はウズベク主義で皆、頑張っています。

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左は、通訳を務めてくださったウズベキスタン共和国大使館の女性


◎7月17日(水)11:00から映像ホールでの上映後のQ&A
MC:津島令子さん

MC:2度目の上映ですが、前回の観客の反応はいかがでしたか?

監督:前回の上映では、大勢の方から質問をいただきました。作品を気に入っていただけたようで嬉しいです。

★7/14(日)16:30~多目的ホールでの上映後Q&Aレポートはこちらで!


― とても心に残る作品でした。おじいさんの背中の上に何か白い粉を乗せて布をかぶせていた場面がありましたが、民間療法のようでしたが、あの白い粉は何だったのでしょうか?

監督:背中に乗せたのは塩です。この作品の中で、塩は2回出てきます。1回目は背中の上、2回目は、奥さんの具合が悪くなった時に、洗面器に足を漬けていましたが、塩を入れていました。
冒頭、二人が車で家に戻ってきますが、民間療法から帰ってきたのです。毎週、日曜日に民間療法に通っているという設定です。
(★実は、この質問は私が個別インタビューの折にしようと思っていたのですが、Q&Aで最初に手を挙げようと残していたものでした。思わぬ答えを聞くことができました。景山)

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MC:二人で泥を踏んでいるのが、とてもいいシーンでしたね。

― 施しのお金をもらいにきた女性がいましたが、どういう女性なのでしょうか?

監督: 老夫婦に許可を求めて家に入ってきたのは彼女だけです。ほかの息子や近所の人は皆、勝手に家に入ってきています。

― テレビに映っていた映像に意味があると思うのですが、特に、一生懸命耕している男性の映像が気になりました。

監督: あれは、ウズベクで有名な映画監督に許可を得て使った映画です。

― キャスティングについて、老夫婦役は、プロの俳優でしょうか?

監督:二人ともプロの俳優です。女性はあまり有名な方でなく、主演は初めてでした。男性は脚本を書いている時から、彼をイメージしていました。
3か月かけて女優さんを見つけました。話してみて、性格が似ていると思いました。映画を観た人たちから、ほんとうの夫婦のようだったとよく聞きます。

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― 羊を飼っていて、その毛を紡いで糸にして染色して織っていましたが、売るためのものなのでしょうか? 自分たちで必要なものも織っているのでしょうか?

監督:普段使うものを織っています。売る為でなく、祝日を締め切りにして作っています。

― ウズベクの日常の習慣が新鮮でした。このテーマをどうして選んだのですか? きっかけは?

監督:はっきり言えないのですが・・・ 年寄りの生活に興味がありました。若者より自然。何も求めずに暮らしています。老人夫婦を主人公にしたのは、私自身、祖父母と長く暮らしたことも関係していると思います。若者は自分もモデルにしています。

― 素敵な人生でした。最後のシーン、お祖母さんが出てこないのは?

監督:お祖母さんが出てこないことについては、なぜなのか観客の想像にお任せします。病気で亡くなったのかもしれないし、たまたまいなかったのかもしれません。

― リビングが中庭なのは、ウズベクでは普通のことなのでしょうか?

監督:中庭で過ごすのは普通のことです。田舎では特に今でもそうです。

― マッチの火は2本で擦ればつくというのは、お祖父さんの考え? それともウズベクでは、2本で擦るのですか?

監督:マッチ2本一緒に擦るのはお祖父さんの考えです。

MC:最後にマッチが1本しか残ってなくて、お祖母さんがいなくなったのを暗示しているのかなと思いました。

監督:言葉で説明せずに、見て判断してもらおうという意図でした。



◆1回目の上映(7/14)のQ&Aより抜粋

「私の短編映画がフランスの映画祭で賞を獲った後、国から10万ドルの予算をもらうことができました。しかし長編映画を製作するにはかなり少ない予算です。それで同じ家の中で最初から最後まで撮影できる脚本を書きました。老夫婦のモデルは私の祖父母ですが、生活ではなく二人の性格をモデルにしています。脚本には2年かけていて、ここで起こる出来事や暮らしは様々な場所で私が見たり聞いたりしてきたことです。私自身も息子のキャラクターのモデルになっています。年老いた両親にはできるだけ便利なものを買ってあげたいと思いますし、実際に両親が賛成してくれるのであれば贈るようにしています」

「ウズベキスタンでは、一週間は日曜日に始まり日曜日に終わると考えられています。人生の始まりも終わりも日曜日、8の字のように永遠を表すマークをイメージしました。人生を歩むということは曜日の積み重ね、一週間の積み重ねであるという哲学的な意味も含まれています」

報告:景山咲子


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 受賞結果

“若手映像クリエイターの登竜門”として次代を担う新たな才能の発掘を目指し、これまでに数多くのクリエイターを輩出してきたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭。
7月21日(日)のクロージング・セレモニーにてグランプリほか各賞が発表されました。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 受賞結果一覧

《国際コンペティション》

最優秀作品賞(グランプリ)
『日曜日』 (ウズベキスタン)  監督:ショキール・コリコヴ 

監督賞
『連れ去り児(ご)』(インド)  監督:カラン・テージパル

審査員特別賞
『嬉々な生活』(日本) 監督:谷口慈彦

SKIPシティアワード
『嬉々な生活』(日本) 監督:谷口慈彦

観客賞
『連れ去り児(ご)』(インド)  監督:カラン・テージパル


《国内コンペティション》

優秀作品賞(長編部門
『折にふれて』 監督:村田陽奈

優秀作品賞(短編部門)
『はなとこと』 監督:田之上裕美

観客賞(長編部門)
『雨花蓮歌』 監督:朴正一

観客賞(短編部門)
『立てば転ぶ』 監督:細井じゅん


★授賞式の様子は、YouTubeで生配信され、アーカイブ配信で観ることができます。
受賞者の喜びの声、授賞理由など、ぜひご覧ください。
https://yohttps://youtube.com/live/5qRGEk-Q_iY?feature=shareutu.be/KLNLwJrIUzE


★オンライン配信 24日(水)23:00まで!
ぜひ、お家でお楽しみください。

配信期間:2024年7月20日(土)10:00 ~ 7月24日(水)23:00
https://www.skipcity-dcf.jp/online.html

国際コンペティション、国内コンペティション(長編部門) 1作品300円(税込)
国内コンペティション(短編部門) 1作品100円(税込)

見放題プラン 1,480円(税込)

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 ラインナップ発表!

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デジタルシネマにフォーカスして、2004年に埼玉県川口市で誕生したSKIPシティ国際Dシネマ映画祭。発足当時は、まだフィルムが主流の時代でした。本映画祭の一番の目的は、若い才能の発掘と育成。21回目となる今年も、世界と国内から秀作が集まりました。
メイン会場のSKIPシティには、会期中無料シャトルバスも運行されます。
暑い夏の風物詩、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭にぜひお出かけください。

スクリーン上映&オンライン配信のハイブリット開催
スクリーン上映: 7月13日(土)~7月21日(日)
オンライン配信: 7月20日(土)~7月24日(水)


会場:SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ 映像ホール、多目的ホールほか
オンライン配信:本映画祭特設サイトで 配信
公式サイト:https://www.skipcity-dcf.jp

★無料直行バス運行スケジュール
https://www.skipcity-dcf.jp/access.html

★上映スケジュール
https://www.skipcity-dcf.jp/schedule.html


◆オープニング上映◆
『初級演技レッスン』監督:串田壮史×主演:毎熊克哉

◆国際コンペティション◆
10作品 国内初上映
審査委員長:白石和彌監督(『止められるか、俺たちを』)

Before It Ends(英題)
監督:アンダース・ウォルター
2023年 / デンマーク / 101分

嬉々な生活
監督:谷口慈彦
2024年 / 日本 / 91分

子を生(な)すこと
監督:ジュディス・ボイト
2024年 / ドイツ、ノルウェー / 105分

マリア・モンテッソーリ
監督:レア・トドロフ
2023年 / フランス、イタリア / 100分

マスターゲーム
監督:バルナバーシュ・トート
2023年 / ハンガリー / 91分

ミシェル・ゴンドリーDO IT YOURSELF!
監督:フランソワ・ネメタ
2023年 / フランス / 80分

別れ
監督:ハサン・デミルタシュ
2023年 / トルコ / 90分

連れ去り児(ご)
監督:カラン・テージパル
2023年 / インド / 94分

私たちのストライキ
監督:ネシム・チカムイ
2024年 / フランス / 87分

日曜日
監督:ショキール・コリコヴ
2023年 / ウズベキスタン / 97分


◆国内コンペティション◆
長編6作品、短編8作品
審査委員長:横浜聡子監督(『ウルトラミラクルラブストーリー』『いとみち』)

●長編部門
朝の火
監督:広田智大
2024年 / 日本 / 82分

明日を夜に捨てて
監督:張蘇銘
2023年 / 日本 / 60分

雨花蓮歌
監督:朴正一
2024年 / 日本 / 79分

折にふれて
監督:村田陽奈
2024年 / 日本 / 80分

昨日の今日
監督:新谷寛行
2023年 / 日本 / 67分

冬支度
監督:伊藤優気
2024年 / 日本 / 74分

●短編部門
相談
監督:張曜元
2024年 / 日本、中国 / 31分

Loudness
監督:地曵豪
2024年 / 日本 / 22分

立てば転ぶ
監督:細井じゅん
2024年 / 日本 / 48分

チューリップちゃん
監督:渡辺咲樹
2024年 / 日本 / 19分

だんご
監督:田口智也
2024年 / 日本 / 29分

松坂さん
監督:畔柳太陽
2024年 / 日本 / 40分

私を見て
監督:山口心音
2023年 / 日本 / 17分

はなとこと
監督:田之上裕美
2024年 / 日本 / 42分


◆特集「商業映画監督への道」◆
白石和彌監督&横浜聡子監督が商業映画監督デビューについて語る
【白石監督】 7/18(木)『止められるか、俺たちを』上映&トークイベント
【横浜監督】 7/19(金)『ウルトラミラクルラブストーリー』上映&トークイベント


◆「みんなが観たい上映作品」◆
もっと映画を身近に!みんなが選んだ名作上映&特別トークイベント

7/18(木)『スタンド・バイ・ミー』
7/19(金)『ドライブ・マイ・カー』『トップガン マーベリック』『ショーシャンクの空に』

★トークイベント:
『トップガン マーベリック』上映後、字幕翻訳界の第一人者の戸田奈津子さんのトーク


◆2夜連続「野外上映を楽しもう」◆
真夏の星空の下、大スクリーンで楽しむ映画体験
7/14(日)『ペット2』
7/15(月・祝)『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』
※ 荒天の場合は、映像ミュージアム1階ガイダンスルームにて上映予定


◆お子さまから大人まで楽しめる関連企画が盛りだくさん♪
映像制作ワークショップ・カメラクレヨン

川口駅東口の公共広場(キュポ・ラ広場)
ブラスバンドによる演奏や地域のおいしいお店・魅力的なお店が出店する「Dシネマルシェ」を開催!


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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2023 『エフラートゥン』 インタビュー Q&A

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『エフラートゥン』 Eflatun
監督:ジュネイト・カラクシュ
出演:イレム・ヘルヴァジュオウル、ケレム・バーシン、ナザン・ダイパー、エルマン・オカイ、メリサ・アクマン、ユルディズ・クルトゥル、セミハ・ベゼク、ローザ・チェリック

イスタンブルの時計屋で修理の仕事をしている盲目の女性エフラートゥン。父の形見の時計の修理を頼みにきた男性オフラズは、一目で彼女に惚れる。エフラートゥンもまた、彼の声に惚れる。レトロな雰囲気で描かれるロマンチックな恋の物語。
(さらに詳しいストーリーは末尾に掲載しています。)
2022年/トルコ/103分

監督:ジュネイト・カラクシュ
1980年9月、トルコのアンカラに生まれる。ガジ大学コミュニケーション学部でラジオ・テレビ・映画を専攻。その後、写真の学位も取得し、写真展を開催。短編映画『Suret』(13)が、国内外の著名な短編映画祭で数々の賞を獲得する。初の長編映画となる本作は、文化観光省映画総局から製作支援を受けて製作された。


◎インタビュー
2023年7月20日

景山咲子


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ジュネイト・カラクシュ監督
ヤームル・カールタル・カラクシュ(編集、VFXアドバイザー、アニメーション)
通訳:野中恵子

◆記憶の中で色が識別できる女性
― とてもロマンティックなラブストーリーでした。
お父さんたちの亡くなったのが、日めくりカレンダーから1996年とわかりましたが、それから何年経って、時代はいつだろうと気になりました。携帯はもうある時代とわかりましたが。36枚撮りのフィルムが見つからないという言葉がありました。デジタルカメラが普及してきた、2000年以降でしょうか? レトロな雰囲気でいつごろかなと思いました。

監督:時代は、2005~6年。エフラートゥンは、30歳位の設定です。

― 目の見えない人にとって、色はどんな風に区別しているのだろうと気になります。エフラートゥンは、5歳で視力を失った設定なので、色の記憶があると思っていいのでしょうか?  最初の場面で事故がありましたが、その時に視力を失ったのでしょうか?

監督:生まれつき盲目と考えていたのですが、ヤームルと話して。5歳までは見えていた設定に変えました。記憶の中でぼんやりと色が識別できるほうがいいのではないかと思いました。事故ではなくて、お母さんからくる遺伝性の病気で見えなくなったのです。それでお母さんが責任を感じています。

― 身近に、目の見えない方がいらしたのでしょうか?

監督:おじさんが聴覚障碍者です。ボランティア活動をしていて、視覚障碍者のことも知りました。


◆アニメ部分は、運命的に出会った奥様が担う
― トゥルルという不死鳥や、最後に二人が黄色い傘をさして腕を組んで歩いていく後ろ姿がイラストに変わっていくところなど、担当された奥さまの仕事がとても素敵でした。
脚本段階から、お二人で内容についてかなり話し合われたのでしょうか?

監督:脚本は知り合う前にすでに出来ていました。アニメの部分も元々ありました。彼女と知り合って、誰がアニメの部分を担当するかも解決しました。

― お二人の馴れ初めは?  映画自体が素敵なラブストーリーでしたので、お二人のこともぜひお聞きしたいと思いました。

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監督も奥様も恥ずかしそうに笑う。

監督:簡単にお話します。作家協会のメンバーになっていたのですが、女性の友人から電話がかかってきて、ある女性が短編映画を作っていて、別の友人がインタビューをしたいと言っているのですが、映画監督ではないので、相談に乗ってほしいといわれました。SNSでアカウントを調べて、映画を観て、彼女に連絡しました。女性の友人から、とても綺麗な子よと言われてました。

― 映画は傘がシンボル。ヤームル(雨)さんという名前は映画にぴったりのパートナーですね。

監督:2013年に脚本は出来てました。詩を書いて、SNSで彼女に送りました。まだ会っていない段階でした。2017年末に実際に会いました。運命です。

― 彼女と出会ってから、さらに脚本を煮詰めたのでしょうか?

監督:脚本は最初とあまり変わっていません。

― イラストが専門の彼女と出会ったのはよかったですね。

監督:素晴らしい映画が出来るよう、神様が彼女を送ってくれました。

― 映画の中で、「黄色い傘を作っているけど、国内には黒しか売れない」と出てきました。
日本では、小学生が色の目立つ黄色い傘を持つことが多いです。トルコでは?

監督:トルコの伝統では、黄色は悲しみを表します。ノスタルジーを表す色でもあります。
2013年、『影』という短編でも、黄色の傘を使いました。


― イランでは、黄色は病気の色と言われてます。


◆女優は音の反響で動く技術を学んで撮影に臨んだ
― 時計屋さん「Ahkab Saat」が、とても古風で素敵でした。Sener Amcaが、エミニョニュに行ってくると言っていたので、あの近くの坂道に時計屋があるのでしょうか?   

監督:エミニョニュのある旧市街ではなくて、新市街が舞台です。ニシャンタシュの裏手です。そのほか、ベシクタシュ、イェディクレ、サリエル、ブユカダ島で撮影しています。

― 女優さんは、どのようにして見えない役に取り組まれたのでしょうか?

監督:彼女の友人に視覚障碍者の方がいて、その方に音の反響で動く技術を教えてもらいました。コンタクトレンズをつけて見えないようにして練習しましたが、撮影の時にはコンタクトレンズはしないでとお願いしました。
男優さんは素朴な感じですが、有名な方です。撮影担当のセリム・バハルさんがキャスティングをしてくれたのですが、素晴らしい人選でした。


― とてもクラシックな雰囲気の映画ですが、トルコの人たちの感想はいかがでしたか?

監督:ボスポラス映画祭で上映されましたが、公開はまだです。



◎『エフラートゥン』Q&A
2023年7月17日 11時~ 映像ホール


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登壇者:ジュネイト・カラクシュ監督、ヤームル・カールタル・カラクシュ(編集、VFXアドバイザー、アニメーション)
司会:プログラミング・ディレクター 長谷川敏行
通訳:野中恵子

長谷川: 盲目の女性エフラートゥンは、手で認識して時計修理を行っていますが、目が見えないと難しいのではないでしょうか? お父さんが目の見えない彼女の為に、指導したという設定なのでしょうか?

監督:父親は彼女が物音とその反響によって、物や人を認識できるように教えていました。盲目の彼女が人生を生きられるように、小さい頃から時計の修理の技術も教えてきました。時が人生に影響してほしいと、時計の修理ができるように教えたという設定です。視覚障害者も、健常者と同じことが出来ることを表したかったのです。調べてみて、時計の修理もできるとわかりました。

ヤームル:オスマン帝国時代にも、アンティークの時計を目の見えない方が修理していたことが調べてわかりました。

長谷川: お父さんが影絵で鳥を教えた場面ですが、トゥルルという不死鳥がはばたいていくところが好きです。あの鳥は伝説の鳥ですか?

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©Karakuş Film

ヤームル:神話にあるもので、トルコにもあるし、世界のほかのところでも存在すると思います。空想的に描きました。不死鳥(フェニックス)は、炎が燃えるような鳥。この映画では、青や薄紫(エフラートゥン)で描きました。希望や夢を表しました。
鳥のデザインについて監督と話して、どう猛でもなく、可愛いいものでもない、誇り高く、しなやかで、力強いものにしました。子どもの頃に鳥と信頼関係を繋いだという設定なので、何か月もかけて考えました。トゥルルという鳥とは友人関係です。


監督:盲目の彼女にも友人がいて孤独じゃないということなのです。


*会場から*
― トルコ政府の助成金を得ていますが、資金はどのように?

監督:製作費集めには大変苦労しました。トルコ共和国の文化観光省映画総局からも融資を受けましたが、大半は自分の貯金です。日本に時々行く学術関係者の方から日本円で融資も受けました。だから、日本の皆さんも資金面で貢献してくださっているのですよ。

ヤームル:撮影が終わって、2日後にコロナでロックダウンになりました。ポストプロダクションに時間がかかることになってしまいました。私たちは結婚しているので、家で二人で作業することができました。監督の思い入れが強いので、時間がかかりました。 経済的にも、コロナで停滞して、どうしていいかと思いましたが、監督が望む形で完成させることができました。

監督:言っておきたいことがあります。トルコでは、インディペンデント映画に、文化観光省映画総局が援助してくれます。

― 映画の中で、女性のエフラートゥンという名前と、男性のオフラズという名前の意味は同じだと言っていましたが、花か色の名前なのでしょうか?

監督: エフラートゥンは、紫色の独特な花の名前で、アナトリアではオフラズと呼ばれているのです。
また、トルコでは、ギリシャの哲学者プラトンのことを、エフラートゥンと言います。


ヤームル: 世の中のものは映し出されてイデアに上がってくるというプラトンのイデア論をヒントにしています。「見えるものとは何か?」という問い、つまり視覚のことを問うています。

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『エフラートゥン』 Eflatun
監督:ジュネイト・カラクシュ
出演:イレム・ヘルヴァジュオウル、ケレム・バーシン、ナザン・ダイパー、エルマン・オカイ、メリサ・アクマン、ユルディズ・クルトゥル、セミハ・ベゼク、ローザ・チェリック

*物語*
救急車が行く。事故。
黄色い傘を差した女性 
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©Karakuş Film 

時計屋「Ahkab Saat」 
時計の修理をする盲目の女性。
時計を修理に持ってきた男性、盲目の女性しかいないので、また来るというが、大丈夫と預かる女性。

時計屋は、1980年にエフラートゥンのお父さんと始めたと語るセネルおじさん。

翌日、時計を預けた男が来る。
「昨日の時計は、故障じゃなくて、少し疲れていただけ」と女性。
「人間と時計、似てるね」と時計の持ち主。
ゼンマイ付きの時計。
「長く使われてなかったのは、持ち主に嫌われてて?」
「亡き父の時計」と男。

さきほどバックギャモンをしに行ってくると出ていったセネルおじさんが、別の日だったと帰ってくる。

ちょうど仕事を終え、女性が外に出ると雨。
先ほどの男性客が傘を差してくれる。
「オフラズ」と名乗る男。
「エフラートゥン」と盲目の女性。

オフラズが父の遺したカメラでエフラートゥンを撮る。
「オフラズベイ」とエフラートゥンが呼びかけると、ベイはつけなくていいとオフラズ。
「36枚撮りのフィルムが見つからない」とオフラズ。

後日。
時計を取りにきたオフラズに「時計の修理代はいらない」というと、「じゃ、コーヒー」と誘い、一緒に出掛ける。
「父の好きな色は穏やかな空の色。薄紫色。それをエフラートゥンと言うの。私の名前に付けてくれた」

カセットテープを聴く
♪あなたは 何色?♪
何の音が聴こえる?

エフラートゥン、壁に手で鳥の影を映す。
「父が目の見えない私に指を使って教えてくれた」
鳥は、トゥルルというカラフルな伝説の鳥。

母は父に「夢ばかり与えないで。形は見えないのだから」と言っていた。

嵐の日。オフラズが来る。   
「傘が人を傷つけるのが嫌だから傘は差さずに来た」と、濡れているオフラズ。
エフラートゥンがコーヒーを入れて戻ると、オフラズは寝ている。

日めくりのカレンダーを父といつも一緒にめくっていた。
亡くなった日のまま。1996年?月。

オフラズの母から電話がかかってくる。
「友達のところにいる」というオフラズに、「別れた妻に冷たすぎる」という母。
「写真の人のところね」と母

色の話をする。
「黄色は傘。父が黄色い傘で空を飛べるって」  
「ピンクは綿菓子」   

オフラズが好きなのは木登り。落ちそうになって、お陰で両親は離婚しなかったという。
二人で木登りして、木の幹に座る。

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©Karakuş Film

オフラズから、「ブユカダ島に叔母がいる」と言われ、エフラートゥンは一人で訪ねる。
「オフラズと特別な関係になろうと思うなら諦めて」と言われる。

時計屋でオフラズが待っている。
オフラズに店番を頼んで、エフラートゥンは家へ。
ベッドにつまずく。父から貰った黄色い傘を探す。

家に籠るエフラートゥン。オフラズから電話。海に行く。
「やり残したことがあるの。昔の黄色い傘を見つけた。魔法の傘かどうか確かめたい」
飛べなかった。母が正しい。
海辺に立つ二人。 水面に二人が映る。
ショールでオフラズの目を覆う。目を開けないで。  
開けた時にはエフラートゥンは立ち去っていた・・・
時計屋に行くがいない。  
家に電話するが出ない。
ドアの前にカセットを置きかけて、持ち帰るオフラズ。

船に乗るエフラートゥン。 ブユカダの白い家へ。
「顔だけでなく心も美しいのね」と、オフラズの叔母。

「オフラズは早産で生まれた。地元でエフラートゥンをオフラズというの。私が名前を付けた。人生に偶然はない」と叔母。

また嵐。オフラズが来る・
「帰って!」とエフラートゥン。
「お別れを言いにきた。カセットを持ってきた」

「僕の傘を返してくれる?」
その傘をオフラズが差して、二人で腕を組んで歩いていく・・・・ 
二人の姿がイラストに
♪美しい音楽♪

景山咲子