『シリンの結婚』 原題:Shirins Hochzeit 英題:Shirin’s Wedding
監督:ヘルマ・ザンダース=ブラームス / Helma Sanders-Brahms
1976年/西ドイツ/121分/ドイツ語、トルコ語 字幕:日本語、英語
日本初公開
今までに上映してきたドイツ移民映画の極めつきとして、西ドイツ時代につくられ物議を醸した問題作をご紹介します。
トルコの村に住むシリンは政略結婚から逃れようと、幼い頃に結婚の約束がなされたマフムードを追いドイツのケルンへと渡ります…。
生涯にわたり女性の問題を撮り続けた監督が、ドイツで初めてトルコ移民をテーマに製作。最初にTV放送された本作はドイツとトルコ双方の民族主義者を怒らせ、主演の俳優は脅迫さえ受けました。
(藤本さんからの案内文)
上映前に、藤本さんから、本作のナレーションが、ブラームス監督と架空の人物である主人公シリンとの“対話”の形をとっているとの説明がありました。どちらも一人称で語られているという次第です。
◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)
私は死んだ
シリンは死んだ
ファルハドは掘ってシリンを探し続けた
アナトリア それが私たちの国
土地は、アガ(領主)のもの
母が死んだあと、父は領主に石を投げて逮捕された。
1971年真夏 許嫁のマフムードがドイツから戻らず、管理人の求婚を受け入れた
そんな折、マフムードがドイツから帰ってきた!
でも、自分の前を通り過ぎた。
マフムードは村中に贈り物を。
シリンには、最後に残った洗面器を。
村にもうすぐ電気が来るからと、冷蔵庫や洗濯機なども・・・
マフムードはシリンのことを忘れていた。そして、ケルンに戻っていった。
管理人の車に乗って嫁に行く。マフムードからもらった洗面器を大事に抱えて。
途中のガソリンスタンドでガソリンを入れている間に、ガソリンスタンドの父の友人に「逃げるからお願い」といって立ち去る。
シリンはマフムードを探す。鋼の山を掘る。
管理人は、叔父に返金を求めた。
シリン、バスを止める。でもバス代がない。居合わせたファトマが払ってくれる。知り合いでもないのに。
イスタンブルへ。
ファトマの娘のところに一緒に行く。
娘婿はドイツで事故死したのに補償もない。
ドイツ語を学ぶ。
移民局で検査を受ける。
ドイツへ。ここは領主の地より冷たい。
スーツケースを開けるように言われる。 中には美しいシーツや布類。
ケルンに着く。
バスタブや水道の使い方を教わる。
工場でギリシャ人の女性と知り合う。 ギリシャは敵と学んでいたが、違った。
管理人の妻なら、大きな家に住み、何も怖れることはなかった。
マフムードに会えるのか?
ギリシャ女性:ドイツは孤独。トルコの心を知った。
同僚のアイシェから、ズボンは脱いで。 スカーフはしないでと。
シリン:村ではスカーフをしないと罪になる。男に髪の毛を見せたら地獄に落ちる。
マフムードを駅で見かけたが、それから2年・・・
1974年 大量解雇。 会社の寮も出ることになる。
子どものいるギリシャ人のマリアは解雇されず。
シリン、職探しに。 担当女性、リンゴをかじりながら紹介してくれる。
「リンゴいる? 庭で育ったの」
ギリシャでは政変。皆が喜ぶ。 トルコ人も一緒に喜ぶ。
シリンは、また解雇されて、その上にレイプされる。
マリアはギリシャに帰るという。「あなたもトルコに帰って」
もう処女じゃない。結婚できない。
列車でギリシャに帰るマリアと子どもたちを見送る。
洗面器を大事に抱えているシリン。
また職安へ。
「解雇になったら、次は難しい。今回はリンゴもない」とつれなくいわれる。
職を求めて入った食堂で知り合いの男に会う。 仕事も部屋もくれるという。
娼婦の仕事だった・・・
マフムードと思わぬ出会い。
マリアの夫が客で来る。半年、女のいない暮らし。
お金を払うといわれるが、ダメ、マリアは友達。
家に帰るといって去るシリン。撃たれてしまう・・・
******
親が決めた婚約者のことをマフムードは、すっかり忘れているのに、シリンはマフムードから貰った洗面器(そも、最後に残ったものだった)をいつまでも大事に抱えているのが可愛いです。というか、切ないです。可笑しくもあるのですが、それほどまでにシリンが純情ということでしょうか。 処女でなくなったということは、ムスリマのシリンにとっては、もう結婚できないという致命傷。娼婦になるしかなかったシリンの悲しく切ない物語でした。
ところで、冒頭、「シリンは死んだ。ファルハドは掘ってシリンを探し続けた」という場面があるのですが、劇中、ファルハドは出てきません。
実は、ここで思い浮かんだのが、「ホスローとシーリーン」というニザーミーによるペルシア語の叙事詩。その中に、ササン朝のホスロー王子が恋するシーリーンに横恋慕した石工のファルハードの物語があるのです。ホスローが嫉妬からファルハードに、崖の岩に階段を彫らせた、運河を掘らせたという話。
映画の中にファルハドは出てこなかったので、成就しなかった恋愛の象徴として、冒頭に掲げたのかなと思いました。
ところで、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督には、2004年の東京国際女性映画祭で『魂の色』が上映された折にインタビューしたことがあります。

左から、景山咲子、石井香江、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督
シネマジャーナル63号(2004年12月発行)に記事を掲載しています。
『魂の色』パラノイア化する世界に抗して 〜ヘルマ・サンダース=ブラームス監督に聞く〜『魂の色』は、セネガル人のミュージシャンと、ドイツ人女性の看護師の魂の交流を描いた心温まる物語。その合間に、ドイツ社会の今を物語るシビアーなエピソード(黒人やイスラーム系住民に対する偏見、経済の後退、若年失業者の増加)などがさり気なく散りばめられていました。
ヘルマ・ザンダース=ブラームス監督が、一貫して労働者階級や移民などに目を配って映画製作をされていたのを感じました。(咲)
★トーク③2/21(金)19:00上映後
【テーマ】 《トルコ系移民とドイツ社会 ―映画がもたらしたスキャンダル》
【ゲスト】 渋谷哲也さん ドイツ映画研究者/日本大学文理学部 教授トルコの愛国主義者から、監督と女優が狙われた。
ブラームス監督 女性の生き方を描いた映画が多いと思われているが、ドイツ社会に生きる労働者を描いたものをその前によく撮っている。
社会問題を広く扱っている。文学作品も。

ヘルマ・ザンダースの名で活動していたが、ヘルク・ザンダースという、やはり有名な監督がいて、まぎらわしいので、ヘルマ・ザンダース=ブラームスに。 5代前が作曲家のブラームス。
あるトルコ女性と共同でシナリオを書き、その女性が主演を務める予定が撮影直前に降板。急遽、アイテン・エルテンを起用。
ナレーションが、監督とシリンの対話になっている。
マフムード役は、トルコ出自のアラス・オーレンが演じている。
1961年、トルコと短期労働者を募集する二国間協定を結ぶ。
1961年にベルリンの壁が建設され、東ドイツからの労働者が西に入れなくなって、労働力が必要になったという事情がある。
1960年頃、西独の外国人 30万人位。
1973年 270万人くらいに増えた。
外国人排斥の動きがあって、新規の外国人受け入れを1973年停止。
1980年代になって、帰国促進事業。 ドイツに長期間滞在を望む者が多かった。
ドイツは期限付きで帰ると想定していたが、なかなか帰りたがらない。会社側も慣れた人を長く雇いたい。
すでに働いている人は家族を呼び寄せていいことになり定住が進む。(1973年~)
ドイツで生まれた移民2世。
国籍は血統主義だったが、2000年に出生地主義になり、成人(23歳)までに国籍を決めることに変更された。
生活環境
宿舎は会社持ちでなく、公営施設。
仕事がないと滞在許可が得られない。悪循環で身を落とす人たちも。
なぜシリンは娼婦になったのか?
シリンは故郷に帰れば、稼ぎを当てにする地元の家族がいる。また、イスタンブルへの道中助けてくれたファトマにも援助している。
レイプされ処女を失う。トルコ女性にとっては、結婚できない事態。
名誉のために死ぬか、娼婦となるか。
トルコでは名誉殺人が多い。映画でも描かれることが多い。
家父長的なトルコ社会から逃れて、自由を求めたという面もある。
髪をブロンドに染めたのは、自由への憧れもある。
映画製作:トルコでの撮影許可は下りず、トルコの場面もドイツで撮影。ケルン近郊にオープンセット。
公開を巡って、トルコ政府はトルコ国内での上映を禁止。
トルコ国内と、ドイツのトルコ系移民コミュニティの保守派が過激な反応。
抗議や殺人予告。
撮影中もエルテンさんはトルコ人の反応を怖がっていた。
主演のアイテン・エルテンは家からも出られなかったが、その後、数本の映画に出演。
80年代にトルコに帰国。大学で演劇を学んだ人。

シリンを演じたアイテン・エルテンさんは、「あらゆる女性労働者が搾取される様を提示したいと思った」と語っている。
マフムード役のアラス・オーレンは作家で、トルコに対して批判的発言も。
★出稼ぎ労働者を扱ったニュージャーマン映画
『不安は魂を食いつくす』1974年 モロッコ移民
『パレルモまたはヴォルフスブルク』1980年 イタリア移民
報告:景山咲子