イスラーム映画祭10 『怒れるシーラ』(ブルキナファソの女性監督が訴えるサヘル危機)

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『怒れるシーラ』 原題:Sira
監督:アポリーヌ・トラオレ / Apolline Traoré
2023年/ブルキナファソ=セネガル=フランス=ドイツ/122分/フラニ語、モシ語、フランス語、英語  字幕:日本語、英語
予告編: https://youtu.be/ZrxWYOaZQOw?si=mBQUFQM1nGQn_Hme
日本初公開

首都ワガドゥグでアフリカ最大の映画祭フェスパコが開かれている、日本ではなかなか観る機会のないブルキナファソの映画。 
砂漠を渡り、キリスト教徒の婚約者家族のもとへ向かう途中イスラム過激派に襲撃され、家族と尊厳を奪われたフラニ人(サヘルで暮らす遊牧民族)女性の生きるための闘いと復讐の物語。
不安定な情勢が続く、日本ではまったく報道されない“サヘル危機”の実情を織り込みながら、無力な犠牲者としか見なされない現地の女性たちをエンパワメントしています。
(藤本さんからの案内文)

★トーク
2/22(土)17:30上映後
【テーマ】 《ブルキナファソの女性監督が世界に訴える、“サヘル危機”とは?》
【ゲスト】 岩崎有一さん ジャーナリスト

ブルキナファソの女性監督が世界に訴える サヘル危機とは?

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監督はアメリカで映画の勉強をし、ブルキナファソに2008年に戻って、撮り続けている。

サヘル危機とは?
岩崎有一さん: フリーのジャーナリスト
2013年~16年、サヘル危機 ブルキナファソとマリで取材。
2017年に入って、ここにいては危ないと言われ、隣国に。

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サハラの南がサヘル。 
サヘル:8か国にまたがる
マリ北部紛争からサヘル危機に

昔々、アフリカに国境がなかったころ、トゥアレグ族が暮らしていた。
フランスは、その存在を考慮せずに植民地を手放した結果、彼らの暮らす地区を分断する形で国が出来た。

リビア: カダフィは反体制派に殺された(米国など)
トゥアレグの人たちが傭兵としてリビアに出稼ぎに行っていた。彼らが武装して各国に戻った。

アルジェリア国内に暮らすアルジェリアのアルカーイダが、マリの武装組織と組む。
トゥアレグと相いれない考え。
アルジェリアのジハーディストによって、マリ全土が混乱。さらにサヘル全域におよぶ

イスラーム映画祭1で上映した『禁じられた歌声』は、マリ北部がジハーディストに掌握された時の話。

ブルキナファソ:2015年、アルカーイダによるテロが首都ワガドゥクで起こり、それから南部にも広がった。

サヘル危機による避難民 200万人いるといわれる。

ジハーディストは恐怖を効率的に使用。
男たちは皆殺し。
女性は殺さず乱暴する。
苦しみを持って生き続ける人がいるほうがジハーディストには都合がいい。

マリで、2016年、トゥンブクトゥをめざして北上するが、たどり着けなかった。
途中の町で軍人が殺され、庶民は殺されず、夫や両親の目の前で女性が暴力を振るわれることも多々あった。町を破壊。病院、学校、役所、自動車部品工場などのほか、シンボル的なものも破壊された。

食事、大皿を大勢で囲んで手で食べる
“ピリピリ” すごく辛い唐辛子
口にした唐辛子を背中に塗る →拷問的行為

ジハーディストといっても、様々な集団。
スウェーデン ウプサラ大学の研究所にジハーディストに関するサイト。
マリ 30勢力
ブルキナファソ 4勢力

フラニ: サヘルで幅広く暮らす遊牧民族
なぜ迫害されるのか?
遊牧しているフリをして、テロリストを匿っているという噂。

政府のケアが及ばないところで、庶民をケアして歓迎されている。
テロではなくビジネス

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フラニに対する非難は不当なもの。
民族どうしの問題は話し合って解決してきた
男だけで決めるな! (と、シーラの母)

サヘル危機はどうやって収束するのか?
誰に聞いても「わからない」

トゥアレグ: フランスの責任
ブルキナファソ1国で解決できるものでない。
トーゴとベナンでもジハーディストの攻撃が始まった。
格差から生まれる絶望。

ブルキナファソ: 宗教的な問題も民族的な問題もなかった。
金が出てから問題が起こった。

サヘル危機は、もっと一般に知られるべき。

最後、シーラが赤ちゃんを殺さなかったのは、ジハーディストへの赦し?

イスラーム映画祭10 名古屋編 上映スケジュールとトーク情報

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2025年3月29日(土)~4月4日(金)
※4/1(火)休館/6日間12回上映 
会場:ナゴヤキネマ・ノイ  https://nk-neu.com/

オンラインチケット販売:上映の10日前から
https://nkneu.sboticket.net/

劇場窓口:オープン時間より販売開始 (各作品 上映10日前より)

★トークのない回も、イスラーム映画祭主宰 藤本高之さんによるミニ解説があります。

☆各映画の内容につきましては、公式サイトをご覧ください。
http://islamicff.com/index.html

☆名古屋編 チラシ http://islamicff.com/pdf/iff10_nagoya.pdf


◆上映スケジュール◆
3/29(土)
16時35分『モーグル・モーグリ』

18時40分『怒れるシーラ』
★上映後、ジャーナリスト・岩崎有一さんによるオンライン解説
《ブルキナファソの女性監督が世界に訴える、“サヘル危機”とは?》
東京でのトーク報告

3/30(日)
16時35分『さよなら、ジュリア』(スーダン)
★上映後 防衛大学校准教授・丸山大介さん解説
《なぜ「さよなら、南スーダン」になったのか? ―歴史に翻弄されたスーダン人の今と未来》
東京でのトーク報告

19時50分『ラナー、占領下の花嫁』(占領下のパレスチナ)

3/31(月)
16時35分『シリンの結婚』(ドイツのトルコ系移民)
★上映後、ドイツ映画研究者、渋谷哲也さんによる解説
《トルコ系移民とドイツ社会 ―映画がもたらした危険な騒動》
東京でのトーク報告

19時50分『チュニスの切り裂き男(シャッラート)』(チュニジア)

4/2(水)
16時35分『イチジクの樹の下で』(チュニジア)

19時『ハリーマの道』(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
東京でのトーク報告

4/3(木)
16時35分『母たちの村』(西アフリカ 女子割礼を巡る物語)
東京でのトーク報告

19時15分『カシミール 冬の裏側』

4/4(金)
16時35分『ギャベ』

18時15分『神に誓って』
★上映後、本作の日本公開にご尽力され、2022年に逝去されたウルドゥー語文学者の麻田豊先生による2015年本作上映時の解説を、ご遺族の許諾のもと動画にてお送りします。


☆こちらもご参照いただければ幸いです。
2025年イスラーム映画祭10 ★開催概要★  (シネジャ映画祭報告)
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/509109203.html

イスラーム映画祭10 『母たちの村』 (西アフリカ 女子割礼を巡る物語)

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『母たちの村』 原題:Moolaade
監督:ウスマン・センベーヌ / Ousmane Sembene
2003年/セネガル=ブルキナファソ=モロッコ=チュニジア=カメルーン=フランス/125分/バンバラ語、フランス語  字幕:日本語
予告編: https://youtu.be/aXjE0nIJsbQ?si=mkc_1oM0WOnKlqYe

2006年に今はなき岩波ホールで公開された、「アフリカ映画の父」と呼ばれるセネガルの名匠ウスマン・センベーヌ監督の遺作。19年ぶりにリバイバル上映。
ある日シレ家の第二夫人コレのもとに、4人の少女が割礼から逃げてきます。
割礼が原因で二度も死産し、ようやく生まれた娘には割礼させなかったコレは、少女たちを“モーラーデ(保護)”しますが…。
今もアフリカを中心に世界各地に残る”女性性器切除(FGM/C)”廃絶を願いつつ、二つの伝統的慣習を対比させた見事な作品です。
(藤本さんからの案内文)

◆ストーリー 
西アフリカの小さな村。 シレ家の第二夫人コレは、第一夫人ハジャトゥ、第三夫人アリマや子どもたちと暮らしている。
ある日、太鼓の音で少女たち6人が割礼を前にいなくなったと知らされる。 そのうちの4人がコレの元にやってくる。 コレが自分の娘の割礼を拒否していたのを知って、「保護」を求めて来たのだ。 コレは家の入り口に縄をかけ「モーラーデ(弱いものを保護すること)」を宣言する。 始めたものが終わるというまで、この聖域には立ち入ることができない。 少女たちはこの中にいる限り安全なのだ。 しかし割礼師や少女たちの母親が談判にやってくる。 割礼は古くからの風習で、受けないものは不浄で結婚できないとされている。 コレは割礼のおかげで難産し、2度も子供を死なせていた。 3度目は帝王切開でやっと産むことができ、この娘の割礼を拒否し続けているのだ。

女たちが頭上に水がめを載せて、モスクの前を歩いていく。 木のくいがいっぱい飛び出たモスクは、世界遺産に指定されているマリ共和国トンブクトゥのモスクと同じタイプの、西アフリカでよく見られる日干し煉瓦で造られたスーダン様式。 のどかな風景だが、水汲みという重労働が女たちに課せられていて、一夫多妻は労働力確保のためかと思いたくなる。 本来、イスラームが一人の男に4人まで妻を娶ることを認めたのは、イスラーム初期の聖戦で男たちが数多く戦死したための方策であったはずだ。 イスラームが各地に伝播するうちに解釈が違っていたり、本来の宗教の教義と、その土地の因習が交じり合い、あたかもそれがイスラームの定めであるかのように扱われていたりしていることは実に多い。
本作では女子割礼が神の定めたこととして、村の長老たちは絶対的権力をもって執り行っている。 しかしある日、女たちはラジオを聴いていて、「メッカに巡礼している女たちは割礼していない」という指導者の言葉を耳にする。 ラジオを取り上げ焼き払う長老たち。 けれども、指導者の言葉というお墨付きを得た女たちは、女子割礼廃止に向けて立ち上がる。 エンディングに高らかに唄われる歌の歌詞「割礼のことは書かれていない」とは、もちろん、「コーランに書かれていない」という意味。 女子割礼に苦しむ女たちに、安心して反対運動を起こしなさいとエールをおくっているようである。

本作には、女たちだけでなく、悪しき因習から立ち上がろうとする男たちも描かれている。 パリ帰りの村長の息子、長兄の命令で妻に鞭を振るいつつも妻に理解を示す夫…。 男も女も共に意識を変えていかなければ社会は変らないことを訴えているのであろう。
もう一人、際立った登場人物が「兵士」と呼ばれている商人の男。 普段、村人相手に暴利をむさぼる商売をしているが、割礼廃止に立ち上がった村の女たちの味方をする。 そのために長老たちによって葬りさられるのだが、この男、国連平和軍に従軍していた折りに、高官が給料をピンはねしていることを口外したために刑務所送りとなった経験があるという人物だ。 監督はアフリカの伝統社会に一石を投げているだけでなく、国際社会に向けても、ぴりりと批判の言葉を発していて、喝采をおくりたい。(咲)

☆2006年公開当時のシネジャ作品紹介より抜粋 


★トーク
2/20(木)18:55上映後
【テーマ】 《女性性器切除(FGM / C)は誰のため? ― 「宗教」と「開発」二つのナラティブをめぐって》
【ゲスト】 嶺崎寛子さん 成蹊大学文学部 教授 
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専門は、エジプト。2000年から約5年、エジプトで文化人類的な調査を行った。
西アフリカは専門外で、先月初めて西アフリカのガーナに調査に行った。
エジプトは、FGM/C率の非常に高い地域。
FGM/C 割礼は、地域によって違う。儀礼も中身も意味も違う。
FGM/Cは、欧米によって、排除しないといけない遅れた有害な文化的慣行として扱われてきた。
イスラームに基づいた習慣と信じている人もいるが、エジプトのキリスト教徒もしている。
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「女子割礼」と、現地では普通にいう。廃絶運動をしている人たちによって、1990年代に、FGM/Cという言い方になった。“cutting”という言葉は、言い過ぎだと思う。

ヴェールが強制されるのは、おかしい。自分の意志で被るのは、抑圧ではない。
女子割礼に関しても同じ。

『母たちの村』は、多層的、寓話的。
女子割礼をめぐる立場は多様。性別、経験、教育程度、権力関係などが影響している。
映画の中では、「あの儀式」といっている。
フランス帰りのエリートである村長の息子が保守的。
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一方で、欧米的価値観では批判の対象である一夫多妻が、この映画では女性同士の連帯として肯定的に描かれている点が興味深い。

女子割礼、元々はアフリカの文化、

映画の中の割礼を施す女性たち。どこかからやってきて、割礼でお金を得ている。
別の仕事を作らないと排除できない。
宗教に基づくものなら、やめるのは簡単。
スーダンでは、FGM/C廃絶会議。男性たち、「俺たちの大事な文化」

ヴェールにしても割礼にしても、当事者の気持ちを考えて語るべき。

*******
トークの中で、WHOが定めるFGM/Cの4分類についても、具体的に図解付きで解説してくださいました。
実に明快かつ詳細な解説でした。

報告:景山咲子




イスラーム映画祭10 『シリンの結婚』(ドイツのトルコ系移民)

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『シリンの結婚』 原題:Shirins Hochzeit 英題:Shirin’s Wedding
監督:ヘルマ・ザンダース=ブラームス / Helma Sanders-Brahms
1976年/西ドイツ/121分/ドイツ語、トルコ語  字幕:日本語、英語
日本初公開

今までに上映してきたドイツ移民映画の極めつきとして、西ドイツ時代につくられ物議を醸した問題作をご紹介します。
トルコの村に住むシリンは政略結婚から逃れようと、幼い頃に結婚の約束がなされたマフムードを追いドイツのケルンへと渡ります…。
生涯にわたり女性の問題を撮り続けた監督が、ドイツで初めてトルコ移民をテーマに製作。最初にTV放送された本作はドイツとトルコ双方の民族主義者を怒らせ、主演の俳優は脅迫さえ受けました。
(藤本さんからの案内文)

上映前に、藤本さんから、本作のナレーションが、ブラームス監督と架空の人物である主人公シリンとの“対話”の形をとっているとの説明がありました。どちらも一人称で語られているという次第です。

◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)
私は死んだ
シリンは死んだ
ファルハドは掘ってシリンを探し続けた

アナトリア それが私たちの国
土地は、アガ(領主)のもの 
母が死んだあと、父は領主に石を投げて逮捕された。
1971年真夏 許嫁のマフムードがドイツから戻らず、管理人の求婚を受け入れた
そんな折、マフムードがドイツから帰ってきた!
でも、自分の前を通り過ぎた。
マフムードは村中に贈り物を。
シリンには、最後に残った洗面器を。
村にもうすぐ電気が来るからと、冷蔵庫や洗濯機なども・・・
マフムードはシリンのことを忘れていた。そして、ケルンに戻っていった。

管理人の車に乗って嫁に行く。マフムードからもらった洗面器を大事に抱えて。
途中のガソリンスタンドでガソリンを入れている間に、ガソリンスタンドの父の友人に「逃げるからお願い」といって立ち去る。 
シリンはマフムードを探す。鋼の山を掘る。

管理人は、叔父に返金を求めた。

シリン、バスを止める。でもバス代がない。居合わせたファトマが払ってくれる。知り合いでもないのに。 
イスタンブルへ。 
ファトマの娘のところに一緒に行く。
娘婿はドイツで事故死したのに補償もない。
ドイツ語を学ぶ。 
移民局で検査を受ける。
ドイツへ。ここは領主の地より冷たい。
スーツケースを開けるように言われる。 中には美しいシーツや布類。

ケルンに着く。
バスタブや水道の使い方を教わる。
工場でギリシャ人の女性と知り合う。 ギリシャは敵と学んでいたが、違った。
管理人の妻なら、大きな家に住み、何も怖れることはなかった。
マフムードに会えるのか?

ギリシャ女性:ドイツは孤独。トルコの心を知った。

同僚のアイシェから、ズボンは脱いで。 スカーフはしないでと。
シリン:村ではスカーフをしないと罪になる。男に髪の毛を見せたら地獄に落ちる。
マフムードを駅で見かけたが、それから2年・・・


1974年 大量解雇。 会社の寮も出ることになる。
子どものいるギリシャ人のマリアは解雇されず。

シリン、職探しに。 担当女性、リンゴをかじりながら紹介してくれる。
「リンゴいる? 庭で育ったの」

ギリシャでは政変。皆が喜ぶ。 トルコ人も一緒に喜ぶ。

シリンは、また解雇されて、その上にレイプされる。
マリアはギリシャに帰るという。「あなたもトルコに帰って」
もう処女じゃない。結婚できない。
列車でギリシャに帰るマリアと子どもたちを見送る。
洗面器を大事に抱えているシリン。
また職安へ。
「解雇になったら、次は難しい。今回はリンゴもない」とつれなくいわれる。

職を求めて入った食堂で知り合いの男に会う。 仕事も部屋もくれるという。
娼婦の仕事だった・・・

マフムードと思わぬ出会い。
マリアの夫が客で来る。半年、女のいない暮らし。
お金を払うといわれるが、ダメ、マリアは友達。

家に帰るといって去るシリン。撃たれてしまう・・・

******

親が決めた婚約者のことをマフムードは、すっかり忘れているのに、シリンはマフムードから貰った洗面器(そも、最後に残ったものだった)をいつまでも大事に抱えているのが可愛いです。というか、切ないです。可笑しくもあるのですが、それほどまでにシリンが純情ということでしょうか。 処女でなくなったということは、ムスリマのシリンにとっては、もう結婚できないという致命傷。娼婦になるしかなかったシリンの悲しく切ない物語でした。

ところで、冒頭、「シリンは死んだ。ファルハドは掘ってシリンを探し続けた」という場面があるのですが、劇中、ファルハドは出てきません。
実は、ここで思い浮かんだのが、「ホスローとシーリーン」というニザーミーによるペルシア語の叙事詩。その中に、ササン朝のホスロー王子が恋するシーリーンに横恋慕した石工のファルハードの物語があるのです。ホスローが嫉妬からファルハードに、崖の岩に階段を彫らせた、運河を掘らせたという話。
映画の中にファルハドは出てこなかったので、成就しなかった恋愛の象徴として、冒頭に掲げたのかなと思いました。

ところで、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督には、2004年の東京国際女性映画祭で『魂の色』が上映された折にインタビューしたことがあります。
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左から、景山咲子、石井香江、ヘルマ・サンダース=ブラームス監督

シネマジャーナル63号(2004年12月発行)に記事を掲載しています。
『魂の色』パラノイア化する世界に抗して 〜ヘルマ・サンダース=ブラームス監督に聞く〜

『魂の色』は、セネガル人のミュージシャンと、ドイツ人女性の看護師の魂の交流を描いた心温まる物語。その合間に、ドイツ社会の今を物語るシビアーなエピソード(黒人やイスラーム系住民に対する偏見、経済の後退、若年失業者の増加)などがさり気なく散りばめられていました。
ヘルマ・ザンダース=ブラームス監督が、一貫して労働者階級や移民などに目を配って映画製作をされていたのを感じました。(咲)


★トーク
③2/21(金)19:00上映後
【テーマ】 《トルコ系移民とドイツ社会 ―映画がもたらしたスキャンダル》
【ゲスト】 渋谷哲也さん ドイツ映画研究者/日本大学文理学部 教授


トルコの愛国主義者から、監督と女優が狙われた。
ブラームス監督 女性の生き方を描いた映画が多いと思われているが、ドイツ社会に生きる労働者を描いたものをその前によく撮っている。
社会問題を広く扱っている。文学作品も。
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ヘルマ・ザンダースの名で活動していたが、ヘルク・ザンダースという、やはり有名な監督がいて、まぎらわしいので、ヘルマ・ザンダース=ブラームスに。 5代前が作曲家のブラームス。

あるトルコ女性と共同でシナリオを書き、その女性が主演を務める予定が撮影直前に降板。急遽、アイテン・エルテンを起用。
ナレーションが、監督とシリンの対話になっている。

マフムード役は、トルコ出自のアラス・オーレンが演じている。

1961年、トルコと短期労働者を募集する二国間協定を結ぶ。
1961年にベルリンの壁が建設され、東ドイツからの労働者が西に入れなくなって、労働力が必要になったという事情がある。

1960年頃、西独の外国人 30万人位。
1973年 270万人くらいに増えた。

外国人排斥の動きがあって、新規の外国人受け入れを1973年停止。
1980年代になって、帰国促進事業。 ドイツに長期間滞在を望む者が多かった。
ドイツは期限付きで帰ると想定していたが、なかなか帰りたがらない。会社側も慣れた人を長く雇いたい。
すでに働いている人は家族を呼び寄せていいことになり定住が進む。(1973年~)

ドイツで生まれた移民2世。 
国籍は血統主義だったが、2000年に出生地主義になり、成人(23歳)までに国籍を決めることに変更された。

生活環境
宿舎は会社持ちでなく、公営施設。
仕事がないと滞在許可が得られない。悪循環で身を落とす人たちも。
なぜシリンは娼婦になったのか?
シリンは故郷に帰れば、稼ぎを当てにする地元の家族がいる。また、イスタンブルへの道中助けてくれたファトマにも援助している。
レイプされ処女を失う。トルコ女性にとっては、結婚できない事態。
名誉のために死ぬか、娼婦となるか。
トルコでは名誉殺人が多い。映画でも描かれることが多い。
家父長的なトルコ社会から逃れて、自由を求めたという面もある。
髪をブロンドに染めたのは、自由への憧れもある。

映画製作:トルコでの撮影許可は下りず、トルコの場面もドイツで撮影。ケルン近郊にオープンセット。

公開を巡って、トルコ政府はトルコ国内での上映を禁止。
トルコ国内と、ドイツのトルコ系移民コミュニティの保守派が過激な反応。
抗議や殺人予告。
撮影中もエルテンさんはトルコ人の反応を怖がっていた。
主演のアイテン・エルテンは家からも出られなかったが、その後、数本の映画に出演。
80年代にトルコに帰国。大学で演劇を学んだ人。
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シリンを演じたアイテン・エルテンさんは、「あらゆる女性労働者が搾取される様を提示したいと思った」と語っている。

マフムード役のアラス・オーレンは作家で、トルコに対して批判的発言も。

★出稼ぎ労働者を扱ったニュージャーマン映画
『不安は魂を食いつくす』1974年 モロッコ移民
『パレルモまたはヴォルフスブルク』1980年 イタリア移民

報告:景山咲子

イスラーム映画祭10 『さよなら、ジュリア』(スーダン)

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サブサハラアフリカ・サヘル地域特集-(1)
『さよなら、ジュリア』 原題:Wadaean Julia 英題:Goodbye Julia
監督:ムハンマド・コルドファーニー / Mohamed Kordofani
2023年/スーダン=エジプト=ドイツ=フランス=サウジアラビア=スウェーデン/120分/アラビア語  字幕:日本語、英語
予告編: https://youtu.be/Xh8sauNG4AE?si=CUhQWq2yHc1mdRHO
日本初公開

4年ぶりのスーダン映画。
現在の内戦が始まる前に製作されました。  (今の内戦の始まる3ヶ月前に撮影終了)
夫の命令で歌手をやめたモナはある日、自分の過失から取り返しのつかない悲劇を招きます。
罪悪感に苛まれる彼女は、被害者の妻ジュリアと息子の面倒を見ることに…。
南スーダン独立前を背景に、北部のムスリム女性と南部のキリスト教徒女性の日々を描き、混迷のスーダン史を重ねた観応え満点のドラマです。
(藤本さんからの案内文)


◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)

2005年、ハルツーム。
台所で玉ねぎを切りながら、ライブ日時を電話で聞くモナ。

朝食中に暴動の音。
「奴隷め」と夫アクラム。
車を焼き、石を投げる人々

十字架のペンダントをした女性ジュリア。家主から家を出てくれといわれる。

モナがレストランに行くと、暴動でライブは中止になったといわれる。

モナの夫が、モナの誤解のせいでジュリアの夫を撃ってしまう。
ジュリア、夫が行方不明と、警察へ。暴動が起こっているため、ちゃんと対応してくれない。

市場でオクラの粉を売っているジュリア。
モナが10袋買う。さらに、ジュリアをメイドとして雇う。
「南部の人は野蛮。ジュリアの住み込みは嫌だ」と夫。

ジュリアから1年生になったダニエルを公立学校に通わせたいといわれ、「遠いので近い私立に、お金は出すから」と提案するモナ。

♪サイード・ファリーファの歌。
モナは歌手をしていたが、夫にやめさせられた。
「いい人だけど愛は冷めた」とジュリアにつぶやく。
そんなモナにジュリアは、「大事にして。夫がいなくなって大切さがわかる」と告げる。

夫から、「ダニエルに私立は場違い」と言われ、「お金は遺産で払った」というモナ。
「奴隷は差別していい。君だって彼女の食器に印をつけて差別しているのを認めろよ」と夫。

2010年12月 ハルツーム
スーダンの南北分離独立か統一かを問う選挙
ジュリアは南北統一を支持。
ルーツは南だが、ハルツームで生まれ育ってアラビア語で話すジュリア。
だが、選挙結果、南スーダン独立。

ジュリアとライブを聴きにいく
ヒジャーブ姿でギターで弾き語りを始めるが、モナだとばれてやめる。

ジュリアがモナを教会に案内する。
教会で歌を聴く。ちょうどクリスマス。
今までモナが知らなかった世界・・・・

*****

自分のせいでジュリアの夫を死なせてしまったという自責の念で、その事実を隠して、モナはジュリアに近づき、住み込みの家政婦にします。息子に私学に行かせるだけでなく、勉強したかったというジュリアにも学校に通わせます。裕福だから出来ることですが、夫は南出身の人々を「奴隷」と蔑んで、ジュリアのこともよく思っていません。
とはいえ、モナもジュリアの使う食器に赤い印をつけていることを夫から指摘されて、何もいえません。
南北分離独立前は、アフリカで一番大きかった国スーダン。なぜ分離独立することになったのかの事情をよくわかっていませんでした。
「奴隷」と言われるほどまでに、南の人たちが北の人たちから蔑まされていることを知って、そりゃ~南の人たちは独立したかっただろうと納得しました。
ルーツが南でも、北で生まれ育ったジュリアが南北統一を支持していたのもわかります。内戦は終わっても、また次の戦争が起こるとジュリアがつぶやいた通りになりました。悲しい現実・・・  それでも、本作を観終わって、宗教や人種の違う二人の女性が心を通わせたことに、一縷の望みを感じました。その動機がモナの自責の念からだったとしても。(咲)


★トーク
2/22(土)11:50上映後
【テーマ】 《なぜ「さよなら、南スーダン」になったのか? ―歴史に翻弄されたスーダン人の今と未来》
【ゲスト】 丸山大介さん 防衛大学校 准教授

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丸山:ハルツームを中心にスーフィズムの調査を行ってきました。
北と南のことを映画を通じて知ったこともあります。

藤本:2005年が1時間、2010年が1時間。後半のほうが明るい開放的な雰囲気。

丸山:2005年は内戦が終わったばかりで、また戦争が起こるかもという状況だったのではないかと思います。 2008年にスーダンを訪れた時は、内戦が終わってしばらく経ち、人々も優しく受け入れてくれました。

藤本:歌がとてもいい。ラストはこの映画のためのオリジナル曲。
スーダンのゴスペル。サイード・ファリーマの曲です。
ジュリアはルーツは南だけれど、ハルツームで生まれ育ち、アラビア語を話す。
統一を支持していて、南の人からは北の人と見られる。
モナとジュリアを北とみなみの対立とはいえない。

丸山:ハルツームは、二つのナイルが合流する地 様々な多様性。民族は、アラブ研究者が行くとアフリカ的と思い、アフリカ研究者が行くとアラブ的と感じます。
北:アラブ系、南:アフリカ系とも言い切れないところがあります。
多様な民族集団です。
南は元々アラビア語を話さなかったが、北からの軋轢などで使うようになりました。

******

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丸山大介さんからは、このほか、スーダン前史から現代史、多様性に富んだスーダン(北部と南部の違いを中心に)、2010年の国政選挙の模様(写真たっぷり)など、資料を用いて、充実の解説をお聞きすることができました。

報告:景山咲子