イスラーム映画祭8 『ファーティマの詩(うた)』 フランス、アルジェリア移民の母の悲哀 (咲)

イスラーム映画祭8では、フランスのマグリブ移民とその第二世代をテーマにフランス映画の小特集が組まれ、下記2本が上映されました。
『ファーティマの詩(うた)』
『エグザイル 愛より強い旅』

ここでは、パリ同時多発テロから3ヵ月後の2016年セザール賞で最優秀作品賞を受賞した、フィリップ・フォコン監督作『ファーティマの詩(うた)』と、上映後のトークをご紹介します。

『ファーティマの詩(うた)』 原題・英題:Fatima
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監督:フィリップ・フォコン / Philippe Faucon
2015年/フランス=カナダ/フランス語・アラビア語/78分
予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=eHM9rSskaqw
★日本初公開

リヨンの郊外(バンリュー)の団地で暮らすアルジェリア移民のファーティマ。夫と離婚し、二人の娘たちに教育を受けさせるため、朝から晩まで清掃や家政婦の仕事をしている。大学生のネスリーンは医学部で母親の期待にこたえようと勉学に励むも、試験の重圧からストレスを抱えている。次女のスアードは母親の仕事を軽蔑して真面目に勉強しようとしない。ファーティマは、日々の思いを詩にして綴る・・・
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ファーティマはフランス語が流暢に話せず、仕事場ではがゆい思いをしていて、娘たちにはアラビア語で話しかけます。でも、娘たちから返ってくるのはフランス語。アルジェリアから一緒に移民してきた夫は、離婚後、新たな妻と暮らしていて、ファーティマには複雑な思いがよぎります。 
フランス語ができないために、仕事も限られてしまいます。長女と一緒にアパートを見に行った時には、スカーフを被っていたからか、不動産屋から、「この部屋はすでに決まった」と言われてしまいます。移民のムスリムが、何かと差別されている社会を本作は映し出しています。
美しいアラビア文字で綴るファーティマの姿からは、詩の文化を大切にする心を感じて救われました。


《郊外(バンリュー)と移民 ―映画から読み解くフランスの移民事情》
【ゲスト】森千香子さん(同志社大学社会学部教授/『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』著者)
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2/23(木)12:50からの『ファーティマの詩(うた)』上映後、フランスのムスリム移民に詳しい森千香子さんの解説。
トーク開始の前に、藤本さんより、「移民2世、移民3世という表現はあえて使わず、移民の子ども世代、第二世代としました」と、まず説明がありました。
フランスでは移民してきた親が外国籍でも、フランスで生まれればフランス国籍。 アメリカでは、例えば中国2世、3世、メキシコ2世となるが、フランスでは親の国籍や出自は問わず、フランスで生まれればフランス国籍なのが当然。移民2世とは言わないとのこと。

フィリップ・フォコン監督は、モロッコ出身。1983年に夫とともにモロッコから移民してきたファーティマ・アル・アイユービーによる著書2冊をモチーフに、主人公をアルジェリア移民に置き換えて描いた作品。ファーティマ役を演じたファーティマ・スライヤー・ゼルーアルさんは、実際にアルジェリア移民で清掃の仕事をしていました。
本作は、2016年セザール賞で最優秀作品賞を受賞する前から、注目されていて、普通のフランス人が観て感動していた。

◆ムスリム大国フランス

フランスのムスリム移民  約500万人 (人口の7%)
(フランス生まれの第2、3世代も含む)
*移民の統計を取っていないので推測

アルジェリア 256万人
モロッコ 182万人
チュニジア 76万人

◆植民地支配の歴史

フランス領アルジェリア (1830年~1962年)
・19世紀 フランスからアルジェリアに入植
・20世紀 アルジェリア→フランス 戦争・労働への動員
・1950~1970年代 戦後の復興期をマグリブ移民が支えた

映画の中で、父親が娘に窓の外の高層ビルを指して 「すごい高さだろ? 俺たちが建てた。何時間も働いたよ」という場面がある。
一方、娘は母親の清掃の仕事には誇りが持てない。


◆郊外(バンリュー)
Banlieue : Ban 締め出された lieue 地域 
郊外の意味でも使われる。
日本ではベッドタウンのイメージ。
イギリスでは郊外に金持ちが移り住んだ。
フランスの郊外は、工業地帯として発展。貧しい人たちの住む町に。
旧植民地にルーツを持つ低所得者層が多い。
空間的な“郊外”と、チタンの悪い地域としての“郊外”

◆なぜ、移民とその家族は「団地(シテ)」住まいが多いのか?
第二次世界大戦でフランスは大きな被害を受け、住宅事情がよくなく、郊外に団地がたくさん建てられた。元々、フランス人が住んだが、徐々に持ち家を買って出ていって、そこに移民の家族が住むようになった。
1973年、オイルショックで新規労働移民の受け入れを1974年に停止。 フランスに単身でいた労働者が家族を呼び寄せた。


◆フランス 「郊外(バンリュー)」映画への誘い

『彼女について私が知っている二、三の事柄』 1967年
ジャン=リュック・ゴダール監督
当時、最大規模だったパリ郊外ラ・クールヌーヴ4000戸団地が舞台
実話を参考にしながら、一見豊かに見える団地生活と消費社会の実態を鋭く批判

『憎しみ』 1995年
マチュー・カソビッツ監督 (ユダヤ人)
郊外の若者の一日を白黒でスタイリッシュに描いて、世界的に大ヒット。
主役はユダヤ系、アラブ系、アフリカ系の3人の若者。
2020年にリバイバル。舞台にもなっている。

『ウエッシュ、ウェッシュ、何が起こっているの?』 2001年
ラバ・アメール・ザイメッシュ監督 (アルジェリア生まれ)
パリ郊外モンフェルメイユの団地が舞台。
監督自身が育った団地が舞台で、出演者のほとんどが団地住民や監督の家族。
アンチ『憎しみ』として作られた。

『身をかわして』 2003年
アブデラティフ・ケシシュ監督(チュニジア出身)
青春ドラマ。コメディー。

『レ・ミゼラブル』 2019年
ラジ・リ監督(マリからフランスに移住した両親のもとに生まれる)
パリ郊外モンフェルメイユ団地が舞台。
タイトル『レ・ミゼラブル=悲惨な人たち』は、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの著作と同じ
郊外の移民の経験がより広いフランス人に共通するというメッセージ
シネジャ作品紹介:http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/473711950.html

「郊外(バンリュー)」映画の多くが男性中心に描かれている中で、『ファーティマの詩(うた)』 は女性中心に描かれている珍しい映画。


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『エグザイル 愛より強い旅』原題:Exils 英題:Exiles
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監督:トニー・ガトリフ / Tony Gatlif
2005年/フランス/フランス語、アラビア語、スペイン語/103分
*2005年 劇場公開
シネジャ作品紹介『愛より強い旅』
http://www.cinemajournal.net/review/2005/index.html#ai-tabi

★本作の冒頭、ロマン・デュリス演じる主人公が窓辺に佇むの背中が映し出され、窓の外に団地が広がっていました。

日本でも人気のあるアルジェリア出身でロマのルーツも持つトニー・ガトリフ監督作。
ガトリフ監督の自伝的要素も強い本作は、ともにアルジェリアルーツのカップルがアイデンティティを求めてパリからアルジェを目指す物語。
フランス→スペイン→モロッコ→アルジェリアと続く旅をスーフィー音楽等を基にした、督自身による楽曲の数々が彩ります。
*国内未ソフト化です。

ビートのきいた刺激的なテクノ音楽、哀愁漂う中に力強さのあるフラメンコ、民族楽器とテクノを融合させて移民の心情を歌い上げるライ、そして、神との一体をはかるためのスーフィー(イスラーム神秘主義)音楽と、本作は音楽を巡る旅でもあります。 アルジェの町で、素肌を隠せと強要されて被っていたスカーフとコートを脱ぎ放ったナイマが、スーフィー音楽にあわせてトランス状態に陥っていくラストは圧巻。 ただし、本来のスーフィーの儀式に使用する三拍子系ではなく二拍子系リズムに変えてあり、監督のオリジナル。(咲)


報告:景山咲子

イスラーム映画祭8 『太陽の男たち』  岡真理さんから学ぶ いまだに叶わないパレスチナの人々の願い (咲)

2023年で1948年のイスラエル建国による“ナクバ(大災厄)”から75年を迎えるにあたり、イスラーム映画祭8で、あらためて「パレスチナ」が取り上げられました。

『太陽の男たち』は、1972年にベイルートで爆殺されたパレスチナ難民の作家、ガッサーン・カナファーニー(1936-72)の代表作の映画化にして、“アラブ映画史における最重要作”の1本。
難民として生きるパレスチナの人たちの悲哀をずっしり感じさせてくれる一作。
それは今も変わらない現実であることを突き付けられます。


《ガッサーン・カナファーニー没後50年特別上映》

『太陽の男たち』 原題:Al-Makhdu'un 英題:The Dupes
監督:タウフィーク・サーレフ Tewfik Saleh
1972年/シリア/アラビア語/107分
★劇場初公開

*物語*
イラク南部の港町バスラ。ティグリス河とユーフラテス河の合流するシャット・エル・アラブの河畔で、それぞれにクウェイトを目指す4人のパレスチナ難民の男たちが出会う。知人からクウェイトで一儲けできると聞いた一家の長アブー・カイス、失踪した兄に代わって親兄弟を養わなければならない10代半ばのマルワーン、政治活動をして指名手配されているアスアド。3人は、難民として暮らすヨルダンから、なんとかクウェイトに密入国して稼ごうとバスラまでやってきたのだ。その3人に、クウェイトの金持ちが所有する給水トラックの運転手を務めるアブー・ハイズラーンが、空っぽになった帰り路の給水トラックでの密入国を持ちかける。4人の乗るトラックは、灼熱の沙漠をクウェイトに向けてひた走る。イラク側の国境でアブー・ハイズラーンが出国手続きする間、3人は給水タンクの中に身を潜める。我慢の限度6分程で手続きを終え、今度はクウェイト側の国境を目指す。もう一度、給水タンクに潜む3人。入国手続きを急ぎたいアブー・ハイズラーンを、顔馴染みのクウェイトの役人たちはバスラで遊んできたのかなどとからかい、なかなかスタンプを押してくれない・・・


30年以上前に、アラブ文化協会の上映会などで、3回観ているのですが、いずれもスクリーンが小さかったので、今回大きな画面で観ることができたのは大きな喜びでした。
かつて日本で上映された時の事情をよく知っている方から、当時のフィルムは行方不明になっていたので、どこかからか見つかったのでしょうか?との問い合わせがありました。主宰の藤本さんに伺ったところ、アメリカのアラブ系映画会社がかつてのフィルムをデジタル修正したものをDCP化して上映するので、かつて日本で上映されたものとは別物。字幕も新しく付けたものとのこと。

私の記憶には、灼熱の太陽のもと、ひたすら沙漠を走るトラックと、金満クウェイトの役人たちがネチネチと運転手をいびる場面と、衝撃のラストシーンしか残っていませんでした。久しぶりに観て、映画の前半で、4人のパレスチナ難民の男たちのそれぞれの事情が丁寧に描かれていたことに驚きました。(まったく記憶が飛んでました!) 土壁の家が並ぶバスラの町らしい町並みや、ナツメヤシのたなびく風情も楽しめました。後半の太陽が照り付ける煉獄のような場面との対比が強烈でした。



《「壁を叩け!」―イスラエルが恐れたペンの力》
【ゲスト】岡真理さん(京都大学大学院人間・環境学研究科教授/アラブ文学者/『アラブ、祈りとしての文学』『ガザに地下鉄が走る日』著者)

2/23(木)15:30からの『太陽の男たち』上映後,アラブ文学研究者の岡真理さんによる詳しい解説が1時間にわたって行われました。 
冒頭、岡真理さんより、「藤本さんから『太陽の男たち』を昨年のイスラーム映画祭7で上映予定と聞かされ、新訳を光文社より2023年に出版予定なので、1年待ってもらえませんかとお願いしたのですが、まだ新訳ができていません」と明かされました。
藤本さんから、「出来上がっていれば、この会場で販売することができたのですが」と補足ありました。 近い将来、新訳が出版されるのを楽しみに待ちたいと思います。
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黒田寿郎氏による旧訳:1978年 河出書房から現代アラブ小説全集として出版された中に収められていたが、絶版に。その後、河出文庫として復活。

ガッサーン・カナファーニー(1936-1972)
1936年 アッカで生まれる。当時、歴史的パレスチナは、国連委託統治領という名のイギリス領だった。
1948年 12歳の時、ナクバ。難民となってシリアへ。

*補足説明*
1947年11月29日 国連総会でパレスチナ分割。
ホロコーストで生き延びたものの、25万人が行き場のない難民に。
ヨーロッパの反ユダヤ主義のツケを、ホロコーストに関係のないパレスチナに。
できるだけパレスチナ人を排除するという「パレスチナの民族浄化」が計画的になされ、パレスチナ人の集団虐殺が各地で起こった。

難民キャンプのテントが、だんだんブロックの家になっていったが、パレスチナ人からは、ブロックの家だと定住することになるからと反対する気持ちが強かった

1952年 UNRWAの学校で美術を教える(16歳)
      ダマスカス大学 アラブ文学科入学
      ジョージ・ハバシュ(PFLP創設者)と出会う
      MAN(アラブナショナリズム運動)に参加
      マルクス・レーニン主義に傾倒

1955年 MAN活動を理由に退学処分(19歳)
1956年 クウェイトへ  教師、ヨルダンのMAN系新聞ラアユ紙の記者(20歳)
1960年 ベイルート(レバノン)へ  MANの機関紙ホッリーヤ(自由)紙の記者に
1961年 デンマーク人のアニ・フーバーと結婚(25歳)
1967年 第三次中東戦争 PFLP創設、これに参加(31歳)
1969年 PHLPの機関紙ハダフ(目標)の編集 (33歳)
1972年 ベイルートで暗殺


◆カナファーニーが追及したテーマ:
・人が《難民》と「なる」、とはいかなることなのか。
 「悲しいオレンジの実る土地」

・人が《難民》で「ある」、《難民》として生きる、とはいかなることなのか。
 「戦闘のとき」「路傍の菓子パン」「イードの贈り物」

・人が《難民》ではなくなる、とはいかなることか。
祖国を持てればいいのか?
 「ハイファに戻って」

 
映画『太陽の男たち』
小説(1962~63年 26歳の時に執筆)のアラビア語の原題は、「欺かれし者ども」だったが、同名の映画が以前にあった為に使用できず、映画のタイトルは『太陽の男たち』となった。
太陽は、日本的にはポジティブなものだが、現地では違う。

作中、繰り返される「10年」
ナクバから10年経った1958年頃が舞台。

クウェイトを目指す3人の難民の男たち
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アブー・カイス(初老)
アスアド(青年): ヨルダンで政治活動をして指名手配
マルワーン (10代半ば):失踪した兄に代わって家族を養わなければならない

給水トラックの運転手: アブー・ハイズラーン
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ナクバの時の戦闘で男としての機能を失っていて、パレスチナ人が民族的に去勢されたことを表している。

なお、アブーは、「父」「親父」の意。
 アブー + 長男の名前
 アブー + ニックネーム 
  ハイズラーン(竹竿)は、背が高いのでつけられたあだ名。

「国境」など存在しないがごとくに、国境を超えられる者たちと、「国境」が立ちはだかり、それを超えることができない、あるいは、それを超えようとして、国境と国境のはざまで息絶える者たち・・・

クウェイトの金持ち
鷹狩に客人を引き連れ、クウェイトとイラクの間を、国境など存在しないかのように行き来し、豪遊する。

パレスチナ難民
国境を超えるために、トラックのタンクの屋根の上で砂漠の暑熱に耐え、結局、灼熱地獄と化したタンクの中で死ぬ。
砂漠に放置され、灼熱地獄と化した給水タンクで絶命し、ゴミ捨て場に打ち捨てられる難民たち = 当時のパレスチナ人(=難民)が置かれた状況のメタファー

クウェイトを目指す3人の難民の男たち
 それぞれに理由は異なるが、なぜクウェイトに行くのか?
 今のこの苦境を脱したい
  = 自分の家族の経済的な生き延びや、自分自身の(=個人の)生を生きたい(エゴイズム)
 クウェイトに行けばなんとかなる、ましになるだろう
いずれも、自分や家族の個人的、私的な「生き延び」のため

◆原作と映画の決定的な違い
原作ラストのアブー・ハイズラーンの叫び
「なぜ、お前たちはタンクの壁を叩かなかったのだ!? なぜ、なぜ、なぜ」
作者がもっとも訴えたかったこと この叫びに凝縮
自分たちの存在を世界に訴えない限り、難民キャンプで難民として朽ちていくしかない

個人的な、あるいは私的な生き延びだけを目的にしている限り、お前たちは、難民キャンプという、国境と国境のはざまのノーマンズランドにも等しい空間で、世界から忘れ去られ、死んでいくしかないというメッセージ。

イラクとクウェイト国境のはざまのノーマンズランドと、そこに放置され、焦熱地獄と化したトラック
 = 難民キャンプと、そこに難民として生きていることのメタファー

作者のメッセージ: 壁を叩け!
難民たち個々が、その個人的境遇の困難から脱出することしか考えないなら、待っているのは、民族としての「窒息死」だ。
世界に向かって、ここに、世界から忘れられ、焦熱地獄の中に打ち捨てられている、パレスチナ難民が存在する、ということを、訴えろ!
一人ひとりが、パレスチナ人という民族の歴史を切り開く政治的主体となれ!

映画では、給水タンクの中にいる3人がタンクを叩くが、外の音にかき消されて、訴えが届かない。
原作が書かれたのは、1963年。
映画が作られた1973年までの10年の間に変化したパレスチナ人の状況が反映され、「アラブ人」に対して、パレスチナ人の声に応答することを求める作品となった。

作品の宛先の違い:
原作:著者がパレスチナ人同胞に政治的主体化を求める
映画:アラブ人に対して、パレスチナ人があげている声に応答することを求める。
     タウフィーク・サーレフ監督(エジプト人) 制作:シリア

◆原作から60年、映画から50年後の現在
イスラエル: 主権をもったパレスチナ国家の樹立を一貫して否定
・政治的主体たるパレスチナ人を再度《難民》に鋳直す (Politicide)
・ガザの完全封鎖(2007~) 人為的に人道危機を創り出すことで、パレスチナ問題(政治問題)を《人道問題》に還元

報告:景山咲子





イスラーム映画祭8名古屋篇 上映&トーク 日程



2023年3月25日(土)~ 31日(金)

名古屋シネマテーク

シネマテーク イスラーム映画祭8
http://cineaste.jp/m/3400/3447.htm


★上映&トーク スケジュール★

3/25 (土)
17:00 マリアムと犬ども & ミニトーク
19:30 陽の届かない場所で

3/26(日)
17:00 エグザイル 愛より強い旅 
上映後 トーク①
ゲスト:大嶋えり子さん(金城学院大学講師)
「なぜ2人は旅に出たのか?
  ─── 映画から読み解くアルジェリアの記憶」

19:45 ファーティマの詩(うた)

 ★東京でのトークの模様はこちらで!
  http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/498632600.html


3/27(月)
17:00 そこにとどまる人々
上映後 トーク②(オンライン)
 ゲスト:佐野光子さん(アラブ映画研究者)
「エリアーン・ラヘブとナディーン・ラバキー
 ─── “アラブ”にこだわる監督たち ─── 

19:45 キャラメル

3/28(火)
17:00 午後の五時 & ミニトーク
19:30 私たちはどこに行くの?

3/29(水)
17:00 わたしはバンドゥビ
19:30 キャプテン アブ・ラエド

3/30(木)
17:00 ソフィアの願い & ミニトーク

19:10 太陽の男たち & ミニトーク
  ★東京でのトークの模様はこちらで!
   http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/498630776.html
 
3/31(金)
17:00 長い旅 & ミニトーク
19:30 ガザを飛ぶブタ

ミニトーク: 藤本高之さん(イスラーム映画祭主宰)

※トーク、ミニトークを設定していない上映回も、全て藤本高之さんの簡単な作品説明を予定しています。

各映画の内容は、下記をご覧ください。
☆イスラーム映画祭8 公式サイト
http://islamicff.com/index.html

☆イスラーム映画祭8 (2023年開催)早くもラインナップ発表!
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/493656889.html



「イスラーム映画祭アーカイブ2023」絶賛発売中!

2月18日に始まったイスラーム映画祭8も、余すところ今日を入れてあと3日になりました。
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会場のユーロスペースで販売されている「イスラーム映画祭アーカイブ2023」(1300円)
今回の上映作品について、主宰の藤本高之さん自ら詳しく解説を書かれているほか、研究者など現地事情に詳しい方たちによる関連のコラムも充実です。
映画をより深く理解することのできる1冊です。

明日23日は天皇誕生日で祝日ということもあって、トークのある『ファーティマの詩(うた)』と『太陽の男たち』は既に満席ですが、会期中にまだ下記の映画を観るチャンスがあります。

本日22日(水)
16:00『午後の五時』
18:20『わたしはバンドゥビ』

23日(木・祝)
11:00『ソフィアの願い』
18:55 『ガザを飛ぶブタ』

24日(金)
11:00『わたしはバンドゥビ』
上映後トーク《映画・ドラマに見る韓国の移民社会と共生への課題》
【ゲスト】崔盛旭(チェ・ソンウク)さん(映画研究者/『韓国女性映画 わたしたちの物語』執筆者)
14:15『マリアムと犬ども』
16:40『キャプテン アブ・ラエド』
19:00『キャラメル』

どれも大好きな映画です。
(といっても、『マリアムと犬ども』は未見。24日に観ますが、きっと好きになる映画のはず!)
お時間のある方、ぜひご覧ください。

上映作品の詳細は、こちらをご覧いただければ幸いです。
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/493656889.html




イスラーム映画祭8東京篇ゲスト情報

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【イスラーム映画祭8東京篇ゲスト情報】

①2/18(土)11:00
『マリアムと犬ども』上映後
《女性監督はかく抗議する ―性加害を描くアラブ映画の系譜》
【ゲスト】佐野光子さん
(アラブ映画研究者)
※この回の解説には性加害に関する内容が含まれます。あらかじめご了承ください。
映画のモチーフであるチュニジア革命後の'12年に起きた性暴行事件の背景について解説しつつ、古くは『告発の行方』(1988)から最近の『17歳の瞳に映る世界』や『プロミシング・ヤング・ウーマン』、そして来年公開の『シー・セッド その名を暴け』や『ウーマン・トーキング 私たちの選択』に至るまで、性加害をめぐる欧米の映画が紹介されてきたように
アラブ映画にもその系譜がある事を、佐野さんにじっくりお話していただきます。

②2/18(土)15:45
『エグザイル 愛より強い旅』上映後
《ヨーロッパを知るための“移民映画”大講義(レクチャー)》
【ゲスト】渋谷哲也さん
(ドイツ映画研究者/日本大学文理学部教授)
これまで、『私の舌は回らない』や『痕跡 NSUナチ・アンダーグラウンドの犠牲者』の上映に合わせドイツの移民事情についてお話をうかがってきた渋谷さんに、今回はヨーロッパ全体の“移民映画”についてたっぷりと語っていただきます。
移民の存在を抜きに現代ヨーロッパは語れません。
この回を聴けば今後ヨーロッパ映画を観るのが何倍も面白くなります。

③2/19(日)13:15
『そこにとどまる人々』上映後
《エリアーン・ラヘブとナディーン・ラバキー ―“アラブ”にこだわる監督たち》
【ゲスト】佐野光子さん
(アラブ映画研究者)
※この回は前後の『キャラメル』と『私たちはどこに行くの?』も合わせた解説となります。
『そこにとどまる人々』のエリアーン・ラヘブ監督は実は佐野さんの20年来のご友人らしく、山形国際ドキュメンタリー映画祭のあと一緒に東京観光された事もあるそうです。
複雑なレバノンの歴史からラヘブ監督の製作意図、そしてラバキー監督との共通点まで、佐野さんにしか語れないお話をうかがいます。

④2/20(月)17:30
『午後の五時』上映後
《音楽で知るアフガニスタンVol.2 ―トーク with ミニライブ》
【ゲスト】ちゃるぱーささん
(アフガニスタン音楽ユニット)
寺原太郎さん(インド音楽バーンスリー奏者)
前回、満席御礼、CD完売だったライブを再びお送りします。
渋谷が“文明の十字路”と化す一夜をぜひ。

⑤2/21(火)11:00
『太陽の男たち』上映後
《解説―ジャーナリストが見つめ続けたパレスチナ》
【ゲスト】川上泰徳さん
(ジャーナリスト/『シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年』『戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む』著者)
長く中東を取材されている川上さんの目にパレスチナがどう映り続けてきたのかをうかがいます。
『シャティーラの記憶』には映画の内容と重なる、1948年の“ナクバ”以降ほぼ20年にわたってテントやバラック生活を強いられた、解放闘争を始める前のパレスチナ難民の悲惨な生活についての人々の記憶が描かれています。

⑥2/23(木)12:50
『ファーティマの詩(うた)』上映後
《郊外(バンリュー)と移民 ―映画から読み解くフランスの移民事情》
【ゲスト】森千香子さん
(同志社大学社会学部教授/『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』著者)
『ファーティマの詩(うた)』は、暴動や犯罪といったテーマをリンクさせた他のフランス製移民映画とは一線を画す作品です。
なぜフランスにマグリブ諸国からの移民が暮らすようになったのか。そして彼らがどういう境遇に置かれてきて、今どう置かれているのかを、フランスの移民事情に詳しい森さんにお聞きします。

⑦2/23(木)15:30
『太陽の男たち』上映後
《「壁を叩け!」―イスラエルが恐れたペンの力》
【ゲスト】岡真理さん
(京都大学大学院人間・環境学研究科教授/アラブ文学者/『アラブ、祈りとしての文学』『ガザに地下鉄が走る日』著者)
非常に大きな反響をいただいている『太陽の男たち』はパレスチナ難民の作家、ガッサーン・カナファーニーの代表作の映画化。
題材が“アラブ文学”となれば、この方のお話を聞かないわけにはいきません。
なお、岡さんは近くカナファーニーのほとんどの小説を新訳されるとの事。そちらも今から楽しみです。

⑧2/24(金)11:00
『わたしはバンドゥビ』上映後
《映画・ドラマに見る韓国の移民社会と共生への課題》
【ゲスト】崔盛旭(チェ・ソンウク)さん
(映画研究者/『韓国女性映画 わたしたちの物語』執筆者)
本作はムスリムが描かれる『イカゲーム』や『イスラーム精肉店』といった韓国製ドラマや小説の10年先を行っていた作品です。
サイゾーウーマンの連載「映画で学ぶ、韓国近現代史」も大人気だった崔さんに、韓国とイスラームのつながりや、韓国における現在のムスリム移民の置かれた状況などについてお話をうかがいます。