8月9日(土)13:00~
『沼地の涙』
監督:メフディ・ジャアファリ―
2025年/82分
◆物語◆
2009年秋 長い旅から母のもとへ帰ってきたアリー・ハシェミ司令官
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イラン・イラク戦争の激戦地で地雷探査する男。
シュメールの時代から沼地だった場所。
葦が生い茂る湿地帯にあるマジュヌーン島。
1980年代初頭、イラクから奪ってイランの領地になった。
1988年6月、イラクが奪還しようと攻撃をかけてきた・・・
この激戦の中で行方不明になったアリー・ハシェミ司令官。
イランの南の町の出身のアラブ人故に、イラクに寝返ったのではとの噂が立つが、殉教したと信じる部下だった男。彼もアラブ人だ。
7年後、湿地帯で遺物を探していた彼は、アリー・ハシェミが身に着けていた聖地カルバラー土産のショール(字幕では「てぬぐい」となっていて、思わず笑ってしまいました)を見つける。
戦争中に、イラクにある聖地カルバラーに行った時の土産。
アリー・ハシェミに間違いないと確信し、母親の元へ遺骨を届け、DNA鑑定するように勧めるが、いつか戻ってくると信じる母は、亡くなったことを認めたくなくて、DNA鑑定を最初は拒む。
ようやくDNA鑑定で我が子と判明。
息子の部下だった男に、遺骨の見つかった沼地に連れていってもらう母。(アラビア語の子守歌♪)
戦地に赴いた日のことを思い出す母親。
ブーツに靴墨を塗って綺麗に磨いたこと。
沼地にたくさんの泥まみれのブーツ・・・
しめやかに葬儀が執り行われる。
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上映後、予告なく、第12回広島イラン愛と平和の映画祭2025のために来日されたメフディ・ジャアファリ―監督が登壇。嬉しいサプライズ!
監督:舞台になったのは、アラビア語を話す人たちが多く住むイランの南の地方。ペルシア語を話す人と入り混じって暮らしていて、イラン・イラク戦争の時代には、アラビア語話者が、ペルシア語話者から裏切り者と言われることもありました。行方不明になっていたアリー・ハシェミ司令官はアラビア語話者で、イラク軍に協力したのではないかと疑われていましたが、DNA鑑定で殉教したことが証明され、名誉回復しました。戦争で親子が離れ離れになり、つらい状況。戦争が終わっても戻ってこない者が大勢いました。
★息子を待ち続ける母親を演じた女優さんも登壇。とても綺麗な方で、映画の中の老女とは別人。さすが女優さん!
監督:彼女の協力なしには、この映画はできませんでした。
女優:一つ、大きなお願いがあります。どうかイランにいらしてください。イランは平和な国です。
会場とのQ&A
― 兵士のネームプレイトは価値があるものなのですか?
監督:本人を示すもので、捕虜になる時には、投げ捨てて、誰だかわからないようにすることが常で、なかなか見つからないものです。遺骨が見つかっても、「名前のない殉教者」として葬られます。ネームプレイトが見つかった場合は、家族に返します。無許可で遺物を探していたところ、たまたま見つかったので家族に返しました。主人公は、尊敬する司令官の最期を知りたくて遺物を探していたのです。
サダム・フセインがいなくなって、言葉は違うけれど、今はイラクとは友人関係になっています。
― 演技がとてもリアルでした。戦争体験者でしょうか? 今も遺骨収集は続いているのでしょうか? 日本は戦後80年。映画もたくさん作られています。ご覧になりましたか?
監督:沼地の場面などは実地で撮影。ヘリコプターなどは、今はCGでできます。
日本は全土が戦争被害を受けたのに、見事に復興したことに尊敬の念を持っています。
(質問の意図を勘違いされたのか、通訳の間違いなのか、ちょっとちぐはぐな回答でした)
女優:広島に行って、日本の皆さんの平和への思いを強く感じました。
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終了後、席が近かった女優さんとお話することができました。
日本でも、戦争に行って帰って来ない息子を待ち続ける母親がたくさんいたこと、戦争は大切な家族を奪うもので悲しいと。
景山咲子
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