『ハリーマの道』 原題:Halimin put 英題:Halima's Path
監督:アルセン・アントン・オストイッチ / Arsen Anton Ostojić
2012年/ボスニア・ヘルツェゴビナ=クロアチア=スロベニア=ドイツ=セルビア/97分/ボスニア語、クロアチア語
予告編: https://youtu.be/VxhxteoJnC4?si=O_1csv1ks436gJQ1
日本初公開
2025年は90年代のボスニア紛争終結、そしてその末期に起きた欧州戦後最悪の虐殺“スレブレニツァ事件”から30年です。
ボスニア紛争は、国内に住むセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人(ボスニア・ムスリム)の間で3年半にわたり交わされました。
本作は紛争中、セルビア組織に処刑された夫と息子の遺体を捜すムスリム女性の物語です。
理不尽に愛する者を奪われ、傷ついた人々の癒えない悲しみに胸を塞がれます。(藤本さんからの案内文)
上映の前に「今回、一番気に入っている作品」と藤本さん。
期待が高まりました。
◆ストーリー (核心に触れている箇所があります)
1977年、ボスニア西部の村。
ある晩、雷雨の中、ハリーマの家に、兄アヴドの娘サフィヤが駆け込んでくる。
「お父さんに殺される」
生理が遅れている。相手はクリスチャンだという。
一方、豚の世話をしている青年スラヴォミル。(サフィヤの恋人)
「恋人がイスラーム教徒らしい、とんでもない」と母親。
父親は、「息子が選んだのなら間違いない」
「結婚する!」というスラヴォミルに、村中が反対する。
父がミュンヘンに仕事を見つけ、スラヴォミルは出稼ぎにいく。
2年後、ドイツから帰国したスラヴォミルがサフィヤを迎えにくる。
「赤ちゃんは死産だった」と伝えるサフィヤ。
「両家から遠いラストツィに土地があるから、そこで暮らそう」と、半ば駆け落ちのような形で結婚する二人。
23年後。ボスニア紛争終戦から5年。
遺骨が並べられている体育館のような場所で、ハリーマは、夫サルコと息子ミルザの遺骨を探す。
夫の遺骨が、夫の弟ムスタファの血液とDNAが一致して確定される。
手首に巻かれた紐で息子ミルザに違いない遺骨を見つけるが、確定するために、ハリーマの採血が必要だと言われる。
ハリーマは、息子ミルザが夫と共にセルビア軍に連れ去られた夜を思い出す。吠えた犬は撃ち殺された。
夫の弟ムスタファの息子アロンと、ミルザは年も近くて仲がよかったので、アロンが畑を耕しているのをみながら息子ミルザを思い出してしまう。
ラストツィにいるサフィヤに会いに行くというハリーマを、バスがないから車で送っていくというアロン。だが、アロンは無免許。それでも行こうとしているのをムスタファが見つけ、運転を買って出る。
「ここでは少しの距離がすごく遠い」とハリーマ。
「スルプスカ共和国」と壁に書かれている。
(ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する共和国で、セルビア人主体の国。ボシュニャク人の暮らす地区と行き来する公共交通機関がない)
サフィヤは「ソフィア」の名で暮らしている。
ハリーマは、ミルザの埋葬証明のためサフィヤに採血を頼む。
サフィヤが娘たちとパイを作っていると、夫スラヴォミルが帰ってくる。
冷たく対応するサフィヤ。
夫を振り切って、ハリーマのところに出かけるサフィヤ。ミルザの写真を見る。
サフィヤはハリーマを名乗って採血し、ミルザの遺骨が確定される。
酒場で一人で酒を飲むスラヴォミル。
戦争に行った後遺症を抱えているのだ。
銃を口に加え発砲するスラヴォミル・・・
ミルザの埋葬。 墓碑には、「1977~1992」
ハリーマは、手編みのセーターをそっと棺の上に置く。
サフィヤと3人の娘たちも来て、遠くから眺めている・・・
*****
最後の方で流れる ♪「母よ どうして僕を産んだの?」♪という歌の歌詞が、しんみりと胸に響きました。
民族や宗教が違っても、共生していた時代もある地。戦争が起きて、お互いが理解も、交流もしないで、心に傷を抱えて暮らしていることをずっしり感じました。
なかなか子どもが出来なくて、「産めない女に価値があるのか」とまで夫の弟に言われるハリーマ。どんな形であれ、息子を持てたこと、そして、その息子を戦争で失ったことの悲しみ・・・ 切ない物語でした。(咲)
★トーク 2/23(日)12:25上映後
【テーマ】 《ボスニア紛争終結から30年 ―今なお模索が続く民族融和への道》
【ゲスト】 鈴木健太さん 神田外語大学グローバル・リベラルアーツ学部 准教授
藤本:救いがない
鈴木:救いがないところを、どう見るか
藤本:でも、ペシミスティック(悲観的)でない。
最後の雪のお墓、ひたすら編み物をする姿がいい。

サラエボの写真 4枚
鈴木:映画の舞台は基本、西部の農村。サラエボは、かつては3民族が共生していた。ムスリムが多かったが、戦後は町の中でも分かれて暮らしている。
サラエボはオスマン帝国時代、ムスリムの商人が町の中心にいました。
サラエボの中心にあるセビリには、モスクや水飲み場があります。
ラテン橋 第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件が起こった場所。
社会主義時代は、「プリンツィプ橋」と呼ばれていました。 事件を起こした暗殺犯の名前です。
藤本:2000年にサラエボを訪れました。戦争の傷跡はあるけれど、いい街だなと。
鈴木:ベオグラードによく行くけれど、サラエボは好きな街。チャンスがあればまた行きたい。
スナイパー通りと戦争中呼ばれていた大通り
サラエボ84 冬のオリンピック
ボスニアは、4宗教の地。正教、カトリック、イスラーム、ユダヤ。
ムスリムは、1990年代に「ボシュニャク人」と自称するようになりました。
ユーゴスラビアの解体
社会主義体制をどう変えていくかの段階で意見が分かれ、1990年代に入り分裂して独立する方向に。
混成地域で、何が起こったか?

『ハリーマの道』から読み解ける民族の分断
「分断」の昔と今
ユーゴ時代と今では同じではない。
ユーゴスラヴィア紛争を描いた映画
『アンダーグランド』(1995年)
第二次世界大戦、戦後の社会主義樹、90年代の紛争の3つの時代を描く
『ブコバルに手紙は届かない』(1994年)
クロアチア紛争の最前線ブコバル
セルビア人とクロアチア人のカップル
『ノ―マンズ・ランド』(2001年)
ボスニア紛争下のとある中間地帯。
ムスリム系の監督だが、関わった人は様々。
監督は従軍カメラマン
『ビューティフル・ピープル』(1999年)
ボスニアからロンドンに渡った移民と地元の人々
監督:ボスニア出身の英国人
『ビフォア・ザ・レイン』(1994年)
マケドニア出身の監督
マケドニアの山岳地帯とロンドンを舞台にした3部構成の物語。
武器をとる人々、救おうとする人々
『サラエボの花』(2006年) 紛争後
『泣けない男たち』(2017年) イスラーム映画祭7で上映
兵士として前線に行った男たち
旧ユーゴ 出自関係なく演じることが多い中、それぞれ自分の出自を演じている
なお、ハリーマを演じたのはクロアチアの舞台中心に演じている女優
報告:景山咲子
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