アジアの未来部門でプレミア上映された『シマの唄』は、激動の1978年アフガニスタンを描いた物語。
ロヤ・サダト監督と、脚本を共に書き、本作に将軍役で出演している公私共にパートナーであるアジズ・ディルダールさんにお話を伺う機会をいただきました。
景山咲子
『シマの唄』 Sima's Song
監督/脚本:ロヤ・サダト
脚本:アジズ・ディルダール
脚本:ルロフ・ジャン・ミンボー
出演:モジュデー・ジャマルザダー、ニルファル・クーカニ、アジズ・ディルダール、リーナ・アーラム
1978年のアフガニスタン。共和制から社会主義に移行する時期を舞台に、親友でありながら裕福な共産主義者と貧しいムスリムという対照的なふたりの女子大学生が、その後のソ連による侵攻と反ソ武装勢力の決起による紛争の時代に移行するなかで翻弄されていく・・・
(さらに詳しい内容は、インタビューのあとに掲載しています。)
2024年/スペイン・オランダ・フランス・台湾・ギリシャ・アフガニスタン/97分/カラー/ペルシャ語
◆インタビュー
ロヤ・サダト(監督/脚本)、アジズ・ディルダール(脚本/俳優)
11月2日(土)
― 1970年代、勤めていた商社にカーブル事務所があって、駐在していた方たちから、アフガニスタンがとてもいいところと聞いて、ぜひ訪れたいと憧れていました。1978年5月にイランを旅して、マシュハドの空港でアフガニスタンのダウド大統領が暗殺されたニュースを新聞でみました。翌年、今度はアフガニスタン経由でイランを訪れたいと思っていましたが、イランは革命、アフガニスタンにはソ連が侵攻して、どちらもしばらくいけなくなりました。イランには、革命から10年後に行き、180度変わった社会をみました。
アフガニスタンでは、何度も政権が変わりました。ご自身やご両親はじめ、政変を経験された思いが、この映画に反映されていると思いました。
監督: いい時代のアフガニスタンを知っている方にご覧いただけて、とても嬉しいです。タリバン後の酷いイメージしかお持ちでない方とは認識が違うと思います。
ー 女性たちが「パン、仕事、自由」を掲げて抗議している中に、1978年.2021年など節目の年代が書かれていて、翻弄された歴史を感じました。あのデモの場面は、実際にアフガニスタンで撮られたものですか?
監督: あの場面はギリシャで再現して撮ったものです。
― カーブルで準備していた撮影がだめになって、主にギリシャで撮影されたとのことですが、どのような経緯だったのでしょうか?
監督:カーブルで撮影準備をしていたのですが、2021年にシアトルでオペラの演出の為に滞在していた時に政変があって、亡命の手続きをせざるをえませんでした。準備していた映画をどこで撮るか・・・ この映画は、資金も付いていて、ヨーロッパのプロデューサーもいて、2022年中に撮らなければいけませんでした。俳優をどうするかの問題もありました。あちこちに離散していましたから、どうやってどこで集まるかが課題でした。タジキスタンが候補にあがりましたが、ロシアとウクライナの戦争のことがあって無理だと諦めました。プロデューサーの一人から、ギリシャなら1970年代後半のアフガニスタンと似た風景が撮れるところがあるし、亡命アフガニスタン人も多いと聞いて、ギリシャに決めました。
― 今年完成した『The Shape of Peace』は、アフガニスタンで撮られたそうですが、危険はありませんでしたか?
監督:『The Shape of Peace』は、タリバン復権の前、2020年にカーブルで撮りました。夫が撮影監督も務めました。ドーハでの和平交渉の場にも、4人の女性たちを追って行って撮ったのですが、タリバンが復権したあと、4人とも亡命しました。
やっとプロダクションが終わって、オランダのドキュメンタリー映画祭でプレミア上映をしました。
『シマの唄』は、脚本を夫と書いていたのですが、タリバンが復権したことで、最初に書いていたものから変えることになりました。どうタリバンの影響があるかを加えました。
― 監督は、ヘラート国際女性映画祭も立ち上げていらっしゃいましたが、タリバン復権以前、アフガニスタンの女性監督や、映画界における女性の活躍状況はどうだったのでしょうか?
アジズ:カーブル大学で映画を教えていました。前のタリバン政権が終わったあと、20年間、戦争もあったけれど、より文化的で、女性の活躍の機会もありました。平和が実現するという希望もありました。女性は学校に行けましたし、仕事もしていました。2021年以降、状況が混とんとしてその機会が奪われてしまいました。
― 映画監督になりたいと思われたのはいつ頃だったのでしょうか?
監督:2002年、学生の時に初めて脚本を書きました。その後、韓国のフィルムアカデミーのトレーニングコースに参加しました。アフガニスタンでは、映画を見る機会は、あまりありませんでした。大学では演劇を学びました。演劇は若い女性が参加できる少ない機会でした。社会に対して何ができるかを考えて、アートを通じて、女性のおかれた境遇を伝える手段として映画を選びました。
アジズ:人生の中で、3回、難民となりました。内戦で母を失い、カーブルから北部に逃れ、そのあとイランへ行きましたが、3年間、学校に通えませんでした。タリバンの10年は映画を見る機会がありませんでしたが、イランでは映画をたくさん見ることができました。タリバンが去って、2001年にアフガニスタンに戻った時、映画を学べる場所はなかったので大学の美術関係の学部に入りました。2年生の時に、映画の学部を自分たちで作りました。国際ジャーナリズムも学んでいたので、中国に行く機会もありました。
2009年にロヤと出会いました。初めて映画で役を与えてくれて、その後、15年一緒に映画作りをしています。カーブル大学で教鞭もとっていました。
― 残念ながら時間が来てしまいました。
こちらは、旅行者のために作られた「旅の指さし会話帳 アフガニスタン ダリー語」(嶋岡尚子著 情報センター出版局 トップの写真に写っています)です。かつては、この本を持ってアフガニスタンを訪れた日本人も多いのです。私もいつか行きたいと憧れています。近い将来、皆さんが故国に戻れる日が来ることを願っています。
ロヤ・サダト
1981年、アフガニスタンのヘラートに生まれる。Roya Film Houseの設立者であり、代表的監督である。女性や子どもの権利を描く作品を専門とし、“A Letter to the President”(17)でアフガニスタンの女性監督として初めて米国アカデミー賞の候補に選出された。これまで数々の映画賞を受賞。RFHアカデミーとヘラート国際女性映画祭を創設したほか、TOLO TVのドラマを手掛けた。(TIFF公式サイトより)
★上映後Q&A
私は残念ながら参加できなかったのですが、公式サイトに詳細が掲載されていますので、ぜひお読みください。
「この映画は、皆様の心も重くしたかもしれませんが、私たちにとっても同じです」10/31(木)Q&A『シマの唄』
https://2024.tiff-jp.net/news/ja/?p=65990
©2024 TIFF
ロヤ・サダト監督(右・監督/脚本)、モジュデー・ジャマルザダーさん(右から2番目・俳優)、ニルファル・クーカニさん(左から2番目・俳優)、アジズ・ディルダールさん(左・脚本/俳優)
『シマの唄』 あらすじ
2021年9月、タリバンが復権。女性の権利を奪う。
女性たちが、「パン、仕事、自由」を掲げて抗議デモ。
祖母スラヤが、孫娘に親友と二人で映る写真を見せながら、親友シマがラバーブの弾き語りが上手だったと語り始める・・・
1978 年、冷戦の中、アフガニスタンの政治は揺れていた。ソ連が侵攻しようとしていた。
カーブルの邸宅で、革命で殉教した亡き父ハリールの回顧録が出来て偲ぶ会が開かれる。
「お父さまは皆から尊敬されていた」と、流ちょうなペルシア語でソ連の文化担当官。
それにロシア語でお礼を述べる女性。
パルチャム派の男性が、「ハリールがいなかったら、ハリールのハルク派とパルチャム派は団結できなかった」と語る。
父の回顧録は、タラキ大統領が両派の分裂をなくしたいと発案したものだ。
娘のソラヤは、女性教育の重要性を大統領に進言。それは父ハリールの遺志でもある。
大学生シマが歌を披露する。ルバーブの弾き語り。
ロシアのアンナ・マフトーヴァの詩をペルシア語に訳したものを朗唱する。モスクワをカーブルに変えて。
シマは父から、「あんな風に人前に出ちゃいけない。男の中にはいやらしい目でみる者もいた。歌は続けていい。亡き母親も歌が好きだった」と言われる。
さらに、結婚する年ごろと言われる。
母と父は、会って1週間で結婚。幸せに暮らした。
「ワハブと結婚するわ」とつぶやくシマ。
大学。国際法の授業を男女一緒に受けている。スラヤ、シマ、ワハブは同級生らしい。
ワハブ、シマに結婚する前に家族に相談するという。
ガズニ州の故郷の村が政府軍に襲われ、村長の父が殺されたらしい。家族の消息もわからない。
婚約式。シマが皆に紅茶を出す。
決める前にワハブと二人で話したい。音楽を続けていいと言われたから結婚を承諾。でもワハブは厳格な派閥。周りから反対されるかもと。
初キス。初めてルバーブを弾いた時のようにドキドキする。
音楽に合わせて男女手を繋いで踊っていると、教義に反すると止められる。
さらに、識字プログラムが、タラキ大統領も公認なのに反対される。
ハルク派はパルチャム派を追い出すつもりらしい。
タラキ大統領とハルク派の後ろ盾は、ソ連では?
ロシアの赤色テロと同じで、民間人も殺されている。
パルチャム派狩りがもうすぐ始まると言われる。
結婚式。緑の布の下で契りを結ぶ。鏡に二人の顔を映す。
スラヤが家に帰るとアミールが殺されている。母の姿もない・・・
国民の血を流すような政権は、いずれつぶれるとスラヤ。
峠までシマとワハブを見送る。シマからルバーブを預かる。
シマは解放軍に加わる。
1878年に英軍が残した銃を手に。「1834年にもイギリスがロシアの排除を目的に来た」と語る兵士。その兵士は大学で歴史を教えていたという。
拘束されたシマがカーブルの仲間の名を明かせば釈放されるのに、なかなか口を割らないからと、将軍がスラヤをシマのもとに行かせる。
いためつけられているシマ。(詩の朗読) 気を失ったままシマは連れ去られる。
カルマルが共和国の代表と宣言。アミンはアメリカのスパイで売国奴と。
スラヤが家に帰るとソ連兵がいる。将軍の住まいになったと言われる。
無害そうだと、スラヤは家の中に入れて貰える。写真を眺め、ルバーブを手にする・・・・
*******
2021年.米軍がアフガニスタンから撤退。タリバン復権。
1970年代のミニスカートの女性たち。そして、ブルカの女性たち。
抗議デモをする女性たち・・・.
この記事へのコメント