東京フィルメックス初日。映画の前に、神戸から上京した同級生を囲んで、赤坂見附のお寿司屋さんでランチ。シルバーパスを使って、大江戸線で青山1丁目へ。坂をくだって豊川稲荷と虎屋に寄りながら、赤坂見附駅へ。
神戸の同級生、O君は、今のお住まいが私のかつて住んでいたところのすぐそば。なんとも懐かしく、羨ましい限りでした。2時からのサントリーホールでのコンサートに向かうO君を送りがてら、一ツ木通りから赤坂駅を経て、山越えして赤坂アークヒルズへ。かつて狭い道だった山越えの道が、すっかり広くなっていました。 赤坂アークヒルズ前のバス停から内幸町に出て、三田線で日比谷へ。しっかりシルバーパスで移動♪
これまで長らく有楽町朝日ホールがメイン会場だった東京フィルメックスですが、今年は丸の内TOEIに変更。東京国際映画祭のQ&A取材で何度も入ったことはありますが、映画を観るのは初めて。なだらかなスロープなので、どんな風にスクリーンが見えるのか、ちょっと心配でした。(前に座高の高い方が座った時には、頭がちょっと邪魔ですが、スクリーンは見上げる位置にあるので、おおむね大丈夫)
11月23日(土)14:55~
『DIAMONDS IN THE SAND』
★メイド・イン・ジャパン部門
監督:ジャヌス・ヴィクトリア( Janus VICTORIA )
2024年 /日本・マレーシア・フィリピン / 102分
離婚して東京で一人暮らしをしているサラリーマンの陽志。介護施設にいる母親とは、コロナ禍でなかなか面会できない。会っても息子だと認識しているのかどうかの状態だ。そんな母もついに他界してしまう。意味のある人間関係は殆どなく、生きる意味がないという現実に彼は直面する。娘を養うために日本で介護士として働くフィリピン人のミネルバとの偶然の出会いは、陽志に自分の状況を新たな視点で見るように促す。そんな中、名前も知らない隣人の老人の腐乱死体が発見され、その死は孤独死と判定される。同じ運命を辿りたくない陽志は、用心深さを捨て、ミネルバを追ってフィリピンの首都マニラに向かう……。
孤独死という日本の現象を探求することから始まった本作は、2013年のタレンツ・トーキョー(当時はタレント・キャンパス・トーキョー)の受賞企画で、監督兼脚本家のジャヌス・ヴィクトリアにとって初の長編作品。
舞台挨拶:
上映前に、ジャヌス・ヴィクトリア(監督)、リリー・フランキー(出演)、ローナ・ティー(プロデューサー)、曽我満寿美(プロデューサー)の4人が舞台挨拶に立ちました。
舞台正面に立つべきところ、最初に登壇したリリー・フランキーさんが、司会の神谷さんのそばに立ったため、4人が舞台の左端に立つ形になってしまいました。リリー・フランキーさん、途中で気が付いて、4人で真ん中に移動。
*2階席にも気配りする皆さん
リリー:昭和30年代位の古い建物。たくさんいらしていただいて嬉しい。
監督:東京で始まって、7年かけて東京でお披露目することになりました。
神谷:今日は初上映。今のお気持ちは?
リリー:ずっと大切にしてきた映画です。孤独死に向き合うという話をフィリピンの人たちはあまり知らない。僕は45年一人暮らししているので、孤独死と向き合うおじさん役が自然にできました。完成まで滅茶苦茶いろいろあって、言えないこともたくさんあります。撮影は去年の夏にマニラで行いました。フィリピンの人たちが、スルスル撮影していて感心しました。日本の若い人たちと違う。
監督:この作品は私たちにとって意義深いものです。私たちと同様に感じ取っていただければと思います。
リリー:撮影の芦澤さんの協力があって出来上がりました。芦澤さんも舞台挨拶に出たがっていたのですが、今、ジャカルタで撮影しているので来られなくて、残念がっていました。 芦澤さんは朝方3時頃に撮影が終わった時にも、すぐ近くにある深夜営業している「信長に行きますよ」と元気でした。
これからご覧になる方に、伝えたいことはちゃんと伝わると思います。
舞台から退場される最後に、「かなり重い映画です」と、リリー・フランキーさん、にっこり。
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映画は、マスクを人たちが行き交うコロナ禍の東京の町から始まりました。桜の季節になり、在宅勤務になった陽志。どうもその前から、倉庫のような部屋に異動させられていて閑職のよう。
アパートの上の階の男性が亡くなっているのが見つかり、警察官に「最近、いつみかけましたか?」と聞かれるも、わからない。どうやら孤独死らしい。部屋を片付ける様子を見に行く。手際よく荷物を仕分けし、床を消毒している。
「この仕事、春が一番忙しい」と言われる。
施設に入っている母に会いにいく。プラスチックのパネル越しに「どなた?」と言われる。
やがて、陽志は母の介護をしていたフィリピン人のミネルバを追って、マニラに赴く。そこには、貧しいけれど、家族や隣人と肩寄せ合って他人を思いやりながら暮らす人たちがいた。それでも、麻薬組織が蔓延し、殺人は日常だった・・・
Q&A:
ジャヌス・ヴィクトリア監督、リリー・フランキー
リリー:一番後ろで観ていましたが、いい映画でした。
神谷:監督に。プロデューサーの方とタレンツ・トーキョーで出会い、日本の孤独死をテーマに撮ることにしたのは?
監督:2010年に、TIME誌で日本の孤独死を知りました。祖母と暮らしていて介護をしていましたので、記事を読んですぐ、祖母のこともあり身近に感じました。祖母は一人で死ぬことはないなと思いました。自分に問いかけ、一人で死ぬことは恥だと思いました。そいう死に方はしたくないと考え始めました。それが、この映画に繋がりました。
神谷:リリーさん、脚本を読んだ時の気持ちは?
リリー:読んだ時に、日常の中で当たり前に思っていたことですが、敏感にならないといけないことだと思いました。いい人でも、悪い人でもないという役どころ。孤独死は自分にリアルじゃないと思っているけど、実は近いもの。
会場から
― 最後に出てきたマニラのリサイクルショップは、どういうお店でしょうか?
リリー:日本から送られてくるもので、おそらく孤独死した人の家の家財道具もあると思います。コップを買って帰りましたけど、それでジュースを飲んでも味わえないなと思いました。灰皿に灰がついたままのものもありました。
監督:中には、綺麗にしていないものも売っています。灰を見て、陽志は自分が東京に帰った時のことを思うのです。
リリー:今日来ている人は、ほんとうに映画の好きな人。いい質問ですね。
―(フィリピンの方)象徴的に見ると、人の繋がりのない日本と、繋がりのあるフィリピンという見方もできます。でも、フィリピンでは、毎日のように多くの人が殺されているので、フィリピンでも頑張らない人は死んでもいいというような風潮を感じます。
監督:このストーリーを考え始めたとき、わかりやすい表面的な日本とフィリピンの対比で、これが正しいという見方ではなく考えようと思いました。日本の個人主義に対して、フィリピンでは公共の道に皆が集まるという姿は見せましたが。
リリー:住宅事情が根本的に違う。家族で住まざるをえない経済的事情もある。学校に行けない子もいて、暑いから真夜中にバスケをしていたりします。土砂降りで雨が溜まると、そこで子供が泳いでいたりして、たくましい。
家族の繋がり方が、昔の日本っぽい。
エンジェルは、エンターテーナーとしてミネルバが日本で働いていた時に産んだ子。監督が描きたかったのは、人と人の繋がり方。
監督:人は孤独を恐れているということ。自分が孤独になるのを受け入れがたいです。フィリピンの人は孤独が怖いので、いつも外に出ています。外に出なくても、アプリを入れて皆と繋がっているのを感じたいのです。
リリー:陽志とミネルバは恋愛しているのでなく、不思議な関係。最後に、「ご飯食べた?」とミネルバが尋ねて、画面が暗転すると、なぜか救われる、台本の時点から、こういう終わり方、いいなと。
ここで、神谷さんが時間が来ました・・・と言いかけたところで、リリーさん、「あそこの人、危なそうですよ。聞いてみましょう」と指さされました。
― 思いやりがないとミネルバが言った場面について・・・
リリー:にじみ出る嫌なところを演じてみたいなと。正しいけど、思いやりがないと言われると、ぐっときますよね。
コンビニでマスクをはずして「ハッピーニューイヤー」という場面。思いやりの気持ちですよね。演じていたのは、インドの人で、東京で一番美味しいインド料理屋に連れてってもらいました。このすぐ隣り。
金貸して返ってこないことは、山ほどあるので、陽志の気持ちはよくわかります。
最後の最後までテンション高いリリー・フランキーさんでした。
報告:景山咲子
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