『私が女になった日』
原題:Rouzi Ke Zan Shodam 英題:The Day I Became A Woman
監督:マルズィエ・メシュキニ / Marziyeh Meshkiny
2000年/イラン/74分/ペルシャ語
☆イスラーム映画祭9 東京・・渋谷ユーロライブ上映日
3/17日 20:45
3/24日 10:00
上映後トーク
【テーマ】《それは本当に“反スカーフ”なのか? ―起ちあがったイラン女性たち》
【ゲスト】村山木乃実さん(日本学術振興会特別研究員PD(東京大学))
2000年12月 第1回東京フィルメックスのコンペティション部門で上映された折にマルジェ・メシュキニ監督のインタビューに同席した懐かしい作品です。シネマジャーナル52号に掲載した記事を、今回のイスラーム映画祭9での上映を機に、ここに掲載します。
当時、私はまだシネマジャーナルの読者でした。宮崎暁美さんより、ペルシャ語通訳がつかないので、同席してほしいとのことでした。通訳の役目はほとんど果たせないと思うけれど、それでもよければとインタビューの場に臨んだところ、ちゃんとショーレ・ゴルパリアンさんが通訳としていらしてました。 (景山咲子)
◆マルジェ・メシュキニ監督インタビュー
2000年12月
第1回東京フィルメックスの会場にて
取材:宮崎暁美
第1回東京フィルメックスの会場にて
取材:宮崎暁美
メシュキニ監督はイランの著名なモフセン・マフマルバフ監督の妻であり、サミラ・マフマルバフ監督の母親の妹で叔母にあたる。サミラさんのお母さん(つまり姉)が亡くなった後、マフマルバフ監督と結婚したそうだ。デビュー作であるこの作品について、監督に話を伺った。
Q:この作品を作ろうとした意図は?
A:第一話の女の子の物語は、今まで子供だったのが今日から女として扱われるという時を描いた。女の子が女として扱われるようになった時、女としての権利が与えられるというけど、同時に今まで持っていた権利を失うことでもある。失うものの方が多いということを描いた。
第二話では成人した女の人が習慣とか伝統的な考え方によって、いかに制約されているかということを表した。主人公の名前はアフー。ペルシャ語で鹿のこと。鹿のように走りたいという意志、自分のいる所から逃れたいという気持ちも表現した名前にした。
第三話の話は今まで自由を奪われて生きてきて、おばあさんになった女性が突然、モノを買い集めるという行動にでるのだけど、物を手に入れてもそれを使う時間があまり残っていない。
この作品は三世代の女性を描いた作品です。私の作品の中の女性たちはバネのような状態で、押さえ付けられていたバネが外れると飛び出していきたい女性たちを描いている。
Q:イスラム革命前と以後では女性に対する規制や抑圧が強くなったということはありますか?
A:現政権下ではイスラムにのっとった服装をしなくてはならないという規制はありますが、私にとっては服装は重要な問題ではありません。例えば、日本では女性にとって服装の規制はなくても、まだまだ不利な社会ではないでしょうか? イスラム法のもとで女性の権利や自由は守られていますし、革命前より自由が無くなったということは言えないと思います。それよりも、伝統や社会、お母さんやおばあさんがその世代の価値観を押しつけることで、女性自身が女性に不利な社会を作っているということもあります。そういう普遍的な問題として捉えています。
Q:三番目のエピソードで、おばあさんが思い出せなかった買いたかったものはいったい何だったのでしょうか? 私の想像ではおばあさんが買いたかったものというより、欲しかったものは夫だと思うのですが。
A:たしかに彼女はずっと独身でした。かつて結婚したい男性もいたけれど結婚できず、子供も持てず、若さも失ってしまった。今はお金も入り自由を手にしたけれど、何かを忘れてきた・・・・・。そんな思いでいるわけです。でも、私には買い忘れたものが何かという答えはないんです。
Q:夫のマフマルバフ監督や、姪のサミラさんの助手をしているうちに、ご自身でも映画を撮ってみたくなったのでしょうか?
A:それもありますね。恵まれた環境にあったからこそ映画を作れたと思うのですが、もし夫がダメと言ったら、離婚してでも撮ったかもしれません。
Q:作品に対する規制はどうなのですか?
A:映画を撮っている時には問題なかったのですが、イランでは作った後に検閲があるので、呼び出されて説明をしました。この映画は宗教に反することは無いと、証明しなければならなかった。私は審査の人たちに対して、「私の映画は女性のことを描いたのに、なぜ審査員の中に女性はいないのか」と聞きました。そうしたら「私たちは女性の気持ちにも男性の気持ちにもなって、この映画を見て審査する」と答えたんです。彼らはいくつかの所をカットさせようとしました。例えば、第一話の中で女の子がアメをなめているところ。「これは、セクシー」だと言われたけれど、私はこの作品のすべてが自分の表現したいことで、一つでもカットされるのなら、この作品を作る価値がないと言ったら、折れてOKが出ました。
Q:次の作品はどうですか?
A:今のところは、映画の経験を積んでいるところです。詩を創るためにはたくさんの言葉が必要なように、映画を作るためにはたくさんのエピソードが必要です。今はエピソードを集めている時期です。
(イランでは、通りやデパートの名前にも詩人の名前がつけられ、スピーチや会話の中にも詩の一節が引用されるなど、日常生活に詩が深く関わっているのですが、メシュキニ監督の言葉にも、詩をこよなく愛するイラン人の心をかんじました。 景山咲子)
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イランには10人くらいの女性監督がいると上映後のトークの時に監督は言っていたが、いずれも映画を作るまでにかなり困難があるという。イランの女性監督の中堅であるプラン・デラフシャンデPouran Derakhshandehさんが、米国で撮った『国境なき愛』(Eshgh bedoone marz 1998年)という作品がイランで公開されたけれど、抱擁シーンやヘジャブ(イスラム式の服装)を着用しない女性が出てくるシーンがあって、保守派の人たちの反発があったという。それでも、少しずつイランの映画事情は変わってきているようだ。(暁)
*物語*
ペルシャ湾にある自由貿易の島キシュ島を舞台に子供、成人、老年の三世代の女性が主人公の三部構成で、それぞれの世代の女への束縛、生きがたさ、希望などを表している。
第一部は7才ぐらいの女の子が主人公。今まで男の子と一緒に遊んでいたのに「今日からは一緒に遊んではいけません。おまえは女だから」と、お母さんやおばあさんに言い渡される。その境の日を描いた。
朝、それを言われた女の子はそれでも粘って、お昼ご飯に帰ってくるまでは遊んでもいいと約束を取り付ける。また、髪を覆うスカーフをかぶらなくてはいけないと言われた女の子は、それがイヤでたまらなくて、なんとかそれを避けようとするがやはり避けられない。
第二部はキシュ島のサイクリングコースで行われている競技会が舞台で、『サイクリスト』のように自転車でこのコースを走り続けるシーンが続く。主人公の女性アフーが走り続けていると、走っている横に夫や親、村の長老などが走るのをやめるように説得にくる。束縛から逃れるように走り続けていると、「離婚するぞ」とか「村八分にするぞ」と、男たちは次々に彼女に脅しをかけるがアフーは走り続ける。しかし結局、男たちに自転車から降ろされてしまう。やはり呪縛から逃れられないのだ。でも、三話目の時にアフーは他の人の自転車を借りて走り続けたと出てくる。それにしても走り続ける女たちの群れが圧巻である、イランでは女性は自転車に乗ってはいけないそうだが、キシュ島はイランで唯一、女性が自転車に乗れる所だそうだ。
第三部は老女が免税の島でもあるキシュ島へ買物に来る。風光明媚で観光地でもあるキシュ島はイランにあって開放感を与えるところ。ずっと貧しく、欲しいものも、自分のしたいことも抑えられてきた彼女は遺産を手にしてキシュ島に買物に来たという設定だが、冷蔵庫やベッドなど大きな家財道具を買い、島の子供たちが連なって台車に乗せて港へ向う姿が圧巻。開放感をこの買物の山で表したのかもしれない。
監督はこの三部作を通して女性にエールを送りたかったのだろう。(宮崎暁美)
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東京フィルメックスのサイトより:
私が女になった日/The Day I Became a Woman
イラン/2000年/78分/35mm/カラー
監督:マルジエ・メシキニ
脚本:モフセン・マフマルバフ
主演:ファテメ・チェラグ・アカル、シャブナム・トルイ、アジビ・セディギ
解説:モフセン・マフマルバフの妻メシキニのデビュー作。キシュ島の美しい風景を背景に、少女、成人、老人の3人の女性を3部構成で描く。
◆ティーチイン
美しい髪を半分ショールから見せた、端正な顔立ちの監督が舞台に現れると盛大な拍手。イランで女性として監督をする困難さはと、質問はまず女性観客から出た。五百人の男性監督に十人の女性監督という現状の中で、毎朝スタッフに自分が監督だと言い聞かせなければいけなかったが、そういう現状を作り出したのは、むしろ女性の自信のなさの歴史が作ったのではと。どこの映画祭でも同じ質問を女性から受けるとやんわりご意見。伝統は守っていかなければいけないかという質問に、自分はこの作 品でイスラム宗教やイラン社会を批判したかったのではなく、女性の自由を奪ってきたのは伝統という名の体制だと思っている。宗教はむしろ人間に自由を与えたと思っている。しかし、私はこの作品で全世界の女性が置かれている状況を普遍的に描写したかったのだと答え、イランで唯一の無関税地であるキシュ島の美しさと、テヘランでは女性に禁止されている自転車がここでは乗れるという状況がこの撮影を可能にしたいきさつを語った。女性、男性によらず、人生の最後に残されるのは夢だという言葉が印象に残った。
◆東京フィルメックス 公式インタビューは、こちらで!
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