『戦禍の下で』
原題:Sous les Bombes
英題:Under the Bombs
監督:フィリップ・アラクティンジ / Philippe Aractingi
2007年 フランス=レバノン=イギリス/93分/アラビア語・英語・フランス語
予告篇https://youtu.be/jwtEWdsVgZc
2006年に起きたイスラエルによる第二次レバノン戦争後、1年足らずのうちに撮影された、まるでドキュメンタリーと見紛う戦禍の傷痕をたどるドラマです。
この戦争は現地では7月戦争と呼ばれます。 妹と息子の消息を探すシーア派ムスリム女性と、彼女に雇われたタクシー運転手のレバノン南部をたどるフィクションが、やがて実際の被災地や被災者の声をたどるドキュメンタリーの役割をなしてゆくのです。
瓦礫の山と化した現地の様子は現在のガザとも重なります。
昨年の10/7にイスラム抵抗運動ハマスと
イスラエルの戦闘が激化した際、
“この戦争”を彷彿とした人も多かったと言います。
(もちろん中東に長く携わっている方限定ですが)
レバノン映画『戦禍の下で』は、
レバノンのシーア派イスラム主義組織ヒズボラの
越境攻撃に対しイスラエルが
レバノン南部を文字どおり瓦礫の山にした、
2006年の「7月戦争」開始直後に撮影された
まるでドキュメンタリーと見紛うばかりの作品です。
離婚調停中のムスリム女性が
行方不明になってしまった息子と妹を捜すべく、
キリスト教徒のタクシー運転手を雇って
現地をめぐるというフィクションは、
現実の重みを負い全篇異様な緊張感に充ちています。
ヒズボラを生んだのは
1982年のイスラエルによるレバノン侵攻、
ハマスを生んだのは
イスラエルによるパレスチナ占領がきっかけです。
本作は3/17(日)と23(土)に上映します。
とくに17日は『ファルハ』と続けて
上映しますのでぜひご鑑賞ください。
戦争中に撮影された映画とはいえ、
作者の意図で血生臭い映像は映されていません。
少々古い映画につき
上映素材の状態を心配していましたが、
こちらも試写をしたら
デジタル撮影様々で音・映像ともに良好でした。
(藤本高之)
☆東京・渋谷ユーロライブ上映日
3/17日 17:50
上映後トーク
【テーマ】《我々は映像で闘う ―2006年第二次レバノン戦争とレバノン映画人》
【ゲスト】佐野光子さん(アラブ映画研究者)
本作は
2006年の第二次レバノン戦争最中に撮影されており、
皮肉にも現在のイスラエルによる
ガザ攻撃を疑似体験できる作品となっています。
アラブ映画研究者・佐野光子さんのトークでは、
同じく戦争の真っ只中にレバノンの映画人たちが
イスラエルへの映像による「抵抗」として撮った、
3分と4分の短篇を上映いたします。
ベイルートをガザに、
ヒズボラをハマスに置き換えれば今とまったく
同じ状況が体感できるかなり貴重な作品ですので、
『ファルハ』だけでなく本作もぜひご覧ください。
3/23土 20:30
★SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008上映作品
来日した助監督のビシャーラ・アッタラ氏
シネマジャーナル74号(2008年夏・秋号)に掲載したインタビュー記事を、ここにお届けします。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008 コンペティション(長編部門)
『戦禍の下で』原題:Sous les Bombes
監督:フィリップ・アラクティンジ
2007年 フランス=レバノン=イギリス/93分/アラビア語・英語・フランス語
ドバイに住むゼイナは夫と離婚調停中。6歳の息子を南レバノンに住む妹に預けて帰った数日後、イスラエルがレバノンに侵攻する。息子の身を案じてレバノンに戻り、キリスト教徒のタクシー運転手トニーとともに爆弾の降り注ぐ中、息子を探しまわる。
今年(2008年)3月のアラブ映画祭で上映した『BOSTA』の監督による長編第2作。パリ在住の監督は、2006年7月イスラエルがレバノン南部に侵攻したニュースを聞いて本作の製作を決意。ラフな脚本を書き、侵攻の10日目から、爆弾の続く中で撮影を決行。まさに戦禍の下で出来た映画です。
前作『BOSTA』は、若者たちがカラフルなおんぼろバスでレバノン各地を回って公演を行う歌と踊り満載の作品。皆が内戦時代の傷を抱えながらも、レバノンの再生を願う明るさが感じられるものでした。本作では、様相ががらりと変わりました。
★インタビュー
『BOSTA』出演に続き、本作にも出演し助監督も務めたビシャーラ・アッタラ氏が来日。上映後のQ&Aに引き続きお時間をいただき、撮影の苦労や、レバノンの状況についてお話を伺うことができました。名刺には、ダンサー、演出など様々な肩書き。実に多才な方です。
衣装はモノトーン
『BOSTA』で撮ったレバノンの美しい風景はイスラエルの爆撃で失われてしまいました。『BOSTA』では明るい色調の衣装でしたが、本作ではモノトーン。ゼイナが最初にドバイから着いたときに来ている服だけを明るいブルーにしています。本作は特に少人数のスタッフで撮ったため、私がスタイリストも兼ねました。
普段の生活で宗教的背景は意識しない
タクシー運転手は髭をはやしていて一見ムスリムのようですが、トニーという名前でキリスト教徒とわかります。ゼイナは大胆に胸の開いた服を着ていますが、実はムスリマ。(演じたナダはキリスト教徒)。レバノンではイスラーム教徒といっても様々。外見ではわかりません。レバノンは人口が4000万人しかいないのに、宗教はキリスト教、イスラーム教織り交ぜ17宗派。撮影クルーは、10人ほどでしたが、それぞれ違う宗派で、まさにレバノンの縮図。私はマロン派キリスト教徒。お互いバリアーもないし、普段宗教を意識することはありません。
舞台は戦争の悲惨な現実
爆撃中の撮影で、寸断された道路、破壊された家屋、崩れた橋などすべてがリアル。逃げ惑う人たちも本物です。撮影中、イスラエルの飛行機が常時上空を飛んでいる状態で、トニー役のジョルジュは南に行きたくないと常にパニック状態でした。ジョルジュは有名なコメディアンで、劇や歌も作る行動的な人ですが、危険には敏感でした。ナダもレバノンの有名な女優ですが、ジョルジュが怯んでいる時に、前へ進もうとする勇気を持っていました。実際、国連軍等から安全を確認しながら撮影に臨んだので負傷者は出ませんでした。けれども、地雷やクラスター爆弾を取り除くのに年月がかかるので、戦争が終わっても南の人たちが元の生活に戻るのに何年かかるかわかりません。監督は罪のない人々がいかに苦しんでいるかを政治的なことでなく、人道的な意味で描きたかったのです。
子供は未来への希望
トニーとホテルの受付嬢とのセックスシーンは、死ぬかもしれないというプレッシャーの中で、まだ生きているという証に、次世代の繁栄を願って起こした動物的行為。(受付嬢を演じたのは素人のイスラーム教徒。大胆でびっくりしました。)
ゼイナが最後に出会うのは我が子ではないけれど、母を亡くし母を必要としている子。運転手も父親になりうる。重要なのは、「自分たちは生きている、再生する希望がある」ということ。子供は人生の始まりです。
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「レバノン杉はレバノンそのもの。安らぎを感じる」というビシャール氏の言葉に、レバノンの人たちが宗派は様々でも杉のもとに団結していることを感じました。
取材: 宮崎暁美、景山咲子
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