『ある歌い女(うたいめ)の思い出』
原題:Samt El Qusur 英題:The Silences of the Palace
監督:ムフィーダ・トゥラートリ / Moufida Tlatli
1994年/チュニジア=フランス/アラビア語、フランス語/129分
配給:エスパース・サロウ
劇場公開当時の35mmフィルムで上映
予告篇(本篇の一部)
https://youtu.be/2Vmtb6B6nTs
1994年に製作され世界各国で賞賛を浴び、日本では2001年に劇場公開されたフェミニズム映画の古典といわれている作品。
ムフィーダ・トゥラートリ監督が2021年2月に新型コロナウイルス感染症により73歳でこの世を去られ、追悼の思いも込め、21年ぶりにリバイバル上映。
*物語*
1956年にフランスから独立し、10年ほど時の経ったチュニジア。
酒場で歌うアリア。お腹に赤ちゃんがいるが、恋人は子どもを望んでいない。
チュニジア最後の皇太子シド・アリーの訃報が届く。
アリアは独立直前、母と過ごした王宮での日々を回想する。
母は王宮で厨房の仕事だけでなく、ベリーダンスを踊らされたり、夜伽もさせられていた。王宮で生まれたアリア。母は最期まで父親の名を明かさなかった・・・
2000年の地中海映画祭で観て、チュニジアがフランスから独立するまで、フランス統治下でありながら王室があったことを知った映画でした。1993年にチュニジアを訪れたことがあるのですが、その時にも認識してなかった次第。
アリアは皇太子の訃報を聞いて、久しぶりに宮殿を訪れ、かつて共に暮らした人たちと再会。いろいろな思いがよぎります。母がどんな気持ちで自分を育ててくれたかにも思いを馳せたのでしょう。恋人が反対しても産むと決意。女の子なら母の名をつけるというアリアの覚悟を決めた姿が素敵でした。
恋人とは王宮にいるときに知り合ったのですが、そのころから独立運動に携わっていた人物。そんな男が子どもを産むのを反対しているとはと、腹の座ってないことに呆れました。
◆2月19日(土)11:00『ある歌い女(うたいめ)の思い出』上映後のトーク
《アラブ映画における女性監督の軌跡 ―ムフィーダ・トゥラートリ監督を偲んで》
【ゲスト】佐野光子さん(アラブ映画研究者)
藤本さんより、本作の初上映は、1997年に吉祥寺で開催されたアフリカ映画祭で、その後、2000年の地中海映画祭での上映を経て、2001年に中野にあった武蔵野ホールで公開されたことが紹介されました。
佐野光子さんよりは、まず、ムフィーダ・トゥラートリ監督のプロフィール紹介。
1947年 チュニジア、シディ・ブ・サイード生まれ
1965年 パリの名門映画学校DHECで映画編集と脚本を学ぶ
1972年 チュニジアに帰国。映画編集者として活躍する
1994年 『ある歌い女(うたいめ)の思い出』カンヌ映画祭カメラドール特別賞、その他受賞多数。
*アラブ初の女性監督作品と言われたけれども、初ではなく、女性監督作品として名を成した初めての作品。アラブ初の女性監督作品は、サルマー・バッカール監督による『ファーティマ75』(1975年)で、ムフィーダ・トゥラートリが編集を担当している。
その後、監督作品は、『男たちの季節』(2000年)、『ナーディヤとサーラ』(2004年)と計3本のみ。いずれも女性の沈黙、そして沈黙を破ること、母との葛藤を描いたもの。
2011年 革命直後のチュニジア暫定政権で一時期文化大臣を務めた。
存在感のある女性。
2021年2月7日 コロナで亡くなる。享年73歳。欧米でも報道される。
この後、ムフィーダ・トゥラートリ監督が編集を手掛けた多数の映画の中から、いくつか選んで詳細の説明。さらには、アラブの女性監督について、マグレブ3国、アラビア半島、エジプト、パレスチナ、シリアと、限られた時間の中で幅広く語ってくださいました。イスラーム映画祭7のオープニングを飾る充実のトークでした。
(景山咲子)
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