アジアの未来 共催:国際交流基金アジアセンター
『最後の渡り鳥たち』 *ワールド・プレミア
原題:Turna Misali 英題:The Last Birds of Passage
監督:イフェト・エレン・ダヌシュマン・ボズ
出演:シェンヌル・ノガイラル、ネジメティン・チョバンオウル、ティムル・オルケバシュ
2021年/トルコ/トルコ語/99分/カラー
*物語*
トルコ南部メルスィン。海が遠くに見える高台。
年に2回、夏と冬に400キロの旅をするノマド(遊牧民)も、今や120名(家族?)。
ヤギを追う男や子どもたち。住民から、「なぜ毎日ここを通る?」と言われる。
徒歩での家畜移住禁止令が出る。トラックでヤギを移動させることに遊牧民の女家長ギュルスムは反対。徒歩移動はヨリュク民族の伝統なのだ。
一方、娘ルキエの夫は、ラクダよりもトラクターの方が便利だとギュルスムと対立している。
当局が定住用住宅を建て、25年ローンで売るという。水もお湯も出る。暖房も自動と言われ、膝の悪いギュルスムの夫ジェマルは定住に乗り気だ。
「定住用住宅はコンクリの墓。死ぬ前から行くのか」とギュルスム。
夫と二人で定住住宅を見に行き、先に定住した知り合いの女性たちに会う。洗濯機は水道代が高くつくから手洗いしているという。定住した男も、遊牧が懐かしいという。
フェスティバルでカシュックダンスを踊るノマドたち。
伝統と近代化の間で揺れる中、移動の時期が近づく。
火を焚き、雨が降りますように、草が乾かないよう、高地への旅が続きますようにと祈る。
いよいよテントをたたみ、ラクダに荷を積み出発する・・・
TIFFトークサロン
『最後の渡り鳥たち』
2021年11月5日 19:00~

登壇者:イフェト・エレン・ダヌシュマン・ボズ(監督/脚本/プロデューサー)
モデレーター:石坂健治
石坂:長いお名前ですが、今日はエレンさんとお呼びしていいでしょうか。まず、ひとことお願いします。
監督:イスタンブルからこんばんは。TIFFで上映されるのをうれしく思っております。そちらに伺えませんが、行ったも同然と思っております。
石坂:冒頭、映画の舞台や登場人物が説明されていますが、あらためてご説明お願いします。
監督:舞台はトルコの南部メルスィンで、イスタンブルからは遠いところです。
石坂:複数の方からキャスティングについて、本物のノマドの方が出演されているように見えましたがという質問がきています。

©IEDB Film
監督:メインのキャストはプロの役者です。お婆さん役シェンヌル・ノガイラルもトルコで有名な女優です。唯一、2歳の赤ちゃんのみ実際の遊牧民の子どもです。エリフ役やタシュバシュ役は、まだプロにはなっていないのですが、メルスィンで演劇を学んでいる学生さんです。もちろん、エキストラとして実際の遊牧民の方たちも出演しています。
石坂:脚本もご自身で書かれていますが、ノマドの暮らしについてはかなり取材されているのでしょうか?
監督:共同脚本の夫エイブ・ボスはプロデューサーであり撮影監督でもあるのですが、彼とともに4~5年かけて入念なリサーチをしました。エイブは13年前にノマドについてのドキュメンタリーを撮るために一緒に暮らしていたこともあります。私どもはノマドについて以前から知ってはいたのですが、あまり詳しくは知りませんでした。ドキュメンタリーの制作を通して彼らと一緒に過ごしたことで彼らの生き方にインスパイアされて、今回の作品にいたりました。彼らといろいろ話して、彼らについての本も読みました。
石坂:ノマドの人たちはトルコ人と外見で違いがわかるのでしょうか?
監督:女性に関しては、とてもカラフルな服装をしていますので、すぐにわかります。赤と青などとても元気の出る色を着ています。男性は服装に関しては特に特徴はないのですが、エイブとも話したことがあるのですが、薄毛の人は少ないです。ノマドの男性は頭髪が豊かです。外の風にあたって健康的なものを食べているからかなと思います。子どもたちも明るい色の服装をしています。

©IEDB Film
石坂:女主人公の存在に強い印象を受けました。イスラームでは家父長制と思っていたのですが、女性のほうが強い。トルコではよくあることなのか、もしくはノマドの特徴なのでしょうか?
監督:決してギルスムだけでなくノマドの中では女性が重要で、女性が決定権を持っていることが多いです。男性のほうがノマドの暮らしを捨てて定着することが多くて、女性のほうが遊牧を続けていることが多いです。
石坂:『最後の渡り鳥たち』というタイトルに、今、撮らなければいけないという思いを感じました。
監督:この映画を作ったメインの目的は、まさにそこにあります。声を大にして、彼らの好きなように彼らのスタイルで生活させてあげてください、彼らを歩き続けさせてあげてくださいと言いたいのです。彼らは歩きたいのです。暮らし方は賢いものです。彼らと時を一緒に過ごして、自然との特別な関係を保っていることがよくわかりました。それは大変重要なことですし、私たちは彼らの声となって伝えたいと思いました。
石坂:ノマドに対して、トルコでは学校教育をきちんとする対応をとっているのでしょうか? 差別や偏見はあるのでしょうか? 後半にフェスティバルでノマドが行進する場面がありましたが、差別をなくす試みとして行われているのでしょうか?
監督:トルコの文化の中では、どのような立場の人も自分のルーツはノマドにあるといいます。彼らの生活や哲学が好きだというのですが、反面、実際彼らが移動する地区の人たちは彼らを歓迎していません。移動するのがだんだん難しくなっています。草が豊かに生えるためには水が必要なのですが、水源が工場に取られたりしているのが実情です。暮らしはますます過酷になっているのが現状です。彼らの暮らしに憧れて、リゾートのように2日間や1週間位一緒に暮らしたり、彼らからチーズを買ったりする人たちもいますが、当局としては定住してほしいと思っています。移動されるとコントロールできませんから。お祭りのシーンで認知されているように見えましたが、もてはやされますが、祭りが終われば忘れ去られてしまいます。子どもたちもなかなか良い教育を受けることができません。学校の始まるころにちょうど移動するので、定住して学校に通えるようになった時には学期の途中で勉強が遅れてしまいます。また学年の終わるころには移動しなくてはならないので、1学年をちゃんと終えることができません。学校の教育問題も取り上げたいと思って、学校の先生を登場させました。
石坂:ラストのほうで、研究者のような男性が一緒に遊牧についていきますが、小さな希望とみていいでしょうか?
監督:研究者をいれたのはそういう意図です。ノマドの生き方はとてもパワフルで、継続させるべきだという人もたくさんいます。研究者である男性教師が一緒に移動することで希望を表したいと思いました。
石坂:車椅子の女性は、怪我をした男性にスカーフを差し出したりしていますが、親からはアバズレと言われています。女性が男性に親切にするだけでアバズレと言われてしまうのでしょうか?
監督:決して一般的ではありません。あのシーンを私たちはとても気に入っています。お父さんもお母さんもあまり教育を受けてなくて視野が狭いので、娘を罵倒しています。でも、若いカップルはいずれも障がいをもっています。片方は身体的に、もう片方は精神的にという違いはありますが。二人はとてもナイーブで純真で、お互いに惹かれあっています。周りの人からみれば、ただただ障がい者と思われているのですが、決してそうではないと私は考えています。
石坂:スカーフについての質問がきています。おばあさんは寝ているときもスカーフを被っています。娘さんは寝るときにははずしています。小学校の女の子は、山の青空教室ではスカーフをしているのに、町の学校では外しています。どのような考えで、あのような演出をされているのでしょうか?
監督:リアルな姿です。トルコでは文化的な意味と政治的な意味の両方があります。文化的なとらえ方で映画ではスカーフを描いています。祖母の時代はずっとスカーフをしていました。私はそれを自然な姿だと見て育ちました。ノマドに関しては、日中着ている服のまま寝ます。寝巻は持っていません。ルキエは夫とともに寝るので、スカーフを外しています。そして、トルコでは10年前まで学校ではスカーフを被ってはいけませんでした。今はそうでもありません。(末尾を参照ください)少女は、学校ではほかの子と同じようにスカーフをはずして、目立たないようにしています。
石坂:ヤギが可愛かったです。ノマドにとって家畜であると同時にペットでもあるのでしょうか?
監督:彼らはヤギたちと一緒に暮らしていて、病気になったらテントの中に入れて介護します。子どもたちは、ペットのように遊んでいます。赤ちゃんやぎはテントの中に入ってきて一緒にじゃれあっています。今一緒に遊べないから向こうに行っててよと子どもたちが話しかけたりしています。赤ちゃんヤギだけじゃなく、大人のヤギも中に入れています。もちろん、肉を食べたりもするし、ミルクを飲んだり売ったりもするのですが、まさにペット同然の存在だと思います。
石坂:まだまだ質問がきているのですが、時間がきてしまいました。

*スクリーンショットタイム*
石坂:最後にひとことお願いします。
監督:作品を受け入れて上映してくださってありがとうございます。私たちがノマドの声となり伝えることができ、お礼申しあげます。
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★トルコでのスカーフ問題★
このTIFFトークサロンの中で、気になったのが、トルコでのスカーフ問題です。監督は政治的にとらえる意図はなかったと語っていますが、「トルコでは10年前まで学校ではスカーフを被ってはいけませんでした。今はそうでもありません」という部分が、とても気になりました。
トルコでは1980年以降、政教分離政策の一環でイスラーム教徒の女性が公共の場でヒジャブ(スカーフ等)を着用することを禁止してきました。
最後にトルコを訪れた2006年に感じたのは、大都市イスタンブルはじめ各地でスカーフでしっかり髪の毛を隠した若い女性が増えたことでした。それも古風な被り方ではなく、比較的派手な柄のスカーフで、おしゃれにしっかり。信仰の証というより、それがトレンドなのかと感じるほどでした。
2008年6月第1週のスタッフ日記にこんなことを書いていました。
5日(木)帝国ホテル「孔雀南の間」で、オスマントルコ時代の女性用民族衣装展。ギュル大統領ご夫妻によるテープカット。
このとき、大統領夫人はスカーフでしっかり髪を隠されていて、政教分離をうたうトルコの大統領夫人が公式の場でこのように髪を隠すのはどういうことなのかと思ったのでした。

調べてみたところ、下記のような事情がわかりました。
2008年2月、イスラーム系の与党・公正発展党(AKP)政権の主導で国会でイスラーム教徒の女性に大学構内でのスカーフ着用を認めた憲法修正が可決されました。ところが6月5日、憲法裁判所がこの憲法修正を憲法が定める世俗主義の原則に反するため無効との判断を下しています。
そして、その後の状況:
与党・公正発展党(AKP)は段階的に公共の場でのヒジャブ着用禁止を解除。2013年には大学生と官公庁職員、2014年には中高生に着用を許可したほか、昨2016年8月には対象を警察官に拡大。軍隊はスカーフ着用が認められていない唯一の政府機関で、政教分離の牙城とされてきたが、2017年2月、女性兵士のスカーフ着用が許可された。
現エルドアン大統領は「着用禁止は反自由主義的な過去の遺物」と断じています。
2020年7月、エルドアン大統領は世界遺産の旧大聖堂で博物館のアヤソフィアを、イスラーム教の礼拝の場であるモスク(礼拝所)に変更。
1934年にモスクだったアヤソフィアを博物館に変更したのは初代大統領ケマル・アタチュルクでした。政教分離をうたって独立したトルコ共和国ですが、今後、どうなるのでしょう・・・
たかがスカーフ、されどスカーフ。外国人にも着用を強制しているイランでは、女性たちが着用は自由意思にまかせてほしいと命がけで運動しているのも忘れてはなりません。
景山咲子
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