東京国際映画祭 『ザクロが遠吠えする頃』 ~アフガニスタン内戦をイラン女性が描いた作品~ (咲)

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アジアの未来 共催:国際交流基金アジアセンター
ザクロが遠吠えする頃
英題:When Pomegranates Howl  ペルシア語題:Vaght-e Chigh-e Anar   
監督:グラナーズ・ムサウィー
出演:アラファト・ファイズ、エルハム・アフマド・アヤジ、サイーダ・サダト
2021年/アフガニスタン・オーストラリア・オランダ・イラン/80分/カラー/ペルシャ語他

*物語*
内戦が続くアフガニスタンの首都カーブル。父を亡くした9歳の少年ヘワドは路上でザクロを売り一家を支えている。家では母が叔父から意に添わぬ再婚を勧められている。
結婚式で太鼓に合わせて踊る女性たち。女部屋で紅茶を配るヘワド。結婚披露の宴が盛り上がる最中、爆撃される。
ある日、ヘワドはオーストラリア人の記者から声をかけられ、友人ナウィドと一緒にカメラの前に立つ。映画を撮りたいと言われ、俳優になる夢を膨らませる。
後日、記者が来て、爆発があった村に行くので今日は映画を撮れないと言われる。記者から、「息子に靴を買うから選んで」と頼まれ、もう1足、ヘワドの分も買ってくれる。
ヘワドは映画に出たい子を集めてカメラテストの真似をする。
子どもたちが集っていたとき、突然上空に飛行機が現れ銃撃される。八方に散らばる子どもたち。ヘワドもナウィドも倒れる。雪の中で泣き叫ぶ母と祖母。
オーストラリア隊員を運ぶヘリを攻撃されたと誤認して二人の子を殺してしまったというニュースが流れる・・・

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映画の最初のほうで描かれた結婚式最中の爆撃。アフガニスタンでは、結婚式で祝砲をあげるのが習わしで、それを宣戦布告と誤認して攻撃するという悲しいニュースを時折耳にします。ソ連、アメリカ、ターリバーン、イスラム国と、様々な勢力が入れ代わり立ち代わりアフガニスタンで権力を握り、市民を犠牲にしてきました。無責任にアメリカ軍が撤退し、今またターリバーンが台頭。凧揚げも、音楽や踊りも映画も禁止され、女性たちが学ぶ機会や仕事を奪われる時代に逆戻りしてしまうのでしょうか・・・(咲)


◎TIFFトークサロン

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イラン出身で、1997年よりオーストラリアで暮らすグラナーズ・ムサウィー監督と、リモートでQ&Aが行われました。

2021年11月6日 東京19:30~

登壇者:グラナーズ・ムサウィー(監督/脚本/製作)
モデレーター:石坂健治

石坂:TIFFにお招きできて光栄です。

監督:映画祭の皆様、私の映画を選んで上映してくださいまして、ほんとうにありがとうございます。お時間を作って私の映画を観てくださった皆さまにも心からお礼申しあげます。

石坂:オーストラリアでしたら、時差はあまりないのでしょか?

監督:メルボルンで夜の9時半です。2時間しか時差はありません。

石坂:『When Pomegranates Howl(ザクロが遠吠えする頃)』というタイトルに込めた思いを教えてください。

監督:映画作りに入る前に、詩をたくさん書きました。私のルーツは詩にあると思います。ストーリーを書いているときには、必ず題名についても考えています。一つ一つの言葉が大事なようにタイトルも大事です。
ザクロはアフガニスタンにたくさんあって、アイデンティティのモチーフの一つといえると思います。食べる以外に、ザクロジュースを売っていたりします。戦争のグレーの世界の中で赤いザクロは目立ちます。戦争で苦しんでいる子どもたちの一人一人がザクロの粒のように見えてきました。ばらばらになった実が戦争に苦しむ悲惨な子どもたちのように思えます。


石坂:ここから観客の方からの質問です。アミール・ナデリ監督に捧ぐとありました。日本でもお馴染みの監督ですが、ナデリ監督とはどんな関わりがあったのでしょうか?

監督:この映画を必ずナデリ監督に捧げようと思っていました。イランのもっとも名前の知れた巨匠のひとりです。たくさん学んだことがあります。私自身、ナデリ監督の映画の魂から影響受けました。映画のためには怖いものはない。すべて必ず越えて映画を作っていきます。それを学ぼうとしました。ナデリ監督の『期待(Waiting)』(1974年)という短編で、扉から女性の手だけが出てくる場面があります。私の映画にも、その場面を入れました。すべてを映画に捧げたナデリ監督に私の映画そのものを捧げたかったのです。

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東京フィルメックス 特集アミール・ナデリ監督 『期待』 Q&A (咲)
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/462848623.html
(2018年11月)

石坂:キャスティングについて、皆さんお聞きになりたいようです。主演の少年たちをはじめ、素人の子どもたちでしょうか? どのように指導されたのでしょうか?

監督:アフガニスタンで映画を撮るために、1年半くらい住んで、少しずつ準備をしました。戦場にいるような状況で、いつ爆発があるかわかりません。家に帰ってくると、鏡を使って車の下に爆弾が隠されてないか、まずチェックしました。オーストラリアのパスポートで来ているので、危険はないかと考える必要もありました。
アフガニスタンでは、たくさんの民族が一緒に住んでいて、今のアフガニスタンでは、民族どうしのぶつかりで問題が起こっているように思えます。私の人生の中では、人々を近づけて友情関係を作ることが一番の目的です。映画を作るときも、主たる大きな3つの民族を全部入れて作りました。パシュトゥーン、タジク、ハザラの子どもたちを全部入れましたし、キャストもスタッフもそれぞれの民族を入れるようにしました。
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いろんな民族から選ぶために西から東までずっと旅をしました。東のジャララバードで主役の子を選んだのですが、後から思えばとても幸運でした。彼を選んで連れてきたあと、ISIS(イスラム国)が入ってきて、行けなくなりましたので。ほかの子どもたちはカーブルで選んだのですが、いろいろな民族の子を選んでいます。

(注:映画を観ていた時に、二人の子が片方はダリ語、もう一人はパシュトゥー語で話している場面がありました。あれ?っと思ったのですが、そういう事情だったとわかりました。もっとも、アフガニスタンでは、両方の言葉が国語で、お互いにわかるらしく、違う言葉をしゃべっていても会話は成立するのだと思います。)

石坂:イラン生まれでオーストラリアにお住いの監督が、アフガニスタンでこの映画を作ろうと思ったきっかけをお聞かせください。

監督:大きな二つの理由があります。イランで生まれましたが、隣のアフガニスタンとは同じ歴史や文化や言葉を持っています。隣りの人が苦しんでいたら、私も一緒に苦しみます。彼らの痛みは私の痛みです。オーストラリアで大学に入って、その後、ずっと住んでいるので、第二の故郷です。亡くなった父や祖母のお墓もオーストラリアにあります。そんな私ですが、アフガニスタンがどういう状態にあるのか気になっていました。
映画のストーリーは、現実に基づいたものです。テレビを観ていたら、オーストラリアの防衛大臣がアフガニスタンのことを話していて、聴いていたら悲しみが心の中から湧いてきて、同じ言葉をしゃべっている隣の国に生まれたイラン人である私に何かできないかと思いました。私にできることは映画しかありません。それが、この映画を作る一番のきっかけです。この防衛大臣の言葉が一番のきっかけでしたので、防衛大臣取材の場面を映画の最後に入れています。
時間をすごくかけてストーリーを書きました。リサーチして、アフガニスタンのプロデューサーのバヒール・ワルダック(Baheer Wardak)さんからも話を聞きました。政治を勉強した人でしたので、いろいろ話を聞かせてくれました。戦場のようなところで、ロケできるかどうかと思って、パキスタンで撮ろうとも思ったのですが、やはりカーブルで撮らないといけないと思いました。苦労はあっても現地で撮ったほうがいいとプロデューサーからも言われました。ロケーションも映画のキャラクターの一つになりました。 イランの女優で監督でもあるマルジエ・ワファメール(Marzieh Vafamehr)さんがアレンジしてくださって、撮影や音声などすべてのチームをイランから連れてきてくれました。一人一人に心から感謝しています。彼らがいなければアフガニスタンで撮れませんでした。チームのアシスタントは、アフガニスタンのローカルの人たち。ほぼ完成したところで、オーストラリアのプロデューサーがプロジェクトに入ってくれて、アデレードの映画祭に紹介してくれました。一人一人が、映画に何かを足してくださっています。
12年前にアジアフォーカス・福岡国際映画祭にデビュー作『私のテヘラン』を出しました。今回イランからのスタッフすべてをアレンジしてくれたマルジエ・ワファメールが主役です。また二人で、1本映画を作って日本に持ってきた感じです。


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アジアフォーカス・福岡国際映画祭2010
『私のテヘラン』(2009年/イラン・オーストラリア)主演女優のマルジエ・ワファメールさん(左)とグラナーズ・ムサウィー監督。どちらも美人!今度はマルジエさんがグラナーズさんを主演に映画を撮りたいと語っていました。(撮影:景山咲子)

石坂:映画が出来上がったところで、大きくアフガニスタンが変わって、この映画の持つ意味がまた違って重くなったと思います。今、どんな風にお考えですか?

監督:私が作ったのは現実に基づいたストーリーで、子どもたちの運命が描かれています。アフガニスタンは20年間ではなく40年間、戦争が仕掛けられた国です。私は戦争を批判する側なので、ある時期の小さな部分しか語っていないのですが、40年間いろんなことが起こって、今のアフガニスタンがあります。今の現状をまるで予言したような映画になっているかもしれません。今でもアフガニスタンにいたら、同じように戦争の中にいる子どもたちを描くと思います。

石坂:最後のメッセージを!

監督:日本について考えていて、いつか『アフガニスタンの娘 in Japan』を作りたいと頭の中で考えています。今回は東京に行けませんでしたが、東京に行って、映画関係のいろんな人と会ってエネルギーを貰いたかったです。大好きな町にいつかぜひまた行きたいです。今回、私の映画を紹介する機会をくださった東京国際映画祭の皆様に心からお礼申し上げます。



グラナーズ・ムサウィー初監督作品
『私のテヘラン』
2009年/イラン・オーストラリア/95分
*物語*マルジエは女優の仕事を続けたいのに、規制があって満足のいく芝居になかなか出会えない。オーストラリア国籍を持つイラン人男性と恋に落ちた彼女は、結婚して移住したいと願うが、健康診断でHIVに感染していることがわかり、恋人との関係も破綻する。密出国を決意した彼女は持ち物を売り払ってオーストラリアを目指す。

赤裸々に描いた衝撃的な作品でした。
イランで許可なしに撮ったもので、撮って逃げる、撮って逃げるという状態で完成させたもの。イランでは上映許可もおりていません。抑圧されている中で、自由を求めてもがく女性たちの姿が描かれた作品。
シネマジャーナル80号にインタビューを掲載しています。

まとめ:景山咲子



★『ザクロが遠吠えする頃』関連の画像:東京国際映画祭のサイトより




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