奨励賞
★奨励賞を受賞し、10月14日(木)17:00よりオンライン上映されます。
ベナジルに捧げる3つの歌
Three Songs for Benazir
アフガニスタン/2021/22分
監督:グリスタン・ミルザイ、エリザベス・ミルザイ Gulistan Mirzaei, Elizabeth Mirzaei
*物語*
アフガニスタン、カーブルの国内避難民の難民キャンプ。
10代の若い夫婦。シャイスタは、妻のベナジルに歌を捧げ、幸せいっぱい。
空を見上げ、難民キャンプを見張る飛行船について説明するシャイスタ。
どうせ多国籍軍かターリバーンにやられて死ぬのが運命と語る。
シャイスタは父に学校に行かせてくれと頼むが、「学校がどこにある?」と言われる。
「なら、アフガニスタン軍に入らせて。教育が受けられるから」と頼むが、ケシ畑の収穫を手伝いに行けと言われてしまう。
ベナジルのお腹の中の子に話しかけるシャイスタ。ベナジルは笑いころげる。
友人がケシ畑に行こうと誘いにくるが、シャイスタは阿片に手を出したら終わりと拒否する。
シャイスタは、「入隊して立派になって戻る」と、軍に入隊申請に行く。
字が書ける人に申請書に記入してもらい、保証人をたてて入隊許可が下りる。
だが、家族は、「お前が国軍に入ると、ターリバーンに八つ裂きにされる」と恐れる。
4年後、ベナジルが二人の息子を連れて向かった先は、薬物依存治療センターだった・・・
たった22分と思えないほど、中味の濃い作品でした。
小学校3年生の時に、ヘルマンド州から逃れてカーブルの難民キャンプに来たシャイスタは、字がろくに書けなくて、教育を受けたい思いが強いのに、その機会が得られません。
即興でベナジルに歌うシャイスタの目はキラキラ輝いていて素敵です。その彼も、結局、ケシ畑に行くしかなかったのでしょう。1979年以来、落ち着かないアフガニスタンですが、ターリバーンの台頭でさらに状況は悪化しそうです。アフガニスタンの人たちが、平穏に暮らせる日がいつ来るのでしょう・・・(咲)
◆監督質疑応答より
監督のグリスタン・ミルザイとエリザベス・ミルザイに、お二人のお子さんも一緒に登壇。
―シャイスタとの出会いは?
二人で難民キャンプでボランティアをしていた時にシャイスタと出会いました。
希望と夢にあふれた顔をしていたのが印象的でした。戦争を逃れて、このキャンプに来ていました。私も戦争を逃れてイランにいたことがありますので、意気投合して友情を培うことになり映画を作ることになりました。
映画は、10年にわたる友情の結果として出来上がりました。
― 4年間、撮影できなかった事情があるのでしょうか?
2016年にエリザベスが妊娠してアメリカに移住したので、その間、連絡がなかなか取れませんでした。やっと甥っ子がシャイスタを見つけてくれた時には、橋の下でヘロインを吸引していました。甥っ子に頼んで薬物依存治療センターに入れてもらいました。
ちょうど別の企画でアフガニスタンに戻りましたので、最後のシーンとして薬物依存治療センターにベナジルが子どもを連れて会いに行く場面を撮りました。
― その後、シャイスタたちは?
アフガニスタンのあのような状況の中で、なかなか連絡も取れません。
3か月前に甥が訪ねた時には、大変な状況下で暮らしていました。
シャイスタと家族をアメリカに連れてこようという努力も続けています。
― 国軍に入隊していたら、薬物に手を出すこともなかったのではないでしょうか?
シャイスタとベナジルのラブストーリーとして、撮り始めて、これほど大きく膨らませるつもりはありませんでした。軍の脅威や、薬物の問題はそこにあるものなので、その場面を入れました。
―長編に発展させる計画はありますか?
尺をどうするか考えました。40分程あったものを上映しやすいよう縮めました。
短編を作るのにも労力がかかりましたので、長編を作るかどうか・・・
シャイスタ一家がアメリカに来ることができたら、また何らかの形で撮りたいと思います。
―あのような即興の歌は、アフガニスタンではよく歌われるのでしょうか?
皆、よく歌います。
シャイスタはパシュトゥーン語で歌っていたので、私たちはその場では何を歌っているのかわからなかったのですが、翻訳してもらって、こんな内容の詩を歌っていたのだと驚きました。
アフガニスタンでは、詩を歌にして歌う伝統があります。
― アフガニスタンの人々に捧げると最後にありました。どんな思いを?
映画ができた後に、ターリバーンがアフガニスタンを制圧したので、この言葉を追加しました。親友が9月にターリバーンに殺害されたばかりということもあります。
質疑応答アーカイブ ★期間限定:10月14日(木)23:59まで
https://youtu.be/djoRmxnjjQ8
(景山咲子)
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