SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021 『ミトラ』

国際コンペティション 審査員特別賞
『ミトラ』 原題:Mitra

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©Jurre Rompa

監督:カーウェ・モディーリ(1982年生まれ、イラン系オランダ人監督)
出演:ヤスミン・タバタバイ、モフセン・ナムジュー、
映画祭サイト:https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl07.html

1979年2月11日、イラン革命成就。王政からイスラーム共和制となる。
1982年、テヘラン。ハーレ・ダネシは、娘ミトラの処刑を執行したので私物を取りにくるようにとの電話を受ける。革命に燃えた父親と同じ運命をたどってしまったミトラ。

2019年、イラン革命40周年。
ハーレ・ダネシは、オランダでジェンダー学の教授として名を成している。
「組織の者だ」と男女二人が訪ねてくる。
ミトラの居場所を密告したレイラが、オランダに来てサーレという別名で亡命申請をしているという。会った者がいないので確認してほしいと頼まれるが、ハーレは声しか聴いていない。レイラの裏切りで6年間収監された兄モフセンが、今はドイツでひっそり暮らしている。ハーレはモフセンをオランダに呼ぶ。だが、モフセンもレイラに散々殴られて顔をよく見ていないという。
ハーレは、同郷の人が懐かしくてと、サーレの家を訪ねる。娘ニールーと二人暮らしのサーレ。ハーレは、イランの食材が買える店に案内したり、サーレにイラン料理をふるまわれたりし、母娘と親しくなりながらも復讐心を強めていく・・・

モディーリ監督が母たちから聞いた、監督が生まれる直前に亡くなった実の姉ミトラの物語
イラン革命直後の1980年代初頭のテヘランと、革命から40年後のオランダの場面が、行き来しながら、映画はスリリングに展開していきます。
私が初めてイランを訪れたのは、1978年5月。その直後に王様が追い出され、イスラーム政権になりました。1989年に再訪した時には、すっかりイスラーム体制が出来上がって、王政時代と180度違うイランになっていました。本作は、革命直後にどんな混乱があったかを垣間見ることのできるものでした。王政打倒に向けて、様々な考えの人が革命に燃えました。結果、イスラーム体制となり、それに反する声をあげ捕らえられた人たちもいれば、ハーレのように故国を離れた人もいます。世界に散らばった多くのイランの人たちのことに思いを馳せました。

テヘランでは撮影できないので、ヨルダンでイランの部分を撮影していますが、革命直後のイランを知らない監督が、なかなかよく描いたと思います。

テヘランの乗合タクシーの場面では、助手席に二人座っていて、窮屈だったのを懐かしく思い出しました。イスラーム体制になっても、乗合タクシーやミニバスは男女一緒に密着して乗っていて、大型バスは男女別なのに・・・と面白く思ったものでした。なお、その後、タクシーの助手席の定員は2名から1名になっています。

一つ、疑問に思ったのは、オランダにあるイラン人の「組織」から来た女性がスカーフを被っていたことです。ハーレも「体制派か組織だと思った」と語っています。現体制の打倒を目指しているなら、スカーフは被らないはずです。通常、外国にいるイラン女性でスカーフをしっかり被っているのは、公務員や国費留学生など体制の中で暮らしている人たち。もっとも体制に反対していても信心深い人はいるので、なんともいえませんが。

外国にいるイラン人が、お互いイラン人とわかっても気安く声はかけないという話も聞いたことがあります。政治信条がわからないと近づくのは危険という次第です。日本やイランや外国で、日本人である私がペルシア語で声をかければ、まるで旧知のように親しく接してくれるイランの人たちですが、イラン人同士では、そうはいかないお国事情。革命直後に信条の違いで、知人友人との間でわだかまりが出来たという話も聞きます。
革命に翻弄された人たちの思いをずっしり感じた1作でした。許すことが心を解き放してくれることも!


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カーウェ・モディーリ監督
映画祭事務局によるインタビューは、映画を撮影中で忙しく叶わなかったとのことです。
授賞式の折には、審査員特別賞受賞の喜びのコメントがロッテルダムから届きました。

(景山咲子)

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