第4回東京イラン映画祭2021 オープニングセレモニー (咲)

駐日イラン・イスラム共和国大使館文化参事室(イラン文化センター)の参事官がホセイン・ディヴサーラール氏になってから、4回目の東京イラン映画祭。
コロナ感染が拡大している中、開催されるのか心配していたら、開催数日前に案内が届きました。

2021年8月13日(金)~15日(日)
※オープニングセレモニー:8月13日(金)15:00~15:30

会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」リーブラホール
   最寄り駅:JR田町駅 都営三田線・浅草線 三田駅
主催:イラン文化センター(駐日イラン・イスラム共和国大使館文化参事室)
共催:一般財団法人港区国際交流協会
協力:港区、港区立男女平等参画センター「リーブラ」、株式会社オンリー・ハーツ、公益財団法人ユニジャパン

これまでに観ていない作品はやっぱり観たいと、13日と14日、参加してきました。

13日、1時からの『命の葉』(2017年、監督:エブラーヒーム・モフターリー)を目指して行ったら、字幕が間に合わず、代わりに『ウォーデン 消えた死刑囚』を上映するとのこと。(公式サイトで告知されていたのに気づきませんでした・・・)
字幕を担当していたイラン人のJ氏が、お祖父様が危篤でイランに帰国。葬儀を終え、40日忌まではイランにいたいと、日本に帰国せずにいたところ、家族全員コロナに感染してしまったとのこと。それでも、字幕を間に合わせようと頑張ってくださったのですが、断念したという顛末でした。イランの感染状況、日本よりもひどいようで心配です。

さて、会場に入ったら、イラン関係ではなく、秋田・角館のユースホステル常連仲間のH氏の姿が・・・(最初、ここにいるはずはないから、見間違いかと!) facebookで宣伝した効果♪ イランを知らない人に観てもらえるのは嬉しいことです。

『命の葉』が観られなくて残念でしたが、『ウォーデン 消えた死刑囚』は大好きな作品なので、もう一度観ることができて、それはそれでよかったです。
主人公の刑務所長が、上司から次期警察署長に内定と言われて、ソーハーンという焼き菓子を探しに裏手に行った時に、小躍りするところがお気に入り♪

3時からオープニングセレモニー
まずは、今回より共催となった港区国際交流協会 事務局長の小門謙様より挨拶。かつて観たイラン映画の中では、『駆ける少年』が特に印象に残っているとのことでした。
PXL_20210813_061822697.MP.jpg
次に、イラン文化センター長のホセイン・ディヴサーラール氏挨拶。
イランと日本の1300年以上にわたる文化交流、そしてイラン人が日本映画を通じて日本に強い関心を持っていることを述べられました。

協力の公益財団法人ユニジャパンからは、この4月に東京国際映画祭プログラミング・ディレクターに就任した市山尚三氏のビデオメッセージ。(思えば、去年の東京イラン映画祭では、矢田部氏のビデオメッセージが流れました)
市山尚三氏も、東京フィルメックスを創設する前の東京国際映画祭のディレクター時代から、多くのイラン映画を選んでくださっているイラン映画通。

最後に、『ジャスト6.5 闘いの証』と『ウォーデン 消えた死刑囚』の配給会社オンリーハーツの奥田真平氏から、東京国際映画祭で『ジャスト6.5 闘いの証』を見初め、『ウォーデン 消えた死刑囚』とセットで買い付けるに至ったことが披露されました。
オンリーハーツ配給で、現在公開中の『太陽と踊らせて -BORN BALEARIC-』にも、イランのサントゥール奏者がダイナミックに奏でる場面があることも紹介されました。(観なくては!)

3時半から、『ジャスト6.5 闘いの証』の上映。
観るのは4度目でしたが、確認したい場面がありました。タイトルの、6.5の由来となった台詞「腎臓の手術代が払えず兄貴は死んだ。遺体を包む布は単価6.5トマンの安物」。
なのに、あ~ 寝てしまって見逃しました!

2019年東京国際映画祭の折の、サイード・ルスタイ監督と、麻薬王を演じたナヴィド・モハマドザデーさんインタビューはこちらで!
just 65 2.jpg
ナヴィド・モハマドザデーさん(写真:右)は、『ウォーデン 消えた死刑囚』では刑務所長。同じ人には見えなくてびっくり♪

6時10分から、ドキュメンタリー映画『18パーセント』(18 Percent)
2018年/57分
監督:モスタファー・シャバーン (Mostafa Shaban)
昨年の第3回東京イラン映画祭2020で上映されたのですが、予定があわず見損なっていた作品。
1988年、イラクの化学兵器により負傷したイラン人5名が日本での治療を受けるためにイラン航空の旅客機で成田に到着。負傷者のひとりアリー・ジャラーリーは、意識不明のままで状態が悪く、東京の大学病院(帝京大学附属病院)へ運ばれ、救急救命センターの中谷壽男医師の治療を受ける。100日後、中谷医師は、回復の見込みなしと判断し、イラン大使館宛の手紙で彼をイランへ帰国させ残りの時間を家族と過ごさせるべきと訴えた。それから、17年後、中谷医師は広島の津谷靜子医師から、アリーが広島に来ているとの知らせを受ける・・・
もう亡くなっていると思っていたアリーとの再会に、観ている私たちも涙。

*津谷靜子さんが代表を務める広島のNPO法人モーストは、イラクの毒ガス被害者のイラン人を支援しており、平和記念式典に招聘し、毎年、8月に「広島イラン愛と平和の映画祭」を主催しています。
今年のサイトはこちら!
いつか広島にも観に行きたいです。

この記事へのコメント