第32回東京国際映画祭2019観て歩き(暁) 『チャクトゥとサルラ』『戦場を探す旅』『ファストフード店の住人たち』『ある妊婦の秘密の日記』『れいわ一揆』
9月から11月初旬まで映画祭が続き、各映画祭のオープニングとクロージング記事をまとめるのに撮影した写真を整理するのが手一杯で、なかなか個々の作品紹介ができないままきてしまいましたが、やっと映画祭で観た作品の紹介と感想記事にかかれます。
今年の東京国際映画祭も各セクションにはこだわらず、中華圏の映画を中心に興味がある映画をプレス試写、一般上映を組み合わせて観た。以前はチケットぴあでチケットを買っていたけど、今はネット販売になってしまい、ネットでの購買が苦手な私は、どうしても観たい作品で売り切れそう作品だけ友人にたのみ前もって買って、その他の一般上映の作品は当日売り場でチケットを買った。だいたいプレス申請でさえ、何年か前からネットになってしまい、プレス申請できたと思っていたら申請されていなかったということがあった。案内や情報は来ているので、申請が行っているのだろうと思っていたら、映画祭当日、プレス申請されていませんとわかったことが2回くらい。なんてこったで、当日申請し直しなんてこともありました。なんでもネットでという状態になってしまい、それが苦手な私は時代に取り残されそうです。
これまで始めの2,3日は観たい作品が重なってしまうということが多かったけど、今回、後半まで作品が広がって映画祭に行きやすくなった。その代わり、休みを取る日が取れず疲れがたまりましたが、嬉しい疲れです。
今年は、中国映画週間のクロージングと東京国際映画祭の観たい作品がバッティングしてしまいクロージングのほうをあきらめた。ちょっと残念。
コンペティション 『チャクトゥとサルラ』
最優秀芸術貢献賞
原題 白雲之下 英題 Chaogtu with Sarula
監督:ワン・ルイ(王瑞)
キャスト:ジリムトゥ、タナ、イリチ
111分 カラー モンゴル語、北京語 日本語字幕・英語字幕付き 2019年 中国
内モンゴル自治区の大地で暮らす夫婦。夫のチャクトゥは妻と一緒に都会で暮らしたいが、妻のサルラは伝統的なパオ(テント)での暮らしに満足し都会には住みたがらない。そしてモンゴルの平原にも変化が忍び寄る。馬での往来が多かったモンゴルの草原でも、バイクや車での往来が多くなり、ここでも往来はほとんどバイクや車。でも年1回の馬追い?の行事のシーンで馬乗りの妙技が披露される。
夫がふらっと出かけてしまうと、妻はひとりで家畜の羊の世話を続けるが、夫がいつ帰ってくるのか気が気でない。雄大で、壮大な大平原の厳しい大自然の中、新しい社会に憧れる夫チャクトゥと、今の暮らしを継続したい妻サルラの間には心のすれ違いが生まれ広がっていっていく。
果てしない大空、大自然の美しさが描かれるが、大自然の厳しさも描かれ、激烈な吹雪のシーンも圧巻。零下40度のなか撮影が行われたそう。
バイクに車、スマホまで登場し、草原の中に鉄塔も見える。草原の暮らしも便利になり、以前の暮らしからは大きく変わってきて、近代化からは逃れようもない。そんな中で草原の暮らしも変わっていく。
そんな中で描かれる未知のものへの憧れと、すでにある暮らしへの満足。その狭間でゆれる気持ち。誰しもある普遍的なテーマ。妻への思いはあっても、都会に行きたい夫の気持ち。束縛せず、お互いの気持ちを大事にして、そのすれ違いをすり合わせることができなかったのだろうか。彼らが暮らしているところは都会からあまり離れていないところのようなので、草原に住みながら都会にも時々行くとか何か方法はなかったのだろうか。私自身は、都会というより未知のものへの憧れが強く、あちこち行きたいタイプなので夫の気持ちがよくわかる。
空の大きさ、壮大な草原、そして羊と馬とパオ。私はそんな生活に憧れてはいるけど、毎日ここにいる人は、刺激の多い都会に憧れるのでしょう。この作品では「音」も印象的。羊や馬など家畜の鳴き声、草原を渡る風の音、嵐の音、雪の上を歩く時の音。そして、歌がよかった。草原に響き渡る歌声が素晴らしかった。
北京電影学院の教授も務める王瑞監督の長編5作目。
コンペティション
『戦場を探す旅』
原題 Vers La Bataille 英題 Towards the Battle
監督:オーレリアン・ヴェルネ=レルミュジオー
キャスト
マリック・ジディ
レイナール・ゴメス
マクサンス・テュアル
19世紀半ば、植民地戦争が繰り広げられるメキシコの山岳地帯が舞台。仏軍はメキシコの土地で戦争をしていた。著名なフランス人の報道写真家ルイは戦争の実態を伝えようと写真を撮るため戦地に赴く。仏軍と一緒に行動していたのにはぐれてしまい、ルイは戦場を求めて険しい自然の中をさまようが、山岳地帯で山越えが困難になり戦場にたどり着けない。歩きまわるうち、山中で現地の農民ピントと出会う。ふたりは言葉も通じない中で少しづ打ち解けていき、行動を共にしていく。19世紀半ばの戦場の現実と、異文化の交流を描きだした人間ドラマ。
あのころのカメラは、今と全然違って乾板写真の時代。フイルム(ガラス板)の大きさが8×10インチ(エイトバイテン)というB5サイズくらいの大きさで、1枚1枚ガラス板に乳剤を塗って使用という状態。しかも現像の道具も持ち運ばないといけないということで、ものすごい荷物の量。馬に荷物を乗せての移動だけど、そういう過酷さと、現実の移動の過酷さが描かれる。
しかし根本的な戦場をどう撮るかということに関する困難さ、今のように迅速に現実をリアルに写し取るということは困難。ルイが軍隊と合流できないでいる間に、アメリカの新進の写真家が軍隊に雇われていた。その写真家が戦争場面として撮影している現場に遭遇するが、それは死体役と鉄砲を構えた兵士役に分かれて、動かない状態で撮影されていた。今でいうフェイク写真である。それに憤るルイだったが、現実的に、その当時は動いている状態では撮れなかった時代。せっかく軍隊に追いついたのに、すでに別の写真家に記録係の仕事を取られ、しかも偽写真を撮っているという、自分にとっては許しがたい事態。ジャーナリストの魂と現実の対比。今のように便利でなかった時代の写真の技術と手間、そういう中でも戦場の記録写真を撮ろうとした男の姿が描かれていた。今の時代の視点で見るとこっけいだけど、そういう時代を経て、今の時代があるというのを思った。
それにしてもメキシコってスペインの植民地だったと思うけど、フランス軍が鎮圧に乗り出したのか? 詳しい歴史を知らない私には疑問なことがいくつか。メキシコが舞台だけど、実際はコロンビアで撮影したそう。
上映後のQ&Aでレルミュジオー監督は、メキシコでの戦争を舞台にしたことについて「あえて自分の知らない時代、知らない場所を描きたいと思った。当時、フランスがメキシコの植民地戦争に参戦していた時代背景と、ルイが自分の内面と闘っている人物という設定で(息子の死の影響)、その2つの戦いが重なるのが面白いと思った」と語り、写真家を選んだ理由は「時代の先駆者を尊敬している。あの当時の戦場写真家は重い機材を運び、それをセッティングし、事が起こるのを待たなければならなかった。写真家はそこにあるものを撮って残す使命を担っている」と語った。
主人公の写真家を演じたマリック・ジディは、ルイという人物に対して、監督から「この人物は常に模索を続けている人物。自分の死んだ息子を捜し続けている。強い意思を持っているけど、脆さも同時に持っていて両刃の上に立っている感じ。写真というツールで理想に突き進んでいこうという思いを持っている人」を演じてほしいといわれたと語っていた。
アジアの未来
『ファストフード店の住人たち』
i'm livin' it [麥路人]
監督:ウォン・シンファン[黃慶勳]
キャスト
アーロン・クォック
ミリアム・ヨン
アレックス・マン
世界中に格差社会が広がっている。日本ではネットカフェ難民として暮らしている人がいるけど、香港では24時間営業のファーストフードショップ(ハンバーガー店)に住むホームレスの人々がいる。ドロップアウトした元証券マンや家出少年。シングルマザー、家に居場所がない老人などがハンバーガーショップで夜をすごす。それぞれ事情ある人たちがネットカフェ難民ならぬ"ファストフード難民"として助け合って生きている現実を描いた。
事情を抱え、貧しく行き場のない人たちが24時間営業のハンバーガーショップで夜中から朝までを過ごしている。仕事を紹介したり、助け合って暮らしていて、家族ではないけれど擬似家族のような絆があり、苦しく哀しくても優しい人たちが店の片隅で生きている。香港映画らしい人情ドラマ。
アーロン・クォックが元やり手証券マンを演じ、よれよれのスーツ姿で登場。そしてミリアム・ヨンが母子家庭の母親役。それにアレックス・マンも夜中の住民の一人として出演している。またノラ・ミャオもチラッとカメオ出演。アーロンがよれよれの服で出てきたときには、いつも元気いっぱいのアーロンを見てきたのでちょっと違和感を感じた。でもいつもの親切な面倒見の良さそうな姿にホッとした。
この物語に賛同して、出演を快諾したそう。演じる前に、日本のネット難民のこととかも調べたとQ&Aで語っていた。ミリアム・ヨンは子供を抱えたシングルマザーの役を違和感なく演じていたように思うけど、実際、母となった今、子供たちがこのような環境に置かれることのないよう活動もしているらしい。
香港のこういう人たちへの支援状況というのはどうなっているのだろうか。フードバンクとか、無料給食とかも出てきたので、公的な支援、民間での支援(NGO活動など)はあるらしい。以前は、街の中心部でも大八車に空き缶を山のように積んで運んでいる人も見かけたけど、この数年はほとんど見ない。でも少し郊外に行くと、今でもそういう人はいるし、店の裏側で食器を洗っているような人もみかける。香港の繁栄の影で、それに取り残された人たちがいるといつも思っていたけど、そういう人たちに視点を向けた映画を作る監督がいた。笑わせる場面もあるけど、ハッピーエンドではない。嫁をいじめる姑もいる。実際は笑えない状況が描かれる。
原題は『麥路人』。「麥」はマクドナルドということ。実際、コーヒー一杯で朝までいることができるのだろうか。ちなみにマックでのロケは無許可で行われたらしい(笑)。それにしても、今の香港の状況、どうなっていくのだろうと心配。弱い人は、ますます食べるのに困る状態になっているのではないだろうか。
アジアの未来
『ある妊婦の秘密の日記』
The Secret Diary of A Mom to Be [Baby復仇記]
監督・脚本・原案:ジョディ・ロック[陸以心]
キャスト
ダダ・チャン
ケヴィン・チュー
キャンディス・ユー
『レイジー・ヘイジー・クレイジー』(TIFF15)のジョディ・ロック(陸以心)監督の2作目が本作『ある妊婦の秘密の日記』(Baby復仇記)。
広告代理店で働く仕事人間のカーメンは、キャリアウーマンとして頑張って働き、上司からも信頼が厚い。次のステップとしてベトナム本社行きを狙ってる。
プロバスケットボールの選手である夫オスカーともうまくいっていて充実の日々を送っていた。結婚をした時から、彼とは子どもはいらないと話していたのだが、ある日、妊娠3ヶ月であることが判明し、自分で描いていた仕事上のキャリアアップの予定が思うようにいかなくなったことで悩む。そして、今の生活を変えたくないカーメンは中絶するかどうするか迷い、夫にはしばらく妊娠したことを打ち明けられないでいた。しかしオスカーに知られてしまった。
カーメンの思いとは裏腹に、夫は子供ができた以上、産むものと決め付け、妊娠を喜び、そのための環境を整えるため、不安定なプロバスケットボール選手をあきらめ、定職を探し始める。仕事に未練を残したカーメンと、母子を養うため自分の夢をあきらめ、収入の安定した仕事を選ぶ夫。夫婦間のすれ違いとか、カーメンの子供への思いはあるものの、産むのは今じゃないという思い。キャリアをあきらめきれない思いと辛さ、女性監督ならではの女性の悩みをよく描いていた。
キャリアをあきらめ産むことを決めたカーメン。その決断も、オスカーの母(義母)のプッシュからだった。不本意ながら産むことを決めたけど、決めた以上は、しっかり産むための準備を続けることを決心する。それにしても、義母は勝手に出産をサポートするお手伝いさん(妊娠・育児アドバイサーという男)を高額で雇ってしまう。彼は、スリムでおしゃれなドレスとかハイヒールを、カーメンに相談もなく、勝手にうっぱらってしまたり、自分の知識の押し売りをする。ま、それが滑稽で映画の真骨頂なのだけど。
日本とだいぶ違う香港での出産までの事情、日本と同じような親子関係が描かれる。『ある妊婦の秘密の日記』と日本タイトルにはあるけど、いろいろな出来事を通して「親」になるまでの夫婦の姿がコメディタッチで描かれる。
ジョディ・ロック監督は『恋の紫煙』の続編を書いている。
日本映画スプラッシュ 特別上映
『れいわ一揆』
監督・撮影:原一男
製作・撮影:島野千尋
編集:デモ田中 小池美稀
製作・配給:風狂映画舎
2019年/ 248 分/DCP/ 16:9 /日本/ドキュメンタリー
公開されることになりましたが、日程は今未定です。
公式HP
上映情報
『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』『ニッポン国VS泉南石綿村』などの作品で知られる原一男監督の最新作『れいわ一揆』。これは、昨年(2019年)夏の参議院選挙でさまざまな候補者を擁立して話題となった「れいわ新選組」の候補者を追ったドキュメンタリー。
東京大学東洋文化研究所教授、安冨歩は、2013 年以来「もっとも自然に生きる事ができる」スタイルとして、女性服を着る「女性装」を実践している。その安冨歩が、山本太郎率いる「れいわ新選組」の比例代表候補として参院選に出馬。「子どもを守り未来を守る」のスローガンを掲げ全国遊説の旅に出た。安冨を中心に10人の個性豊かな候補者たちに原監督のカメラが鋭く迫っていく。
新橋 SL 広場、東京駅赤レンガ駅舎前、阿佐ヶ谷駅バスターミナル他都内各地から旭川、沖縄、京都と、相棒の馬「ユーゴン」とともに全国を巡る。そして故郷の大阪府堺市駅前に立った彼女は、美しい田園風景が無個性な住宅街に変わり、母校の校舎も取り壊され喪失感を吐露し始める。
「れいわ新選組」の候補者は、重度の身体障害者、性的少数者、派遣労働者、コンビニ加盟店ユニオンの労働運動家、公明党の方針に異を唱える創価学会員など、社会的弱者を中心に参院選候補者を擁立した。その人たちの戦いや主張も紹介してゆく。
実のところ、私が「れいわ新選組」の名前を知ったのは、選挙開票当日。それまで全然知らなかった。開票する中で2名の当選者が出て、何々どういうグループ?と思ったのである。そもそも、この名前からして何なの?と思ったくらい。1970年(昭和45年)に高校を卒業して以来、私は元号をほとんど使ってこなかった。元号は差別の元凶である天皇制に結びつくものとして使いたくなかったし、入社した会社でも使っていなかった。会社の中で使っていたのは西暦だった。
だから政党の名前として元号を使っているというのは右翼なのか?と思った。それに「新撰組」も好きではない。江戸時代末期、徳川幕府の側にたち、新しい社会を作ろうとする人たちを次々と殺した。というわけで、もう「れいわ新選組」という名前だけで胡散臭い連中?と違和感を持った。まさか 山本太郎が言いだしっぺとは思いもよらなかった。
だいたい選挙そのものを信用していない。選挙権を得た20歳の時には選挙なんて行くまいと思ったほどだから。だけど棄権するのもなんだから、ほとんどの選挙に行ってはいる。でも、私が入れた候補はあまり当選したことがない。入れても入れても当選しないんだもの、選挙に行くのが嫌になっちゃうくらい。それでも自分の意志を通すために行ってはいた。そんな私なのであまり選挙に期待していなかいから、選挙戦には興味がなかった。だから去年(2019年)の参議院選挙だって、選挙そのものには期待していなかった。
そこへこの政党。しかし当選した二人(舩後靖彦と木村英子)が重度の障害者だったことから、私は興味を持った。60歳でリタイアするまで障害者が作った会社(障害者、高齢者のためのリハビリ機器を扱う会社)に勤めていたし、今は私自身が障害者なので。
それに主な登場人物である安冨歩さんはもっとも自然に生きる事ができるスタイルとして「女性装」を実践しているというけど、私はその女性装とやらが嫌い。「女性装」の代表例となる、「スカート、ハイヒール、化粧」は、女性の活動範囲を狭めたり、女らしさの押し付けとして、社会に出た時から避ける生活をしてきた。私にとって「女性装」は不自由の象徴だった。勤めて何年かはスカートも持っていたけど、今はスカートは冠婚葬祭で必要なもの以外は持っていない。だから安富さんの女性装に対する思いに魅力は感じられなかった。
でも、他の候補者の中に面白い人、ユニークな人がいて、そのメンバーには興味をそそられた。
創価学会員で、公明党の姿勢に対して物申していた人。コンビニで働く人の働く時間改革を訴えていた人など面白かった。そしてもっとも心動かされた人はシングルマザーの渡辺てる子さん。彼女の訴えていたシングルマザーの苦しい家庭を訴える演説が、だんだんエスカレートしていく姿、演説がうまくなっていく様に感動した。それはきっと私だけでないだろう。
その他の人の話も聞きながら、笑ったり泣いたり、いろいろな事例を知った。この映画を観てから選挙だったら、もしかしたらもう一人くらい当選者がいたかもしれない(笑)。やっぱり原監督が作るドキュメンタリーは面白い。
自由に動きにくい、生きにくいことの象徴としてあったから。
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