東京国際映画祭『湖上のリンゴ』(トルコ) 記者会見(11/1)

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東京国際映画祭 コンペティション部門
『湖上のリンゴ』
原題:Aşık  英題:Food for a Funeral  
監督:レイス・チェリッキ
出演:タクハン・オマロフ、ズィエティン・アリエフ、マリアム・ブトゥリシュヴィリ(『とうもろこしの島』)
2019年/トルコ/トルコ語/カラー/103分

*物語*
凍った湖上にかじりかけのリンゴを見つけたサズ(伝統楽器)を抱えた老人。連れの老人が、「かじったのは美しい娘?毒リンゴ?」と声をかける。寓話的な幕開け。
日照りの続く辺境の地。伝統楽器の演奏家アシーク(吟遊詩人)をめざす少年ムスタファ。老師の教えは厳しい。父を亡くしたムスタファは一家の大黒柱。なんとか独り立ちしたい。
村はずれの山の上にお墓がある。ムスタファが友人たちと墓におしっこをひっかけた為に、雨が降らないと村人たちにうらまれる。
ムスタファは老師に連れられ、国境を越えジョージアに赴く。アシークの集い。男女年齢も様々なアシークがそれぞれの声を披露する。ムスタファは、ジョージアの名産のりんごを恋心をいだく年上の村娘へのお土産に持ち帰るが、なかなか渡せない。やがて、彼女は嫁ぐことになり、結婚式の日を迎えてしまう・・・

◎記者会見

11月1日(金)12:53~ 

登壇:レイス・チェリッキ(監督/脚本/編集)、ディレキ・アイドゥン(プロデューサー)

監督:人々が忘れかけていたような、心に染みる言葉を綴りました。

アイドゥン:楽しんでいただけましたでしょうか? 皆さんのご意見をお待ちしています。

*会場とのQ&A*
― (トルコの方)多くのトルコ映画が海外で上映されていますが、イスタンブル出身の監督が田舎で撮ったものは、地元の人たちに全然違うよと言われることが多い中、本作は監督が出身地に戻られて作っていらっしゃいます。

監督:生きとし生きるものがあります。そして大地があります。生きた大地に勝さるものはありません。文化もそう。人間の心の中にあるいろいろなものを持ちづ付けて大地に戻ります。
映画を作る時に、映画監督でなく、私はただただ語り部。そのように生きていかねばと。
自分の生まれ育った大地に帰っていくこと。文化に対しても親身な感情をもってないといけないと思います。

― 圧倒されました。場所がトルコからジョージアへと移りますが、境界線が見えません。あえてそのように描いたのでしょうか? 場所が移ると、言葉もジョージア語になっているのでしょうか? トルコの人たちは解することができるのでしょうか?

監督:人々が生きている中で、ボーダーが今はあって問題を起こす人々がいます。私はボーダーは好きではありません。ジョージアとトルコは行き来できて、トルコ人もジョージアにいるし、逆もあります。言葉もそれぞれで共有しあえます。
ジョージア語で話していても、トルコ語の話者も理解できます。
人間を人間にするのは話すこと。だから話さないといけません。
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司会:トルコの方もジョージア語がわかるのですか?

監督:国境地域の人たちはそうです。私の生まれ育ったところの人は、ジョージアの言葉を理解できます。ジョージア側にも、トルコ人のムスリムも住んでいて、行き来があります。

司会:アシークという名人は、トルコにもジョージアにもいるのですね?

監督:はい、両方にたくさんいます。

司会:歌手の女の人はジョージアの人ですか?  

監督:ナルギル・ハーノムたちは、ジョージアで暮らすトルコ人のアシークです。お母さん役はトルコのクルド人です。私自身の背景も、トルコ、クルド、ジョージアが混じっています。

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©Kaz Film
― 英語タイトルは、『Food for a Funeral』です。赤いリンゴがただ望みを叶えるのでなく、生死にかかわる気がしました。

監督:
リンゴは、メタファーとして人間が創生されたときのアダムとイブの話に使われます。 原罪、生きるものの象徴として使われます。
映画のもともとのタイトルは、私の村で子どものころの教師で、後に偉大な作家になったドルスン・アクチャイ先生の描いた本のタイトルです。インスピレーションをいただいて、いつか映画にすると約束していました。それが実現しました。着想を得て、物語にしました。

司会:アイドゥンさんに伺います。この映画をプロデュースしようと思った一番のモチベーションは?
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アイドゥン:若い世代のプロデューサーの一人なのですが、できるだけモダンな都市の映画を作っています。多くの田舎を舞台にしたものがすでに作られていますので。でも、今回の脚本を読みましたら、これまでのものと全く違いました。、詩的な要素の多いものでした。失われつつある文化で、こういう芸術を私自身知らなかったので、ぜひ人々に伝えたいと思いました。


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出演者の名前をみて、タクハン・オマロフ、ズィエティン・アリエフの二人は、トルコ風の名前にロシア風の末尾、マリアム・ブトゥリシュヴィリの末尾のヴィリは、ジョージアの苗字に多いので、どこの方が演じているのか気になっていました。
公式インタビューに、アシークの老師と少年役は、監督がドキュメンタリーの撮影でジョージアのトルコ系やアゼルバイジャン系の人々がともに住む土地に行き、出会ったアシークとのこと。また、村娘役はジョージアのギオルギ・オヴァシヴィリ監督の『とうもろこしの島』(TIFF2014上映)に子役で出演していたのを観て、印象に残っていて起用したとのことです。女性に発言権のない、閉塞的な社会。旧弊な社会で望まない結婚を強いられ、自分の理想とか意思を実現できないという女性であるため、言葉を発しない役にすることができ、言葉の壁を乗り越えたとのことです。
また、村はずれのお墓に少年たちがおしっこをひっかけて叱られますが、アルメニア人がお金を埋めてお墓に見せかけているだけだと反発します。この地にいたアルメニアの人々が追い出されたことにも思い至りました。(咲)

なお、レイス・チェリッキ監督には、これまでに2度インタビューしています。
アジアフォーカス・福岡国際映画祭2009年『難民キャンプ』 シネマジャーナル77号に掲載
東京国際映画祭2012年『沈黙の夜』(最優秀アジア映画賞) シネマジャーナル86号に掲載

報告:景山咲子

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