SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2024 最優秀作品賞(グランプリ)に輝いた『日曜日』。
監督インタビューの掲載がすっかり遅くなりました。
北九州国際映画祭2024でオープニング上映されます。
2024年11月1日(金)18:00~
ショキール・コリコヴ監督も登壇します。
https://2024.kitakyushu-kiff.jp/
『日曜日』 原題:Yakshanba
監督:ショキール・コリコヴ Shokir KHOLIKOV
ウズベキスタンの村。山裾に佇む広い中庭を囲む家。
日曜日、老夫婦が車で家に帰ってくる。煙草にマッチ2本で火をつけながら運転する老人。老婦人は風車を手にしている。中庭の縁台で寝そべる老人。老婦人は、レンジに火をつけようとするがマッチがない。お隣が貸してくれたライターで火をつける。食事も終わり、夫と縁台でくつろぐ老婦人。茶碗を差し出しても、お茶を入れてくれない夫。それどころか、少し遠くのテレビのチャンネルを妻に変えさせる夫。
翌週の月曜日。近くに住む長男がやってくる。「家を建て直せば、遠くにいる弟も帰ってきて結婚するのに」と諭す。マッチ不要のガスレンジを長男が手配する。うまく着火できなくて、髭や顔に火傷を負ってしまう老人。
翌週の火曜日。老夫婦はささえあって泥を踏んで、壁の補修をする。明日からテレビがデジタルに変わるからと長男が新しいテレビを持ってくる。チャンネルを変えろと夫に言われるが、リモコンの使い方がわからない老婦人。
翌週の水曜日。お湯を沸かして、羊の毛を染める。新しい冷蔵庫が届く。
翌週の木曜日。縦糸を張って、絨毯を織り始める。絨毯の仲介屋が現金の代わりにカードを老婦人に渡す。夜、夫にテレビのチャンネルを変えろと言われ、そろっとリモコンを渡す老婦人。
翌週の金曜日。老人は身なりを整え、知り合いの結婚式に出かけていく。留守中に長男が来て、勝手に車を知人に譲ってしまう。帰宅して、「なぜ家も売らなかった?」と怒る老人。
翌週の土曜日。老婦人が風邪を引いて寝込んでいる。妻に代わって絨毯を織る老人。
翌週の日曜日。小雪がぱらついている。家の改築作業が進んでいる。老人が煙草に火をつけようとするがマッチが1本しかない・・・・
https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl10.html
◎ショキール・コリコヴ監督インタビュー
― Xush kelibsiz(ようこそ) 私がウズベキスタンに旅をしたのは、1986年のことで、まだソ連時代でした。タシケント、サマルカンド、ペンジケント、ブハラ、ヒヴァに行きました。
映画で刺繍の飾り布であるスザニや縁台(タプチャン)など、ウズベクらしさを楽しみました。一方で、新しいテレビやビデオ通話ができる携帯などになかなか対応できない老人と息子世代の関係が描かれていて、これはどこの国でも、ありえる話だと思いました。
リモコンになってもテレビのチャンネルを妻に変えさせたり、お茶も入れてあげなかった夫が、妻の具合が悪くなって初めて、妻にやさしくして、絨毯まで織り始める姿に、今さら遅いと思いましたが、妻の「何があってもいい人生だった」という言葉にほっとさせられました。
あの世代の男性は、亭主関白で自分では何もせず奥さんにやらせるのでしょうか?
監督:あの世代だけでなく、私の兄は祖父に似た性格です。ウズベクだけじゃなく、トルコ系の言葉を話す地域では、今も男性の多くはあんな感じです。若者には、もちろん色々なタイプがいますが。
― 監督はご結婚されてますか?
監督:はい、娘もいます。妻には、絶対に言葉で「愛してる」とは言いません。シャイというわけではないです。「愛の五種類」という本を読んだことがあります。行動で見せて言葉で言わない人、言葉でいう人、行動も言葉でも表さないけれど自分たちで愛し合っているとわかっているケースなど、愛の形は様々です。ロマンチックに「愛してる」と言葉で言わなくても、愛は存在します。(と、静かに語る監督でした。)
― 脚本は監督の祖父母の性格をモデルにして書かれたとのことですが、演じたお二人が、まるでほんとうに長年連れ添った夫妻のようでした。どのような俳優さんなのでしょうか?
監督:二人ともプロの俳優です。祖父の性格をモデルにしましたが、あの俳優さんも同じ性格なのでアテ書きしました。 おばあさん役の方も、私の祖母と似た性格です。話してみたら、家庭環境が同じでした。夫と息子の間に自分が入って調停役をしていると言ってました。撮影現場では、ほんとに50年連れ添った夫婦のようでした。
― 撮影地は、ジザクのザミン(ゾミン)地区ピシャガルとのことですが、 あの家とまわりの環境が素晴らしかったです。あの場所を見つけるのに9か月くらいかかったそうですね。(ザミンは同国最古の自然保護区)
監督:私の出身のスルハンダリョ(スルハンダリヤ)も自然環境が似ています。実際に老夫婦が住んでいる家を借りました。25日間の約束でしたが、雨が降ったりしたので、実際撮影したのは、そのうちの10日間でした。
― 撮影はわずか10日間で、10月下旬に行われたとのことですが、最後の雪の場面は、雪が降るのを待って撮ったのでしょうか?
監督:ほとんど秋である10月に撮影したのですが、最後の雪の場面は、初雪を待って、降ったと聞いて、クルーを連れて飛んでいって撮りました。日曜日から始まって、全部で8週間の物語です。
― マッチで始まり、マッチが象徴的に使われていました。今では、マッチはもうほとんど使わなくなっているのでしょうか?
監督:田舎では、今も100%使ってます。
― 監督はソ連崩壊後のお生まれですが、KHOLIKOVさんという名前にもソ連の名残があります。
映画の主人公の老夫婦は、ソ連時代を知る世代。 ソ連時代と、独立後の違いなど、その世代の方からどのようにお聞きになっていますか?
監督:キリル文字は使ってなくて、今はラテン文字です。今の世代は、ソ連時代を知らない人が大半です。ソ連時代を知る人の中には、ソ連時代がよかったという人もいます。ソ連時代は宗教を良しとしませんでしたが、独立後はモスクも多く建てられています。苗字はロシアの名残りがありますが、最近、~OVをはずす人も出てきました。
― 私が訪れた40年前のウズベクは、無理矢理ソ連と思いました。
監督:今はウズベク主義で皆、頑張っています。
左は、通訳を務めてくださったウズベキスタン共和国大使館の女性
◎7月17日(水)11:00から映像ホールでの上映後のQ&A
MC:津島令子さん
MC:2度目の上映ですが、前回の観客の反応はいかがでしたか?
監督:前回の上映では、大勢の方から質問をいただきました。作品を気に入っていただけたようで嬉しいです。
★7/14(日)16:30~多目的ホールでの上映後Q&Aレポートはこちらで!
― とても心に残る作品でした。おじいさんの背中の上に何か白い粉を乗せて布をかぶせていた場面がありましたが、民間療法のようでしたが、あの白い粉は何だったのでしょうか?
監督:背中に乗せたのは塩です。この作品の中で、塩は2回出てきます。1回目は背中の上、2回目は、奥さんの具合が悪くなった時に、洗面器に足を漬けていましたが、塩を入れていました。
冒頭、二人が車で家に戻ってきますが、民間療法から帰ってきたのです。毎週、日曜日に民間療法に通っているという設定です。
(★実は、この質問は私が個別インタビューの折にしようと思っていたのですが、Q&Aで最初に手を挙げようと残していたものでした。思わぬ答えを聞くことができました。景山)
MC:二人で泥を踏んでいるのが、とてもいいシーンでしたね。
― 施しのお金をもらいにきた女性がいましたが、どういう女性なのでしょうか?
監督: 老夫婦に許可を求めて家に入ってきたのは彼女だけです。ほかの息子や近所の人は皆、勝手に家に入ってきています。
― テレビに映っていた映像に意味があると思うのですが、特に、一生懸命耕している男性の映像が気になりました。
監督: あれは、ウズベクで有名な映画監督に許可を得て使った映画です。
― キャスティングについて、老夫婦役は、プロの俳優でしょうか?
監督:二人ともプロの俳優です。女性はあまり有名な方でなく、主演は初めてでした。男性は脚本を書いている時から、彼をイメージしていました。
3か月かけて女優さんを見つけました。話してみて、性格が似ていると思いました。映画を観た人たちから、ほんとうの夫婦のようだったとよく聞きます。
― 羊を飼っていて、その毛を紡いで糸にして染色して織っていましたが、売るためのものなのでしょうか? 自分たちで必要なものも織っているのでしょうか?
監督:普段使うものを織っています。売る為でなく、祝日を締め切りにして作っています。
― ウズベクの日常の習慣が新鮮でした。このテーマをどうして選んだのですか? きっかけは?
監督:はっきり言えないのですが・・・ 年寄りの生活に興味がありました。若者より自然。何も求めずに暮らしています。老人夫婦を主人公にしたのは、私自身、祖父母と長く暮らしたことも関係していると思います。若者は自分もモデルにしています。
― 素敵な人生でした。最後のシーン、お祖母さんが出てこないのは?
監督:お祖母さんが出てこないことについては、なぜなのか観客の想像にお任せします。病気で亡くなったのかもしれないし、たまたまいなかったのかもしれません。
― リビングが中庭なのは、ウズベクでは普通のことなのでしょうか?
監督:中庭で過ごすのは普通のことです。田舎では特に今でもそうです。
― マッチの火は2本で擦ればつくというのは、お祖父さんの考え? それともウズベクでは、2本で擦るのですか?
監督:マッチ2本一緒に擦るのはお祖父さんの考えです。
MC:最後にマッチが1本しか残ってなくて、お祖母さんがいなくなったのを暗示しているのかなと思いました。
監督:言葉で説明せずに、見て判断してもらおうという意図でした。
◆1回目の上映(7/14)のQ&Aより抜粋
「私の短編映画がフランスの映画祭で賞を獲った後、国から10万ドルの予算をもらうことができました。しかし長編映画を製作するにはかなり少ない予算です。それで同じ家の中で最初から最後まで撮影できる脚本を書きました。老夫婦のモデルは私の祖父母ですが、生活ではなく二人の性格をモデルにしています。脚本には2年かけていて、ここで起こる出来事や暮らしは様々な場所で私が見たり聞いたりしてきたことです。私自身も息子のキャラクターのモデルになっています。年老いた両親にはできるだけ便利なものを買ってあげたいと思いますし、実際に両親が賛成してくれるのであれば贈るようにしています」
「ウズベキスタンでは、一週間は日曜日に始まり日曜日に終わると考えられています。人生の始まりも終わりも日曜日、8の字のように永遠を表すマークをイメージしました。人生を歩むということは曜日の積み重ね、一週間の積み重ねであるという哲学的な意味も含まれています」