第36回東京国際映画祭 コンペティション部門
『ペルシアン・バージョン』 The Persian Version
監督:マリアム・ケシャヴァルズ
出演:レイラ・モハマディ、ニユシャ・ヌール、カマンド・シャフィイサベット
2023年/アメリカ/ 107分/ カラー/英語、ペルシャ語
*ストーリー*
1967年にイランからアメリカに仕事のために渡った両親のもとに生まれたレイラ。1979年、イラン革命。アメリカ大使館人質事件で、両国の関係が悪化し、一家はアメリカでの定住を決める。兄8人が徴兵を心配してイランに行けない中、レイラはアメリカの音楽を隠し持ってイランを行き来する。父が入院し、家に1人残った祖母の世話を頼まれたレイラは、祖母から母たちの過去を聞かされる・・・
祖母、母、そして娘の3世代の女性の辿った人生をユーモアを交えて描いた自伝的物語。
★さらに詳しいストーリーは、末尾に掲載しています。
★2023年10月29日(日)10時からの上映後のQ&A @丸の内TOEI も、インタビューの後に掲載しています。
公式サイト:https://www.sonyclassics.com/film/thepersianversion/
マリアム・ケシャヴァルズ
ニューヨーク生まれのイラン系アメリカ人監督。2011年のサンダンス映画 祭で上映された“Circumstance”で監督デビューし、観客賞に輝いた。3作目となる本作は、2023年のサンダンス映画祭米国ドラマティック・コンペティション部門観客賞とウォルド・ソルト脚本賞を受賞。サンダンスでは観客賞を2度受賞している。
◎マリアム・ケシャヴァルズ監督インタビュー
監督の胸元には、ペルシア語で 「darya(海)」という文字の金のペンダント。
監督にお会いして、まずペルシア語で 「初めてイランを訪れたのが革命の1年前の1978年で、グーグーシュの曲をよく聴いたので懐かしかったです」とお伝えしたら、「日本人はどうしてペルシア語をしゃべれる人が多いの?! あなたで10人目位」 とびっくりされました。 中には、16世紀の詩人の詩を吟じてくれた人もいたと言われたのですが、後日、大学の後輩だったとわかりました。
ここからは、英語の通訳の方を介してのインタビューとなりました。
◆イラン人の誇りを持ってアメリカで暮らしてきた
― 私が革命後にイランを訪れたのは1989年10月で、ホメイニー師が亡くなった直後です。革命前と180度変わったイランでしたが、イラン人の家に行くと、アメリカの音楽や、アメリカにいるイラン人が作った曲をかけて、踊っていました。政府が禁止しても、ちゃんと入ってくると言われました。今のようなネット社会じゃないのに、劇中のレイラさん、つまり、監督のような運び屋がたくさんいたのだと思いました。
監督:確かにそうですね。政府がすべてコントロールしようとしても、文化は管理しきれるものじゃありません。制限されても情報交換もできたし、音楽も隠し持ってイランに入ることができました。人の人生はコントロールできません。 映画の最後にシンディ・ローパーの曲をペルシア語版で歌って踊っているように、英語版で持って行ったものも自分たちのものにして、皆、楽しんでいました。
©Yiget Eken. Courtesy of Sony Pictures Classics.©Sony Pictures Classics
― いろいろな事情で、イランを離れた人たちも、ペルシアの伝統文化に誇りを持っていると感じています。
監督:私はアメリカで生まれて、ニューヨークに住んでいたけれども、初めて耳にしたのはペルシア語ですし、家の中ではペルシア語で話し、ペルシア語の学校に行きましたので読み書きもできます。料理もイランのもので育ちました。アメリカにいながら、イラン人としての誇りを持ちながら暮らしてきました。80年代にはアメリカ大使館人質事件もあって、イラン人であることが難しい時期もありました。殴られたりするので、アメリカに適応する名前に変えたイラン人も多かったのですが、我が家では、ホセインとかモハンマドといった名前を決して変えませんでした。殴られたら、自分で自分を守るように育ちました。
イランの文化と共に育ちましたが、多くの兄弟のうち2人だけイラン人であることを拒否して、ペルシア語を学びませんでした。皮肉なことに2人はイラン人と見られたくなかったのに、イラン女性と結婚しました。ようやくイラン人であることのアイデンティティを受け入れたのですが、子どもにペルシア語を教えられないので、一緒にペルシア語を習っています。私はイラン人女性としてのアイデンティティがあるから、あえてイラン人と結婚する必要もありませんでした。
― アメリカでイランのイメージが悪くて、つらい思いもされたことがあったことも含めて、監督のイランの文化的背景がこの映画を作る原動力になったのでしょうか?
監督:もちろん自分の育った環境もあって映画を作ったということもあります。イランに誇りを持って育ってきました。厳しい時代もあって、嫌な思いもしましたが、それでも誇り高いイランの伝統と文化を背負って育ってきました。アメリカではイラン人を世の中から消してしまうかのような風潮で、戦争や爆弾テロなどメディアがその面だけを出してイランを悪役のように描きました。そこに輪をかけてトランプ政権は他国籍を受け入れませんでした。そういうアメリカでも自信をもって育ちましたし、母親もまさにイラン人としての自信を持って暮らしていました。自分のアイデンティティを持って生きることができることを描きました。
◆13歳の自分を演じた少女に会って、言葉を失った母
― 『ペルシアン・バージョン』は、ほぼ本当の話とのことですが、なにより13歳で結婚したお母様の話がすごいと思いました。アメリカに来てからも資格を取って不動産業で成功されました。長年イランと関わってきて、イランの女性は強いと感じているのですが、まさに強い女性だと思いました。
お母様は、この映画をご覧になって、どのようにおっしゃいましたか? 製作中から、お母様のご協力はあったのでしょうか?
監督:前から自分の家族の話を書きたいと思っていたのですが、母から家族の話は恥になるから書いてほしくないと、ずっと言われていました。ですが、父も祖母も亡くなって、気が付いたら一番の長が母親で、もう書いていいわよと言ってくれました。兄たちからも、母が許したならいいと言われました。ストーリーを書いていく上で、母にインタビューもしました。母役の女優ニユシャ・ヌールさんも、母にインタビューしました。それでも、インタビューで母の人生の全部がわかったわけではありませんでした。
母は、トルコにリハーサルを見に来てくれました。積極的な人で、決して静かな人ではないのに、食事をしているときに、すごくおとなしくしていました。母は、13歳の時の自分の場面のリハーサルを見て、自分が結婚した時は、こんなに若かったのだ、あの時は生き延びるのに必死だったけれど、どれだけ幼い時に大変な経験したのかということを初めて認識して、声が出なかったようです。 実は、13歳の母の役をキャスティングするときに、13歳という年齢とイラン人じゃないと母の思いは伝わらないと思っていました。母が完成した映画を観てくれた時、私はドキドキしてナーバスな気持ちになったのですが、母が認めてくれてほっとしました。
― 若い時のシーリーンを演じたカマンド・シャフィイサベットさんについて教えてください。
監督:私の祖父は、シーラーズで一番大きな書店を経営していて、カマンドさんのお父さんが、まだ学生の頃に専門書を買いによく来ていました。北のほうから来た学生で住むところがないというので、祖父が本屋の裏にあるアパートの部屋を貸してあげたのですが、その頃から知っていて、その後、結婚して娘が二人生まれたのも知っていました。 今回キャスティングしたのは、次女の方です。ご両親から時代背景も聞いて、撮影に臨んでくれました。 本屋は、今は叔父が経営しています。
◆次回作は、母を演じたニユシャ・ヌールさんの脚本で!
― 大人になった母シーリーンを演じたニユシャ・ヌールさんについて教えてください。
©Yiget Eken. Courtesy of Sony Pictures Classics.©Sony Pictures Classics
監督:母シーリーンを演じたニユシャ・ヌールさんは、素晴らしい女優です。父親が有名な撮影監督なので、本名だとすぐに娘だとわかってしまうので、ステージネームを使っています。13歳の時にアメリカに移民してきました。映画の中のダンスは全部彼女が振り付けてくれました。劇中で歌も歌っています。楽器も3種類位演奏出来る方です。子どもを産んだことはありませんが、いかにも子どもを産んだ母親だという風に演じてくれました。
とても有能な方で、ヌールさんは脚本も書かれます。次回作は彼女の書いた『ブルーフラワー』という脚本で撮る予定です。彼女の初恋の物語で、2つの時代のラブストーリーです。
― 次回作を拝見できる日を楽しみにしています。もっと聞きたいことがあったのですが、時間が来てしまいました。今日はどうもありがとうございました。
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このほか、主役レイラを演じたレイラ・モハマディさんや、イランにルーツを持つ人たちを世界各地からキャスティングされたこと、そしてトルコのマルディンを撮影地に選んだことについてもお伺いしたかったのですが、時間が来てしまい残念でした。
『ペルシアン・バージョン』は無冠に終わりましたが、TIFF Timesの星取り表では、1位でした。ぜひ公開してほしい作品です。
取材:景山咲子
『ペルシアン・バージョン』
2023年10月29日(日)10時からの上映後のQ&A @丸の内TOEI
ゲスト:マリアム・ケシャヴァルズ(監督/脚本/プロデューサー)
MC:プログラミング・ディレクター 市山尚三
(残念ながら、取材できませんでしたので、公式サイトのYouTubeから文字起こししました。)
監督:2時間も私の家族とともに過ごしていただいて、皆さん、大丈夫でしょうか?
この度は、お招きありがとうございます。初めての来日で素晴らしい経験をさせていただいています。
市山:今年1月のサンダンス映画祭で観て、素晴らしい作品でした。招待して東京で皆さんにお見せできるのを嬉しく思います。ご家族のお話ということで、どの程度フィクションが加えられているのか背景を教えてください。
監督:(笑) ほとんど真実ですが、残念ながら母は時間を止めることはできません。映画の中で子どもが生まれるシーンがあって父に会える形にしていますが、24歳の時に父は亡くなりましたので、実際には私の娘に父は会っていません。映画では8人の兄がいますが、ほんとうは7人です。3世代の女性を描いていて、いろいろな側面から皆さんご覧になったと思いますが。それぞれの女性の物語があって、その中での真実があって、私が映画を作る中から真実が見えてきたということもあります。
― (男性)楽しい映画をありがとうございました。イランの家族をアメリカで描くということで、アメリカで作るという点でエピソードがありましたら教えてください。
監督:アメリカで作ることができたのは、それこそ奇跡だと思っています。アメリカでイラン人はテロリストと思われているところがあって、全然真実とは程遠いと思っています。私の家族や伝統を見せることで、イラン人は決してそうではないということを皆さんにわかってもらえればと思って作ったということもあります。2つの国、2つの言語を入れて作りました。プロセス自体大変でした。前から家族の物語を書きたいと思っていたのですが、母から家の恥になるから駄目だと言われていました。父が亡くなり、祖母も亡くなり、母が長老になってようやく書いていいと許可がおりました。子ども時代と違って、シネマというものがずいぶん変わってきました。バイカルチャーのものが何本か上映されて受け入れられてきて、道を作ってくれたと思います。
― サラーム。ようこそいらっしゃいました。 (ここまでペルシア語で、この後は英語で。イランの男性の方) もう少しイランがみられると思っていたのですが、ロケーションについてお聞かせください。
監督: 私の家族はイランのシーラーズから来たのですが、ニューヨークにもシーラーズのコミュニティがあります。シーラーズ自体、近代化して、昔の雰囲気が薄れています。古い地域を再現するのが難しい。くねくねした道や、映画の中の広場も、見つけるのが難しくなっています。
60年代に家族がアメリカに移民したので、祖父が故郷を忘れないようにと8mmをたくさん送ってくれていました。小さいころに見ていましたので、同じような雰囲気のところで描きたいと思っていました。最終的に出来上がったものをみて、母もかなり驚いていました。小さいときに育った環境に似ていると。父が医師として派遣された村の場面は、トルコのクルド人の住んでいる村で撮影したのですが、両親がいた頃の当時の写真がまったくなかったので、聞いた話から想像して撮影しました。20世帯位しかいない小さな村で、小さな少年が山の上まで羊を追っていくのですが、一緒についていったらどれだけハードなのかわかりました。撮影した村まで行くのも大変だったので、大都会との違いを描けると思いました。
― (女性)イランでは女性が差別されて自由がないという立場で、過去40年の女性の権利を求めるムーブメントがありますが、女性監督としてどのようなところが大変だったか教えていただけますか?
監督:ナルゲス・モハンマディさんがノーベル平和賞を受賞したのは、ほんとに素晴らしいし尊敬しています。
ムーヴメントはすぐにできるものじゃない。何年も何年も自分の信じている道を貫いてきたのです。
私が作ってきた映画には、必ず女性が中心にいます。イランの中で、女性が自分のやりたいことをやるのが難しいことは映画でも描いてきました。私も自分の母や祖母からも話を聞いてきました。今のイスラーム主義の中で、女性が学校に行くのが難しい(★注)けれど、母もそうでしたが、学校に行きたい。自分の信じていることを貫きたい。どういう風にイランの女性のことを思っていらっしゃるかわかりませんが、イランの女性は非常に強いです。なかなか諦めないのがイランの女性だと思っています。
イランの中で自由がない中でなんとか変えていきたいという気持ちがあります。13歳の母の役を演じたイランの女の子をビザを取ってサンダンスに連れてきたのですが、「アメリカに残りたい?」と聞いたら、「イランに戻って、なんとか物事を変えていきたい」と強い意志がありました。それがイランの女性なのだなと思いました。
(★注:イスラーム政権になって、農村部などでは、かつて男女共学の小学校に行かせるのが心配だったけれど、男女別学になって、安心して通わせることができるという風潮もあると聞いています。また、革命後、飛躍的に女性の大学進学率が伸びて、文科系だけでなく理科系でも女性の占める率が6~7割という状況が続いています。景山咲子)
― (英語でイラン人男性) ノスタルジックな場面がたくさんあって楽しみました。一つ、イランの詩が出てきたところに、日本人のお客様にわかるように字幕があれば、もっと素敵だと思いました。
― (英語でトルコ人男性) 私自身アメリカに移民した人間なのですが、アメリカ人とは位置付けてないのですが、センチメンタルなところを感じましたし、すごく理解できるところがありました。クレジットを見ていたら、いろいろな国の人の名前がありました。トルコの村でロケをしたということで、トルコの人の名前も多かったですが、兄たちもトルコの人たちが演じていたのかなと。
監督:キャストは、母親役はアメリカに移民してきたイラン人、レイラ役は私と同じく移民した両親のもとアメリカで生まれたイラン人女性です。母の若い時の役は、イランから連れてきました。ほかのキャストも、イラン人のエッセンスを伝えたいと思ってヨーロッパやアメリカやカナダからイラン系の人を集めました。映画をアメリカとトルコで撮影しましたので、スタッフにはトルコの人も多かったです。クルーは、今はどこの映画も同じだと思いますが、非常にインターナショナルだったと思います。
― クルド地域で撮影したことで、トルコ政府から問題になりませんでしたか?
監督:トルコのクルドの村で撮影しましたが、そうとわかるようにしませんでしたので問題はありませんでした。
市山:ほかにもたくさん手があがっていましたが、時間になりましたので、これでQ&Aを終わらせていただきます。
『ペルシアン・バージョン』
*ストーリー*
ほとんどほんとの話
ヘジャーブ姿で濃い化粧をする女性レイラ。
なんと、下は、ピンク系の水着。サーフボードを持って出かけた先は、仮装パーティー。
歴史に翻弄された人生。故国イラン、パフラヴィー国王から、ホメイニー師に。
兄8人に娘一人。兄たちと違って、女には兵役がないので、アメリカとイランを行き来したけど、80年代、アメリカではイラン人はテロリスト扱い、イランではムスリマたちから異端視され、どちらにいても板挟み状態。
政治と科学では垣根があるけど、芸術なら大丈夫。脚本家になる!
1985年、イランは恋人だったアメリカを封印。私は、運び屋として活躍。マイケル・ジャクソンなどのカセットテープを下着の下に隠してイランに持ち帰った。空港のチェックで危ながったことも。持ち帰ったカセットテープをかけ、皆で踊った。
2000年代、ブルックリン。
スーパーマーケットで、離婚した同性婚の相手と会ってしまう。
父マジッドが心臓移植の手術を受けることになり、ニュージャージーへ。
母から、おばあちゃんを家に一人残してきたから、面倒を見てほしいと頼まれる。
シーア派ムスリムの救世主イマームザマーンに息子の無事を祈るおばあちゃん。
信心深いおばあちゃんが奇跡を呼び寄せた。父、無事手術を終える。
おばあちゃん、脚本家の孫娘レイラに、おじいちゃんは詩人だったと話す。
両親がアメリカに来た理由を知ってる?
1967年、ベトナム戦争で医者が不足して、アメリカがイランから医者を呼んだ。
1979 年、イラン革命で帰れなくなった。
実は両親は、スキャンダルがあってイランから逃れてきたのよ。
レイラ、乳がんを疑って病院にいくと、妊娠していた!
あの仮装パーティーの夜、ドラッグクイーンと寝たのを思い出す。
レズビアンが妊娠なんて!
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の看板
ドラッグクイーンに会いに行くと、「連絡を待ってた。いつぶり?」と聞かれる。
「12週間ぶり」
「ずいぶん具体的ね」
「妊娠中期に入った」
明日のお昼、ニュージャージーで家族とランチをするというと、「ぜひ行ってみたい」とドラッグクイーン。
*****
母シーリーン、90年代、移民女性として成功を収めた。
不動産業で、移民をターゲットにして、セールストップに。
まわりは、移民に?と言っていたが、可能性を信じていた。
母、勉強ができたのに13歳の時、結婚する。夫は17歳。
2人でグーグーシュのコンサートへ。
「君はグーグーシュと同い年」と夫にいわれる。
(★注:グーグーシュ:1950年生まれ。革命前、国民的歌手だったが、革命後、女性の歌手は禁止されて活動できなくなった)
卒業したてで医者になった夫。
結婚後 辺鄙な村へ赴任する。
一番近いバス停からロバで一日かかる村。
料理は絶品。ソフレ(食布)にたくさんの料理が並ぶ。
村で唯一出来た友、ロヤ。
36歳だが、30歳の時に大学に戻ったという。
「今からでも遅くない」とシーリーンに語る。
2年後、夜中に夫が患者のところにいかなければと出かけていく。
妊娠して大きなお腹をかかえたシーリーンが後をつけていくと、ロヤのところでお腹の大きな彼女を診察している夫。
一人で町に帰り、女の子を産むが死産。アレズー(希望)と名付ける。
一方、ロヤがお産で亡くなったから、代わりに母乳をあげてほしいと夫が男の赤ちゃんを連れてくる。
ヴァヒドという名前。 いつか女の子を産むと誓うシーリーン。
*****
レイラ、赤ちゃんを産む。女の子。アレズーと名付ける。
母、「なぜその名前に?」と涙。
母と祖母、そして強い女たち、イランの女性たちに
皆でモスクの中庭で踊る
♪ 女の子だって楽しみたい♪
まとめ:景山咲子