『マリアム エヴィーン刑務所に生まれて』
監督:マリアム・ザレー
2019年、95分、ドイツ語、ペルシア語、フランス語、英語/英語・日本語字幕付
本作の監督であるマリアム・ザレーは、ドイツで女優、そして作家として活躍している。政治犯が収容されるイランのエヴィーン刑務所で生を受けたザレーは、監督としてのデビュー作で、自身の誕生にまつわる状況を明るみに出す。1979年のイラン革命により王政を打倒すると、最高指導者ホメイニーを頂点とするイスラーム体制となる。政治的に対抗する数万人の人々を逮捕、殺害させた。逮捕された囚人の中には監督の両親も含まれていた。この迫害と刑務所での体験は、家族の間でも語られることはなかった。ザレーは、長年の沈黙の壁を破り、カメラを通じて自身の誕生の場所とその状況に切迫する。
1991年、ドイツ、フランクフルト。マリアムが小学校2年生の時の映像。
母ナルゲス、25歳。大学院で心理学を学びながら働いている。
事情があって一緒に暮らせないイランにいる父に送ったビデオメッセージ。
当時、父35歳。
映画の役で、黒づくめのヘジャーブ姿のマリアム。
「こんな姿で逃れてくる難民はいないと監督に反論したのに、親がイラン人というだけで、こんな格好にさせられる」と笑うマリアム。
刑務所で生まれたことは、母が公に語ったことしか知らない。
市長選への出馬をフランクフルト中央駅で宣言する母。
「1985年、クリスマスイブに、2歳の娘を抱いて、ここフランクフルト中央駅にたどり着きました。クリスマスで店が閉まっていたけど、町の人がやさしく迎えてくれました。ドイツ政府は政治亡命を普通に受け入れてくれました」
逮捕された時、妊娠していた母、刑務所で、メス犬、売春婦などと言われた。
刑務所で一緒だった母の親友マリアム。今はパリでセラピストをしている彼女に話を聞きにいく。
「雑居房に、40~60人いた」
「生まれたときには、皆があなたを歓迎した」
「話さないのは、あなたを思うから。いい思い出だけを残したいのよ」
政治犯の遺児には、ほとんど取材を断られた。唯一、電話で話した女性も、「やっぱり無理。暗くなる」と、結局断られた。
政治犯の為の会議がハノーヴァーで開催され、参加するが警戒された。
イラン政府が全世界に諜報員を送っているから。
母と昔話ができない。この映画を作ることを話したら、感動してくれたけれど、なかなか話そうとしない。
王政打倒で闘った母。革命運動の中で父と知り合う。
でも、皆が望んだ自由な社会にならなかった。イスラーム政権となり、1983年、反体制派として母も父も逮捕される。死刑囚だった父は、7年の刑期で釈放された。
マリアムだけ1歳の頃、先に釈放されて、祖父母と暮らしていた。
父の姉がパリにいて、夏はいつも一緒に過ごした。
うっかり口をすべらせた伯母から自分が刑務所で生まれたことを知った。
親の世代の思いを知りたい。
第二世代の子どもたちが知らない事実が多い・・・
イランで革命が起こる直前の1978年5月に初めてイランを旅しました。旅人には反体制派の動きはわからず、平穏なイランでした。その後、あれよあれよという間に、革命のうねりが大きくなって、1979年2月に王様が追い出され、革命成就。王政打倒で様々な考えの人が闘っていたのですが、気がついたらイスラーム体制になっていたという次第。
1989年に11年ぶりに訪れたイランは、王政の頃と180度変わった社会になっていました。
王政の頃にも、秘密警察がいて、多くの反体制派の人たちが政治犯として捕まり処刑されていたので、そういう面は変わってないのが皮肉です。
革命後、アルメニアやアッシリアのキリスト教徒の人たち、ユダヤ教徒の人たちなどムスリムでない人たちをはじめ、イスラーム体制に息苦しさを感じる人たちが数多くイランを離れ、その数、800万人とも言われています。イランの人口の1割です。
映画の最後、母ナルゲスが15歳の時に父から譲られた蔵書をマリアムに見せます。大切なことが書いてあると。ページを開いて占いをしたので、ハーフェズ詩集だと思います。 イランを離れても、イラン人の心を忘れずに生きていることを感じさせてくれました。(咲)
◆マリアム・ザレー監督Q&A
11月20日(土)18:00からの上映後、リモートで開催されました。
MC:マリアムさんは、俳優としてこれまで数々の作品に出ていらっしゃいまして、今回のドイツ映画祭でも、『未来は私たちのもの』『システム・クラッシャー 家に帰りたい』にも出演されています。また、これまでに日本でも公開された『水を抱く女』などに出演されています。現在のドイツ映画界で活躍されている女優でもあります。
*観客からの質問*
― 映画が公開後に、さらにお母様と話をされましたか?
監督:母は制作プロセスに当初から深く関わってくれました。制作する意味や、テーマの持つ重要性や意義についてなど、いろいろな話を母としながら出来上がった映画です。
2019年、ベルリン映画祭でのプレミア上映の時もその場にいました。その後、各地の映画祭で上映される時にも、ついてきてくれました。どこまで自伝的部分について、母とどこまで深く話したかは私の心の内にとどめておきます。映画という媒体を使って語ることと、自分だけの領域を区別したいと考えています。いろいろなコミュニケーションの形があって、言葉を介したこともあれば、感情のレベルなどいろいろな交流がありました。そのプロセスをどう扱うかが、映画人としての私の姿勢です。
― 多くの人に取材する中で、一番印象に残った人は?
監督:映画を作るのに6年かけました。120時間の素材から97分に出来上がったので、サイドストーリーがたくさんあります。6年間、多種多様な経験をしました。たくさんの方との出会いがありました。政治的に活動している人、人道的に重要な人、感情面でもいろいろな出会いがあって、心から感謝しています。40か国で上映して、観客の方とも交流しました。一人を選ぶことはできません。一人一人がパズルのピースのようになっていて大事です。
上映後のトークで自分と重ね合わせて話してくださる方もいました。親が刑務所にいたという方も。それを聞くたびに心を打たれました。ボスニア、トルコ、ポルトガル・・・どこにいっても、共通点や個人的な体験を語ってくださる方がいました。イランという私の特定の国における経験に共鳴して語ってくださったことに感動を覚えています。
― 監督作品を通して得られた経験は、私生活や表現者としてのあなたにどんな影響を与えてくれましたか?
監督:映画を制作したことは、私のこれまでの人生において最も意義のあることでした。これだけの長い時間をかけて集中して、自分の経歴に向かい合ったことはありませんでした。人道にかかわる犯罪を直視したことは私の人生に大きく影響しました。
出演していたシャーラさんも言ってましたが、扉を勇気をもって開けることに意義がありました。その向こうにあるものが何であるかがわかって不安がなくなりました。
俳優としての私は別の営みですが、監督したことによって、演技に対する心構えが少し軽くなった気がします。
― 最初とラストに監督がパラシュートを持つ場面があります。どんな意味がありますか?
監督:語りのレベルとして、連想を持てる余白を入れています。パラシュート、水の中の場面、森や家の中の場面など。一方で、ドキュメンタリーとして事実を語っていくのですが、映画という媒体だからこそ加えてできることがあると思いました。それは、皆さんに連想していただけるような手法。詩的なもの、メタファーとしてお見せするレベルのもの。象徴として皆さんに届くにではないかと思いました。とりわけ、トラウマや世代間の葛藤を描く場合、全部を狭い領域でなく、映画というビジュアルにおいて別の語りのレベルを入れ込むことが大事だと思っています。パラシュートの場面もそうです。これでほんとに命が助かるの?と、ユーモアも交えて描きました。一人一人何かを感じ取っていただければと思います。
― 偶然のような必然の出会いでストーリーが進んでいきますが、見えない糸に導かれたと感じた瞬間はありますか?
監督:運命的なものは確かに何かしらあって、謎めいたものです。いろいろなことが絡まりあっていくのは知識として説明できないことだと感じています。あえて理解しないようにするところに、より深いものが得られると思います。
― 監督が読んだ本で影響されたものは? また私たちに薦めたい本は?
監督:今、本棚の前に座っていますが、ちょっと考えてみます。
12世紀のペルシアの詩人ルーミーの作品はお薦めです。(日本語訳がありますと会場から)
映画のリサーチの一環で大事だった本は、ジョセフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」です。人間が何千年も前から語り継いできた神話が、構造的にどう語られて続けてきたかを解き明かした本です。
― 6年間取材してきた中で、これで映画ができる!と思った発言や出会いは?
監督:映画は資金繰りができないと完成しませんので、最初に助成金が出るとわかったときには、実質的に映画ができると思いました。気持ち的に、かなり最初の方で、私はこの映画を作らないといけないと思った瞬間はありました。どういう風に作り上げるかは考えていない段階で、確かな気持ちを持ちました。
― マリアムさんと同じような状況にある子どもたちにメッセージをお願いします。
監督:(しばらく考えて)人生は時にはとても困難なこともありますが、素敵なこともたくさんあるし、贈り物を得られる時もあります。決して人生を怖がらないでほしいです。必ず、贈り物が得られると信じています。愛は必ず勝利します。
― 今後も監督作を作っていくご予定はあるのでしょうか?
監督:次回作を準備中で、脚本を書いているところです。今度は12~13歳の子どもが主人公のフィクションです。
*マリアムさんの監督次回作、そして出演次回作を楽しみにしたいと思います。
マリアム・ザレー
1983年テヘラン生まれ。フランクフルト・アム・マインで育ち,バーベルスベルク映画大学で演劇を学ぶ。最近では,ドラマシリーズ『4 Blocks』(Marvin Kren監督,2017),映画『未来を乗り換えた男』(Transit, クリスティアン・ペッツォルト監督,2018)および多数の劇場で俳優として活躍している。また,俳優業の傍ら,作家および監督としても活動している。2017年には,劇作『Kluge Gefühle』により,ハイデルベルク演劇祭シュトゥッケマルクトで作家賞を受賞し,2018年には『4 Blocks』での演技により,グリメ賞を受賞。初監督作品である『マリアム エヴィーン刑務所に生まれて』は,2019年のベルリン国際映画祭でプレミア上映され,パースペクティヴ・ドイツ映画部門Compass-Perspektive賞を受賞した。また2020年のドイツ映画賞でドキュメンタリー部門受賞作品。
ドイツ映画祭 HORIZONTE 2021 『オライの決断』 監督Q&A (咲)
『オライの決断』
監督:メフメト・アキフ・ビュユックアタライ
出演:ゼイジュン・デミルオヴ、デニズ・オルタ、ジェム・ギョクタシュ、ミカエル・バイラミ、フェルハット・ケスキン、ファリス・ユズバシュオール、カイス・セッティ
2019年、101分、ドイツ語・トルコ語/ドイツ語・日本語字幕付
*物語*
ドイツ、ハーゲンの町。
オライは、妻ブルジュと喧嘩し、留守電に「タラーク、タラーク、タラーク」と3回言って切る。この言葉を3回言ってしまっては、離婚することになってしまう。ブルジュのところに行って、「留守電を聞かないでくれ」と言うが、返事はない。
オライは、モスクの聖職者ビラルに「タラーグと3回言ってしまった」と相談に行く。
「3か月別居しろ」と言われ、オライは、ケルンの友人のところに行く。ケルンのイスラームコミュニティで居場所を見出し、リサイクルの仕事にも就く。そんなある日、妻が突然オライのところにやってくる。優先するのは妻への愛なのか、信仰なのか、オライは決断を迫られる・・・
「塀の中も外も同じ。どちらにいても何かに束縛されているが、イスラームで解放された」という冒頭の場面で、オライは刑務所にいたとわかります。
「更生施設では更生されなかったけれど、イスラームが自分を更生させてくれた」とも語っていて、信仰によって自由になれた人物を描こうとしていることが、まず伝わってきました。
結婚式の場面が出てきて、踊っている中には、スカーフを被った女性もいれば、肌を出したドレスの女性もいます。オライの母親もローズピンクの派手なドレスで肌も出していて、ドイツに移民してきたトルコ人も、イスラームに対する考え方が様々であることがわかります。
そんな中で、オライは夜明け前にも、ちゃんと起きてモスクにお祈りに行きます。
少年たちがクルアーンを学んでいる様子も映し出されます。
上映後に、ドイツにいる監督とのリモートQ&Aが開かれ、若い監督がドイツにおけるムスリム移民の中にも様々な人がいることを描きたかったことがわかりました。
メディアで報じられるステレオタイプなムスリムのイメージでなく、自分自身が知っているムスリムの姿を描きたかったと語っていたのが印象的でした。
それにしても、オライが強い女性二人(妻と母)から逃げ出したというのが、逆に女性礼賛になっていて痛快でした。それもまた現実! (咲)
◆メフメト・アキフ・ビュユックアタライ監督 Q&A
11月20日(金)15:20からの上映後、リモートで開催されました。
若くてハンサムな監督。
監督:リモートですが、皆さんとお会いできて嬉しいです。遠い国のあまりなじみのない宗教を巡る映画がどのように受けとめられたのか関心を抱いています。
― なぜ、この映画を作ろうと思われたのでしょうか?
監督: どんな映画製作者、そしてあらゆるアーティストも、誰しも作る一番の動機は個人的なものだと思います。私自身の経験や、私がどのようにいろいろなことを主観的に見聞きしているかを観客の皆さんと分かち合いたいと思ったのが、本作を作った一番の動機です。そこに、政治的な意味もあります。メディアで一般的に報じられているステレオタイプ的なムスリムのイメージがありますが、違和感を覚えていて、私の知っているムスリムの実体が反映されていないと感じているからです。報道されているものと違うものを見せたいと思いました。だからといって、広まっているイメージに闘いを挑むのではなく新しいイメージを見せたいと思いました。
― タラークという言葉について教えてください。また、離婚した後に、同じ相手と再婚することは可能でしょうか?
監督:「タラーク」は、直訳では「突き放す」という意味です。イスラームにおける離別の言葉です。ただし、どの国に住んでいるかで解釈が違ってきます。トルコではタラーク3回で離婚は成立しません。サウディアラビアではいまだに生きています。インドでは最近、タラーク3回での離婚は禁止されました。
タラークを3回言ってしまうと、1回離婚して別の人と結婚しないと、同じ人とは再婚できないというのが、伝統的なイスラームの教えです。抜け道はあって、離婚したあと、別の女性と偽装結婚して、3回タラークと言って離婚して、同じ相手と再婚するということもできます。
イスラーム世界は広いので、解釈は多種多様です。インドネシアとヨーロッパの中のボスニアのムスリムでは全く違います。 タラークといえばこれですという決まった解釈はありません。この映画の中でも、ハーゲンとケルンでさえ解釈が違います。
― オライが市場でコソボ出身の青年と知り合い仲良くなりますが、ムスリムどうしで自然に友達になれるのでしょうか? 宗派の違いは関係なく親しくなれるのでしょうか?
監督:映画の中でのオライと若者の友情は、二人がイスラーム教という共通項があったからでは必ずしもありません。二人とも差別を受けているどうしで結ばれている友情ともいえます。
若者はロマで、ヨーロッパのロマの人たちは差別されているので、ロマどうし強く結ばれています。
イスラームにもいろいろなグループがあって、友好的な関係になる場合もあれば、対立して内戦にまで発展することもあります。宗教以外に、政治やいろんな要因で考えが違ってきます。これがイスラームだというイスラームはないのです。世界には、16億のイスラーム教徒がいて、私もムスリムですが、両親にとってのイスラームとも違います。それこそがイスラームの特徴だといえます。もともと、教会の絶対的な権威に抗うために生まれたのがイスラームです。自分なりの解釈で、自分と神との関係を結ぶことができるという思いでできたのがイスラームです。自由であるという一方で、解釈があまりに多様なために、それがマイナスの方向にいってしまって対立を生むこともあります。
― トルコ系ドイツ人の映画では、ドイツ社会に溶け込んだ人たちを描いた映画もあります。
疎外感を覚えてイスラームに拠り所を求める人も多いというのが今のドイツでしょうか?
監督:オライはドイツのムスリムの側面を現しています。差別を受けて馴染むことのできなかった人物です。社会的な敗者となったトルコやアラブの人もたくさんいますが、ムスリムだからというわけでは必ずしもありません。貧しさから抜け出せなくて敗者になってしまった人たちです。私の両親は学問を修めて階級をランクアップしました。宗教を拠り所にせず別の向き合い方をしています。一方で、ムスリムだから差別されていると思い込んでる人たちもいます。そういう人たちが、反発し、反抗することでエンパワーしていくということもあります。
― エンディングがオープンでした。オライの決断は、妻のもとに戻るのか、イスラームのコミュニティに戻るのか?
監督:正直言って、脚本を書いているとき、配給会社がイメージしていたようなオライの決断、つまり愛をとるのか信仰をとるのかという二者択一の決断は私の意図ではないと思いました。自分自身の自己像のどちらを取るかの決断です。ハーゲンにいるときのオライは鏡に見出したのは仕事もなく、二人の強い女性に負けている弱い自分。ケルンでは、イスラームコミュニティの中に居場所を見出して、仕事も見つけた強い自分を鏡に見出します。彼は自分自身どちらが自分らしく居られるかを考えて、最終的にケルンでの信仰を選びます。
オライは、なぜこんなに不安になるのか? 男らしさのイメージをどう守るかという危機のようなものを感じているのです。彼が育った家父長制の中で作られた強い男のイメージが、ハーゲンでは強い女性たちに負ける思い。逃げるようにしてケルンに行きました。自分を肯定できるケルンを選びます。ハーゲンの聖職者からは戻ってもOKだと言われていたので、戻ることも可能でした。宗教を巡る決断ではなく、彼の心理を巡る決断です。女性が強くなって、オライはついていけないのです。
― 映画の中で言語が入り混じっていました。現実的なものでしょうか?
監督:演出以上の現実があります。ドイツの移民社会では、もっと多言語で、トルコ語、アラビア語、ロマの言葉、セルビア語・・・と、いくつも交じっているのが現実です。実際、いくつもの言葉が入り乱れています。若者たちはドイツ語に自分たちの言葉を交えて話しているのが日常です。多言語であることが故郷の一つであり、疎外の形でもあります。白人たちは、この中に入ると言葉が通じなくて戸惑います。多言語は豊かなものを生み出しているのが魅力だと私は思います。映画の中で、俳優たちは、それぞれの母語で話しています。
― 映画にはムスリムしか出てこなかったのですが、現実に多数派のドイツ人世界と断絶しているのでしょうか?
監督:分断や溝は、文化間よりも階級間の方にあると思います。知識層と労働者層、その溝の方が大きいです。労働者階級の中にも宗教や文化による違いがありますが、上の階級との分断の方が大きいと思います。この分断や溝はマイナスであるとされていますが、必ずしもマイナスではなく、豊かさの表れではないかと思っています。訪れてみれば、非常に豊かな世界であることがわかるのですが、なかなか入ってみないというのも現実だと思います。
ここで時間がきて、Q&Aは終了。
大きな拍手。
監督:映画をご覧いただき、多くの質問をお寄せいただき、お礼申し上げます。 9000キロ離れていますが、熱は伝わってきました。ありがとうございました。
監督:メフメト・アキフ・ビュユックアタライ
出演:ゼイジュン・デミルオヴ、デニズ・オルタ、ジェム・ギョクタシュ、ミカエル・バイラミ、フェルハット・ケスキン、ファリス・ユズバシュオール、カイス・セッティ
2019年、101分、ドイツ語・トルコ語/ドイツ語・日本語字幕付
*物語*
ドイツ、ハーゲンの町。
オライは、妻ブルジュと喧嘩し、留守電に「タラーク、タラーク、タラーク」と3回言って切る。この言葉を3回言ってしまっては、離婚することになってしまう。ブルジュのところに行って、「留守電を聞かないでくれ」と言うが、返事はない。
オライは、モスクの聖職者ビラルに「タラーグと3回言ってしまった」と相談に行く。
「3か月別居しろ」と言われ、オライは、ケルンの友人のところに行く。ケルンのイスラームコミュニティで居場所を見出し、リサイクルの仕事にも就く。そんなある日、妻が突然オライのところにやってくる。優先するのは妻への愛なのか、信仰なのか、オライは決断を迫られる・・・
「塀の中も外も同じ。どちらにいても何かに束縛されているが、イスラームで解放された」という冒頭の場面で、オライは刑務所にいたとわかります。
「更生施設では更生されなかったけれど、イスラームが自分を更生させてくれた」とも語っていて、信仰によって自由になれた人物を描こうとしていることが、まず伝わってきました。
結婚式の場面が出てきて、踊っている中には、スカーフを被った女性もいれば、肌を出したドレスの女性もいます。オライの母親もローズピンクの派手なドレスで肌も出していて、ドイツに移民してきたトルコ人も、イスラームに対する考え方が様々であることがわかります。
そんな中で、オライは夜明け前にも、ちゃんと起きてモスクにお祈りに行きます。
少年たちがクルアーンを学んでいる様子も映し出されます。
上映後に、ドイツにいる監督とのリモートQ&Aが開かれ、若い監督がドイツにおけるムスリム移民の中にも様々な人がいることを描きたかったことがわかりました。
メディアで報じられるステレオタイプなムスリムのイメージでなく、自分自身が知っているムスリムの姿を描きたかったと語っていたのが印象的でした。
それにしても、オライが強い女性二人(妻と母)から逃げ出したというのが、逆に女性礼賛になっていて痛快でした。それもまた現実! (咲)
◆メフメト・アキフ・ビュユックアタライ監督 Q&A
11月20日(金)15:20からの上映後、リモートで開催されました。
若くてハンサムな監督。
監督:リモートですが、皆さんとお会いできて嬉しいです。遠い国のあまりなじみのない宗教を巡る映画がどのように受けとめられたのか関心を抱いています。
― なぜ、この映画を作ろうと思われたのでしょうか?
監督: どんな映画製作者、そしてあらゆるアーティストも、誰しも作る一番の動機は個人的なものだと思います。私自身の経験や、私がどのようにいろいろなことを主観的に見聞きしているかを観客の皆さんと分かち合いたいと思ったのが、本作を作った一番の動機です。そこに、政治的な意味もあります。メディアで一般的に報じられているステレオタイプ的なムスリムのイメージがありますが、違和感を覚えていて、私の知っているムスリムの実体が反映されていないと感じているからです。報道されているものと違うものを見せたいと思いました。だからといって、広まっているイメージに闘いを挑むのではなく新しいイメージを見せたいと思いました。
― タラークという言葉について教えてください。また、離婚した後に、同じ相手と再婚することは可能でしょうか?
監督:「タラーク」は、直訳では「突き放す」という意味です。イスラームにおける離別の言葉です。ただし、どの国に住んでいるかで解釈が違ってきます。トルコではタラーク3回で離婚は成立しません。サウディアラビアではいまだに生きています。インドでは最近、タラーク3回での離婚は禁止されました。
タラークを3回言ってしまうと、1回離婚して別の人と結婚しないと、同じ人とは再婚できないというのが、伝統的なイスラームの教えです。抜け道はあって、離婚したあと、別の女性と偽装結婚して、3回タラークと言って離婚して、同じ相手と再婚するということもできます。
イスラーム世界は広いので、解釈は多種多様です。インドネシアとヨーロッパの中のボスニアのムスリムでは全く違います。 タラークといえばこれですという決まった解釈はありません。この映画の中でも、ハーゲンとケルンでさえ解釈が違います。
― オライが市場でコソボ出身の青年と知り合い仲良くなりますが、ムスリムどうしで自然に友達になれるのでしょうか? 宗派の違いは関係なく親しくなれるのでしょうか?
監督:映画の中でのオライと若者の友情は、二人がイスラーム教という共通項があったからでは必ずしもありません。二人とも差別を受けているどうしで結ばれている友情ともいえます。
若者はロマで、ヨーロッパのロマの人たちは差別されているので、ロマどうし強く結ばれています。
イスラームにもいろいろなグループがあって、友好的な関係になる場合もあれば、対立して内戦にまで発展することもあります。宗教以外に、政治やいろんな要因で考えが違ってきます。これがイスラームだというイスラームはないのです。世界には、16億のイスラーム教徒がいて、私もムスリムですが、両親にとってのイスラームとも違います。それこそがイスラームの特徴だといえます。もともと、教会の絶対的な権威に抗うために生まれたのがイスラームです。自分なりの解釈で、自分と神との関係を結ぶことができるという思いでできたのがイスラームです。自由であるという一方で、解釈があまりに多様なために、それがマイナスの方向にいってしまって対立を生むこともあります。
― トルコ系ドイツ人の映画では、ドイツ社会に溶け込んだ人たちを描いた映画もあります。
疎外感を覚えてイスラームに拠り所を求める人も多いというのが今のドイツでしょうか?
監督:オライはドイツのムスリムの側面を現しています。差別を受けて馴染むことのできなかった人物です。社会的な敗者となったトルコやアラブの人もたくさんいますが、ムスリムだからというわけでは必ずしもありません。貧しさから抜け出せなくて敗者になってしまった人たちです。私の両親は学問を修めて階級をランクアップしました。宗教を拠り所にせず別の向き合い方をしています。一方で、ムスリムだから差別されていると思い込んでる人たちもいます。そういう人たちが、反発し、反抗することでエンパワーしていくということもあります。
― エンディングがオープンでした。オライの決断は、妻のもとに戻るのか、イスラームのコミュニティに戻るのか?
監督:正直言って、脚本を書いているとき、配給会社がイメージしていたようなオライの決断、つまり愛をとるのか信仰をとるのかという二者択一の決断は私の意図ではないと思いました。自分自身の自己像のどちらを取るかの決断です。ハーゲンにいるときのオライは鏡に見出したのは仕事もなく、二人の強い女性に負けている弱い自分。ケルンでは、イスラームコミュニティの中に居場所を見出して、仕事も見つけた強い自分を鏡に見出します。彼は自分自身どちらが自分らしく居られるかを考えて、最終的にケルンでの信仰を選びます。
オライは、なぜこんなに不安になるのか? 男らしさのイメージをどう守るかという危機のようなものを感じているのです。彼が育った家父長制の中で作られた強い男のイメージが、ハーゲンでは強い女性たちに負ける思い。逃げるようにしてケルンに行きました。自分を肯定できるケルンを選びます。ハーゲンの聖職者からは戻ってもOKだと言われていたので、戻ることも可能でした。宗教を巡る決断ではなく、彼の心理を巡る決断です。女性が強くなって、オライはついていけないのです。
― 映画の中で言語が入り混じっていました。現実的なものでしょうか?
監督:演出以上の現実があります。ドイツの移民社会では、もっと多言語で、トルコ語、アラビア語、ロマの言葉、セルビア語・・・と、いくつも交じっているのが現実です。実際、いくつもの言葉が入り乱れています。若者たちはドイツ語に自分たちの言葉を交えて話しているのが日常です。多言語であることが故郷の一つであり、疎外の形でもあります。白人たちは、この中に入ると言葉が通じなくて戸惑います。多言語は豊かなものを生み出しているのが魅力だと私は思います。映画の中で、俳優たちは、それぞれの母語で話しています。
― 映画にはムスリムしか出てこなかったのですが、現実に多数派のドイツ人世界と断絶しているのでしょうか?
監督:分断や溝は、文化間よりも階級間の方にあると思います。知識層と労働者層、その溝の方が大きいです。労働者階級の中にも宗教や文化による違いがありますが、上の階級との分断の方が大きいと思います。この分断や溝はマイナスであるとされていますが、必ずしもマイナスではなく、豊かさの表れではないかと思っています。訪れてみれば、非常に豊かな世界であることがわかるのですが、なかなか入ってみないというのも現実だと思います。
ここで時間がきて、Q&Aは終了。
大きな拍手。
監督:映画をご覧いただき、多くの質問をお寄せいただき、お礼申し上げます。 9000キロ離れていますが、熱は伝わってきました。ありがとうございました。
まとめ:景山咲子