SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021 受賞結果

“若手映像クリエイターの登竜門”として2004年に埼玉県川口市でスタートしたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭は、9月25日(土)よりオンライン配信で開催され、最終日の本日10月3日(日)、YouTube Liveでのオンライン授賞式にて、グランプリをはじめとする国際コンペティション、国内コンペティションの各賞が発表されました。

★受賞者の喜びの声や、審査員のコメント、受賞作品の詳細は、下記サイトをご覧ください。
https://www.skipcity-dcf.jp/news/news/211003aw.html


《国際コンペティション》
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最優秀作品賞(グランプリ) 『ルッツ』 アレックス・カミレーリ監督 (マルタ)
監督賞 『ライバル』 マークス・レンツ監督 (ドイツ、ウクライナ)
審査員特別賞 『シネマ・オブ・スリープ』 ジェフリー・セント・ジュールズ監督(カナダ)
『ミトラ』 カーウェ・モディーリ監督(オランダ、ドイツ、デンマーク)
観客賞 『国境を越えてキスをして!』 シレル・ペレグ監督(ドイツ)

国際コンペティションでは、地中海の島国マルタで先祖代々伝統的な漁を続けてきた男が、船の破損をきっかけに漁師の仕事を捨てるか逡巡する姿を描いた人間ドラマ『ルッツ』(アレックス・カミレーリ監督/英題:Luzzu)がグランプリを受賞!
マルタ製作の映画としては本映画祭初ノミネートとともに初の受賞となりました。


《国内コンペティション》
SKIPシティアワード 初めて短編作品が受賞 !!
『カウンセラー』 酒井善三監督

今後の長編映画制作に可能性を感じる監督に対し贈られる「SKIPシティアワード」は、カウンセラーと謎の患者のやり取りを不穏な心理ホラーに仕立て上げた、酒井善三監督の『カウンセラー』が受賞。短編作品の同賞受賞は本映画祭史上初の結果となりました。

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左:『カウンセラー』酒井善三監督 右:『夜を越える旅』萱野孝幸監督

優秀作品賞(長編部門) 『夜を越える旅』 萱野孝幸監督(日本)
優秀作品賞(短編部門) 『リトルサーカス』 逢坂芳郎監督(日本)

観客賞(長編部門) 優秀作品賞とW受賞 !!
『夜を越える旅』 萱野孝幸監督(日本)

観客賞(短編部門) 史上初!優秀作品賞とW受賞 !!
『リトルサーカス』 逢坂芳郎監督(日本)

国内コンペティションでは、長編部門で『夜を越える旅』(萱野孝幸監督)、短編部門で『リトルサーカス』(逢坂芳郎監督)がそれぞれ優秀作品賞と観客賞をW受賞!! 
両部門で同時に優秀作品賞と観客賞をW受賞する快挙も、本映画祭として史上初となりました。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021 『ルッツ』

国際コンペティション 最優秀作品賞
ルッツ 原題:Luzzu

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©Léo Lefèvre


監督:アレックス・カミレーリ
出演:ジェスマーク・シクルーナ、ミケーラ・ファルジア、デイヴィッド・シクルーナ
2021年 / マルタ / 94分
https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl05.html

マルタの伝統的な木造漁船ルッツ。
漁師のジェスマークはある日、先祖代々受け継いだルッツが水漏れすることに気づき修理に出す。一方、生まれたばかりの息子は成長不全といわれ、お金がかかる。そんな折、禁漁中のメカジキを裏取引すれば大金を稼げることを知る。そのためには漁業停止の申し出をしてルッツを売り、冷凍庫付きのワゴン車を買う必要がある。ジェスマークは大きな決断を迫られる・・・

「船を失うと、道を失うぞ」と友人。修理を終え、綺麗になったルッツに、ジェスマークは息子の足跡を付け、久しぶりにルッツで大海原に出ます。可愛い目がついたルッツは、もう水漏れもしません。これで一件落着かと思いきや、思いもしない結末が待っていました。マルタの美しい風景を舞台に描かれる、ちょっぴり悲しく愛おしい物語。(咲)


◆アレックス・カミレーリ監督インタビューより
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公式サイト動画はこちら

ルッツは今?
古い伝統的な漁船ルッツは、家族の想い出として大事にしている人もいますが、実際に漁に使っている人は少ない。水に触れていないと太陽が強いので朽ちてしまいます。撮影に使ったルッツも残念ながら駄目になってしまいました。

主人公ジェスマーク役は、本物の漁師
マルタの漁村で主人公を演じられる人を2か月位探したのですが、皆50歳以上で若い人が少ないのです。明日はニューヨークに帰るという日にジェスマーク・シクルーナとデイヴィッド・シクルーナの二人を紹介されました。映画の中では友人ですが、実際は従兄弟です。メカジキを釣った場面をやってもらったら、演技を学んだ人以上に、漁師の姿をまさに見せてくれました。ニューヨークに帰る飛行機の中で、撮った映像を観ながら悦に入ってました。撮影に入ったら、漁師から演技者へと成長してくれました。
(*サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドラマティック部門でジェスマークは俳優賞を受賞)

マルタの美しいところだけでなく闇の部分も描いていますが・・・
ジェスマークとデイヴィッドは実名で出ていますし、コミュニティも国も批判したくありませんでした。誇張はしていません。漁業の規制で救いがないような過酷な状況に置かれていて、闇はほんとはもっと大変なことになっています。


★授賞式での竹中直人審査員長の『ルッツ』評
素晴らしい作品ばかりでしたが、『ルッツ』がずしっと残っています。船が可愛かった! 俳優の芝居が見事。本物の漁師の方たちなのに芝居がすごい。主人公の顔つき、いやになっちゃう! 本物の役者に見える。映画評論家じゃないので、理屈っぽいことを言えない、あ、評論家が理屈っぽいわけじゃないです。 どこかハードボイルドのよう。あっけなく先祖代々大事にしていた船を手放した主人公の思いが、変にネチッこくなくてクール。監督の眼差しがたまらなかった。最高の映画でした。
総評の時には、審査なんて僕には向いてないなと、お茶目に手を振る竹中直人さんでした。

(景山咲子)

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021  『野鳥観察員』

国際コンペティション
『野鳥観察員』 英題:The Warden  原題: De Vogelwachter

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©Mark de Blok

監督:テレース・アナ
出演:フリーク・デ・ヨング、ソフィー・ヴァン・ウィンデン、クィア・シルー、ニック・ゴルターマン、ヴァウター・ヤンセン
2020年 / オランダ / 89分
https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl10.html

*物語*
ベンティ島の浜辺にぽつんと建つ掘立小屋。ここで45年にわたり野鳥観察員をしている老人。衛星通信が壊れ、無線機で鳥の数を報告する。最後にサッカーの試合結果を聞くのが楽しみだ。1週間後、いつものように鳥類調査センターを呼び出すと、担当のトムではなく女性が出る。トムは部長に昇進したという。一方、理事会からの通達として、ベンティ島の観察所は3か月後に閉鎖するので、建物は解体して引き揚げるように言われる・・・

人生のすべてだった野鳥の観察所を、突然閉鎖すると言われた老人。
会社が傾いて、希望退職を迫られた時の私自身の気持ちを思い出しました。この先どうしたらいいのだろうと呆然となりながらも、なんとかしなければならない・・・ さて、この観察員の老人はどうするのかとハラハラ。さらに大型ハリケーンにも襲われます。
観ている私の心配をよそに、大自然の中で繰り広げられる老人の営みは、とても素敵なものでした。(咲)


◆テレース・アナ監督インタビューより
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公式サイト動画はこちら
本作はコロナの前に作ったのですが、コロナで世界中が孤独な生活がどういうものかを体験しました。主人公が孤独を楽しんでいるというのが、大事な要素です。なぜ、ひとりぼっちなのにこんなにハッピーなのか?  主人公は島の自然と一体化して、島が大好きなのです。

本作を作るきっかけは? 
5年前に南米を旅したのですが、骨の折れる旅で、これまでインド、日本、アフリカなどを旅してきたのですが、初めて国に帰りたいと思いました。それで、次の映画は地元で作ろうと決めました。私はオランダ北部にある島に住んでいるのですが、家から自転車で行ける浜辺で撮影しました。
映画は資金集めも大変です。今回はお金をあまり使わなくてもいいようにシンプルに登場人物も少なくしました。鳥も砂もそこにあるものでリアルな環境です。

観察員の老人にフリーク・デ・ヨングさんを起用したのは?
オランダではよく知られたコメディアンです。私自身が重ためな性格なので、軽やかさを出したいと思いました。コメディアンのセンスがDNAレベルで染み込んだヨングさんを思いながら脚本を書きました。けれども、役者ではないので、演出が難しかったです。2年かけてキャラクターについて話し合いました。少しずつ役に成りきっていく長いプロセスでした。撮影開始前日に衣装を着てもらったら、すっとフィットしました。ヨングさんは個性の強い方なのですが、撮影中はずっと役に入ってくれました。

墓標のイシュマエルは?
孤独な観察員に話し相手がいるということが大事です。イシュマエルが誰なのかは観る人それぞれの解釈でいいと思って説明していません。前任者かもしれません。「白鯨」の語り手がイシュマエルなので、海の物語へのオマージュともいえます。
実は、ヨングさんは45年前に私の住む島でお子さんを亡くしています。イシュマエルという名前ではないのですが、墓標で役作り出来ればという思いもありました。

(景山咲子)



SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021『この雨は止まない』

国際コンペティション
『この雨は止まない』This Rain Will Never Stop

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©Square Eyes Film

監督 : アリーナ・ゴルロヴァ
2020年 / ウクライナ、ラトビア、ドイツ、カタール / 102分
https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl09.html

*物語*
シリア内戦で、スレイマン一家はヨーロッパ各地やイラクなどに逃れ、散り散りになってしまった。20歳になるアンドリー・スレイマンは、シリア生まれで、父はクルド人。ウクライナ人の母の親戚を頼ってウクライナに渡ってきたが、その地でも紛争が起こり、赤十字でボランティアをしている。イラクのクルディスタン地区にある難民キャンプに親戚を訪ねる。泣いてハグして歓迎してくれる懐かしい人たち。川のすぐ向こうのシリアに行きたいが、洪水で国境の橋は渡れないという・・・

ウクライナ生まれのアリーナ・ゴルロヴァ監督が、アンドリー・スレイマンと出会い、4年にわたって彼を追ったドキュメンタリー。

シリア内戦が勃発し、母の故郷ウクライナに逃れたアンドリーとその家族。父も子どもたちのために、後からウクライナにやってきましたが、子どもは言うことを聞いてくれないし、ここでは誰も一目を置いてくれないと嘆きます。
弟アンセリーの結婚式。花嫁も皆と手をつないで踊ります。
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©Square Eyes Film
イラクの難民キャンプで迎えたクルドの新年ネウロズ(春分の日)も、火を焚いて皆で手をつないで踊ります。以前は、川をはさんで、イラク側とシリア側にぞれぞれクルド人が集まって、お互いに大声で叫びあっていたと聞かされるアンドリー。シリアへの思いが募ります。
シリアに戻って人々を助けたいというアンドリーに、どこに戻る?と父。すでに故郷は荒れ地・・・ その父は死して故郷に戻ります。埋葬場面に涙。
映画は、アラビア文字のゼロ(٠)の章から始まり、1~9(١٢٣٤٥٦٧٨٩)そして、またゼロ(٠)で終わる構成。まるでドラマのようなドキュメンタリー。モノクロームで描かれた映像は、戦争に翻弄された人々の思いをずっしりと伝えてくれました。


◆アリーナ・ゴルロヴァ監督インタビューより
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公式サイト動画はこちら

製作の経緯は?
アンドリーと出会い、最初はウクライナ東部を舞台に撮る構想でしたが、シリアにルーツのある人で、4年にわたって撮影しているうちに、当初予定になかった国でも撮ることになりました。まるで地球を上から俯瞰するように。

アラビア数字٠١٢٣٤٥٦٧٨٩٠という11章のアイディアはどこから?
ゼロ(٠)は決まっていました。戦争、故郷など各章に小見出し付けようと思っていたのですが、何か違うと。細切れのメタファーを描いているつもりも、統一したものも考えていませんでした。数字として並べて、ゼロから始めてゼロで終わると循環していることを表せると思いました。

(景山咲子)


SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2021 『ミトラ』

国際コンペティション 審査員特別賞
『ミトラ』 原題:Mitra

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©Jurre Rompa

監督:カーウェ・モディーリ(1982年生まれ、イラン系オランダ人監督)
出演:ヤスミン・タバタバイ、モフセン・ナムジュー、
映画祭サイト:https://www.skipcity-dcf.jp/films/intl07.html

1979年2月11日、イラン革命成就。王政からイスラーム共和制となる。
1982年、テヘラン。ハーレ・ダネシは、娘ミトラの処刑を執行したので私物を取りにくるようにとの電話を受ける。革命に燃えた父親と同じ運命をたどってしまったミトラ。

2019年、イラン革命40周年。
ハーレ・ダネシは、オランダでジェンダー学の教授として名を成している。
「組織の者だ」と男女二人が訪ねてくる。
ミトラの居場所を密告したレイラが、オランダに来てサーレという別名で亡命申請をしているという。会った者がいないので確認してほしいと頼まれるが、ハーレは声しか聴いていない。レイラの裏切りで6年間収監された兄モフセンが、今はドイツでひっそり暮らしている。ハーレはモフセンをオランダに呼ぶ。だが、モフセンもレイラに散々殴られて顔をよく見ていないという。
ハーレは、同郷の人が懐かしくてと、サーレの家を訪ねる。娘ニールーと二人暮らしのサーレ。ハーレは、イランの食材が買える店に案内したり、サーレにイラン料理をふるまわれたりし、母娘と親しくなりながらも復讐心を強めていく・・・

モディーリ監督が母たちから聞いた、監督が生まれる直前に亡くなった実の姉ミトラの物語
イラン革命直後の1980年代初頭のテヘランと、革命から40年後のオランダの場面が、行き来しながら、映画はスリリングに展開していきます。
私が初めてイランを訪れたのは、1978年5月。その直後に王様が追い出され、イスラーム政権になりました。1989年に再訪した時には、すっかりイスラーム体制が出来上がって、王政時代と180度違うイランになっていました。本作は、革命直後にどんな混乱があったかを垣間見ることのできるものでした。王政打倒に向けて、様々な考えの人が革命に燃えました。結果、イスラーム体制となり、それに反する声をあげ捕らえられた人たちもいれば、ハーレのように故国を離れた人もいます。世界に散らばった多くのイランの人たちのことに思いを馳せました。

テヘランでは撮影できないので、ヨルダンでイランの部分を撮影していますが、革命直後のイランを知らない監督が、なかなかよく描いたと思います。

テヘランの乗合タクシーの場面では、助手席に二人座っていて、窮屈だったのを懐かしく思い出しました。イスラーム体制になっても、乗合タクシーやミニバスは男女一緒に密着して乗っていて、大型バスは男女別なのに・・・と面白く思ったものでした。なお、その後、タクシーの助手席の定員は2名から1名になっています。

一つ、疑問に思ったのは、オランダにあるイラン人の「組織」から来た女性がスカーフを被っていたことです。ハーレも「体制派か組織だと思った」と語っています。現体制の打倒を目指しているなら、スカーフは被らないはずです。通常、外国にいるイラン女性でスカーフをしっかり被っているのは、公務員や国費留学生など体制の中で暮らしている人たち。もっとも体制に反対していても信心深い人はいるので、なんともいえませんが。

外国にいるイラン人が、お互いイラン人とわかっても気安く声はかけないという話も聞いたことがあります。政治信条がわからないと近づくのは危険という次第です。日本やイランや外国で、日本人である私がペルシア語で声をかければ、まるで旧知のように親しく接してくれるイランの人たちですが、イラン人同士では、そうはいかないお国事情。革命直後に信条の違いで、知人友人との間でわだかまりが出来たという話も聞きます。
革命に翻弄された人たちの思いをずっしり感じた1作でした。許すことが心を解き放してくれることも!


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カーウェ・モディーリ監督
映画祭事務局によるインタビューは、映画を撮影中で忙しく叶わなかったとのことです。
授賞式の折には、審査員特別賞受賞の喜びのコメントがロッテルダムから届きました。

(景山咲子)