3月14日(土) 11:00~『ガザ・サーフ・クラブ』
イスラーム映画祭5の一番最初に上映されました。
上映後トークは、これまで神戸のイスラーム映画祭でアフタートークをしてきた京都大学教授の岡真理さん。京都から駆けつけてくださいました。
『ガザ・サーフ・クラブ』 原題:Gaza Surf Club 英題:Gaza Surf Club
2016年/ドイツ/87分/アラビア語・英語・ハワイ語
監督:フィリップ・グナート、ミッキー・ヤーミン / Philip Gnadt、Mickey Yamine
*ストーリー*瓦礫と化したガザの町を、サーフボードを乗せて海に向かう車。
サーフボードを前に祈る二人。早く行こうと声がかかる。
どんよりとしたガザの空の下、サーフィンに夢中の若者たち。
イブラヒーム 23歳 病院勤務両親がカタルから呼んだ2歳下の女の子が気に入ってプロポーズ。1週間経っても返事がなくて、せかしたら断られた。ガザには住みたくないと。
ビザが下りたら、ハワイに行ってサーフィンを学びたい。
エジプトのアメリカ大使館でビザ申請を5回したが、却下された。
2000ドルも検問所で支払ったのに。もうエジプトに行けない。
エルサレムのアメリカ大使館に申請する。
ハワイから、ビザがおりたと電話!
ハワイに来てみて、皆の外見に驚く。タトゥーをしている者も多い。
女性たちも肌を出しまくり。
ハワイの人は優しい。
アブー・ジャイヤブ 42歳 漁師 若者たちにサーフィンを教えている。
カリフォルニアに注文したサーブボードは、2年もイスラエルに留め置かれた。
資材も機材もない中、自前で工夫してボードを作っている。
外国に行きたいという夢は破れた。
希望はどこを探せばある?
漁業のできる範囲がせばまり、大きな魚が捕れない。
小さな魚を獲ることになり、さらに魚が減る。
なんとか釣れた小魚を焼く。
サバーフ 15歳の少女サーフィンを父から7年習ってる。
一つ上の16歳の姉は、もうサーフィンをしない。悲しげに見つめている。
父はまわりからサバーフにサーフィンをさせないよう注意を受けている。
スカーフをして泳いでいたら、クビに巻きついたので、腰に巻く。
ハラーム(禁忌)だといわれる。
ちょっと自粛。
久しぶりに父に連れられ海に出る。
船の後に繋いだボードに乗って微笑むサバーフ。
夢は医師になること!
*****
イブラヒームはまだハワイから戻ってない・・・で、映画は終わる
奇跡的にビザを取得できて、外に出ることのできたイブラヒーム。
まさに天国と地獄ほどの違い。
彼の夢は、サーフィンのことを学んでガザでそれを伝授すること。
決して自由を謳歌することじゃないはず。
カリフォルニアから24枚のボードを取り寄せたのに、2年間イスラエルに留め置かれて、やっと入手したという。どうして、そこまで意地悪をするのだろう。
ささやかな楽しみまで奪うイスラエル・・・
◆上映後トーク《ガザ、それでもなお――完全封鎖から14年目の現実》 【ゲスト】 岡真理さん(京都大学大学院人間・環境学研究科教授/
アラブ文学者、パレスチナ問題専門) 著書『ガザに地下鉄が走る日』
https://www.msz.co.jp/book/detail/08747.htmlガザを描いた映画にこんなに来てくださって嬉しい。
この映画は知りませんでした。
ガザにサーフクラブ? 悪い冗談かと最初思いました。
海に面しているのでサーフィンは出来るはずですが、「白い黒板」といったような相容れない組み合わせだと、ガザを知っていると思います。
サーフィンの持っているイメージは、何の憂いもない人のスポーツ。湘南とサーフィンならぴったりですが、『ガザ・サーフ・クラブ』は相容れないもの。
この映画が公開されたのは2016年。映画の中で「昨年の戦争」と言っているのは、2014年に51日間続いた戦争。2014年から2015年にかけての冬のガザが舞台。
イブラヒームがハワイに行って、モノクロのガザから、カラーの世界に変わります。
地中海は、アラビア語で「白い海」の意味。冬は雨季。曇って波が白いことから。
冬が舞台なのは、たまたまその時期に入れたのか、冬の方が波が高いからかでしょうか。
ハワイとの対比で暗さを強調。
2014年の時点で、封鎖8年目。今、14年目。
ガザとは?
日本とほぼ同緯度。
海に面した部分 約40キロ
エジプトと接している部分 約10キロ。
一番狭いところで幅4~5キロ。
東京都の半分の面積に、200万人が住む。
人口密度 1km2あたり、5000人だが、単純にそうではない。
難民キャンプに人が集中している。
1947年11月29日 イスラエル建国
1948年 ナクバ(大災厄) パレスチナ人が集団虐殺されたり、強制追放されたりする。
当時占領されてなかったガザに、19万人が難民としてやって来た。
国連が難民キャンプを設営。貧しくてキャンプから出られない人たちが、今や曾孫の代になり200万人に増えている。
イブラヒームやサバーフは、暮らしぶりからみて、難民ではなく先祖が元々ガザにいたと思われる。イブラヒームがハワイに行けたのも病院での定職についていたから。
1967年 第3次中東戦争(6日戦争)で、歴史的パレスチナがすべて占領され、ガザも占領される。
2005年、ガザの入植者がすべて撤退したことにより、イスラエルは占領を解いたが、出入国はイスラエルが管理。
2007年、完全封鎖。
パレスチナの評議会選挙。民主的選挙でハタファではなく、ハマースが選ばれたが、そのハマースをテロ集団だとしてイスラエルも米国も認めず、政権移譲しなかったために内戦状態に。イスラエルが検問所をすべてコントロールしてガザを完全封鎖。
ヨルダン川西岸地区にも行けなくなった。
「世界最大の野外監獄」ノーム・チョムスキーの言葉。
2014年3度目の“芝刈り”
7月~8月にかけて、51日間ジェノサイド攻撃ともいえる激しい攻撃。
町が破壊されても、建設資材が入ってこないので再建できない。
イスラエルが地場産業を破壊し、イスラエルに頼らないと生きていけないようにしている。
半世紀以上の占領と封鎖で貧しい状態におかれている。元々貧しいのではない。
燃料がなく、1日8~11時間停電。(2014年)
今、1日3~4時間しか電力が供給されておらず、医療の現場で必要な医療もできず、下水ポンプが稼動せず下水の洪水に。未浄化の生活排水で海も汚染されている。
かつてサーフィンをしていた人たちも、今はほとんどがやめている。
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限られた時間の中で、駆け足で解説してくださったガザの状況に、たたただため息。
地中海に面したガザで、サーフィンをしたいというささやかな夢も奪ってしまうイスラエル。ガザの人たちが、人間的な暮らしの出来る日の来ることを願うばかりです。
参加できませんでしたが、下記のトークも行われました。
➁3/16(月)13:30
上映後トーク《2019年8月パレスチナ・ガザ最新リポート》
【ゲスト】 古居みずえさん(ジャーナリスト/映画監督)
『ガーダ パレスチナの詩』 『ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち-』
3回目の上映は3/20(金)16:00から。
景山咲子