イスラーム映画祭4 イエメン映画『わたしはヌジューム、10歳で離婚した』 東京でのトーク (咲)
『わたしはヌジューム、10歳で離婚した』
2014年、イエメン
監督:ハディージャ・アル=サラーミー
*物語*
パンを買いに行くと家を出て、裁判所に駆け込む少女ヌジューム。大勢が訴えに来ていて、順番が来る前に閉廷になってしまう。ヌジュームが居残っていると、見かねて判事が声をかける。「離婚したい」という少女は十歳。結婚した経緯を聞く。
村での暮らしが立ち行かなくなり、子だくさんの一家は首都サナアに出て来るが、やがて家賃も払えなくなる。口減らしと結納金目当てに、父親はヌジュームを年の離れた男のところに嫁がせたのだ。判事は行き場のないヌジュームを家に連れ帰る。洋風の立派な家。同年代の娘は学校に通っている。判事の妻は、男と交わったヌジュームを自分の娘に近づけたくない。
父と夫が警察に連行される。法廷で夫は、結婚は正当と主張。族長は、「よくぞ部族の者を侮辱した」と怒る・・・
イエメン出身で現在はフランスを拠点に活動する女性監督が、実在の女性のノンフィクションをもとに、自身の児童婚の経験も反映させて紡いだ物語。
タイトル「nujud(隠された)」から、 アラビア語のdの文字が星で消されて、mになり、「nujum(星)」に変わる。原作者は、実際に改名したそうだ。
★朝日新聞GLOBE編集部 高橋友佳理さんによるハディージャ・アル=サラーミー監督インタビューをぜひお読みください。
https://globe.asahi.com/article/12212998
映画は、部族社会の根強いイエメンを見せながら、都会と村の格差も見事に描きだしている。首都サナアの伝統的な石造りの家や市場、山間部の棚田、山の頂に建つ家など、イエメン各地の風物もうまく映し出している。
車を運転する男二人がカートを噛みながら、「水すら買う時代。でも、家族の飯よりカート」という場面があった。カートとは、覚醒作用のある葉っぱ。イエメンの男たちは、稼ぎの半分以上をカート購入につぎ込むという。昼下がり、石造りの建物の最上階(五階位)にある応接間に集い、水を片手に、片方のほっぺたをカートでいっぱい膨らませるのだ。
イエメンを旅した時、ちょうど昼時、スーク(市場)のカート売り場で男たちが血相を変えて奪い合うようにカートを買い求めているのを見た。内戦の今も、男たちはカートを手放せないでいるのだろうか。
2019年3月16日(土) 13:10からの渋谷ユーロスペースでの上映後のトークの模様をお届けします。
Focus on Yemen
《イエメンだけの問題ではない“児童婚”》
【ゲスト】
マリヤム・アル=クバーティさん(イエメン出身/筑波大学大学院博士課程)
鳥山純子さん(立命館大学准教授/中東ジェンダー学専門)
通訳:松下由美さん
藤本:ヌジュームの家族構成をおさらいしておきましょう。
一番上の兄 アリー
次兄 サーミ
姉 ナジューラ
妹 アーヤ
弟
6人兄弟。
ヌジューム役は、監督の姪っ子。顔も出して出演してくれる子は、なかなか見つからない。
今、内戦でマレーシアに逃れてます。
鳥山:専門はエジプトでイエメンには行ったことがありません。イエメンがどんなところかを見せてくれる映画ですね。都会と農村の両方が出てきて、農村からは高速道路を通って町に入りましたね。生活空間も見せてくれる。イエメンのいろいろな面をうまく見せてくれている。
原作と違った部分もありますね。
マリヤム:筑波大学の留学生です。映画、どうだったでしょう? イエメンの文化がいろいろ観れてよかったと思います。(ここまで日本語で)
藤本:最後に出てきた弁護士の方が友達だそうですね。
マリヤム:TEDのトークで知り合いました。アメリカに住んでいて、イエメンの変革を出来ないか、アメリカから活動しています。有名な方ですが、シャイな方です。
藤本:学校も同じですか?
マリヤム:サナアにある有名な学校で、私の妹が学んだところです。
鳥山:映画のインスピレーションになっている、お父さんのつけた名前 ヌジュード(隠された者)。
その原作をうまくかわしながら、映画を仕上げています。
マリヤム:児童婚は、イエメンで長い間問題になってきました。イスラームや文化的なことと思われガチだけど、もっと違う問題があります。
弁護士は町の人間。村の人の意識との間に溝があります。貧困、教育、家父長制のあり方・・・、法律も都合のいいように作られています。町の人とは意識が違う。私も町で育ったので、今の私があるといえます。
イエメンは内戦で状況が悪化しています。その前から児童婚はあって、結婚にあたってダウリーが支払われます。まさに人身売買です。文化として根付いています。女性に値打ちを与えているのが、女性を守ることだという間違った認識があります。名誉や面子の問題でもあります。
鳥山:学生に教えていて、「日本に生まれてよかった、イエメンや中東は大変ですね」と言われます。マリヤムさんが教育が大切だとおっしゃいました。本作でいろいろなイエメンを描いています。シェイフ(長老)が裁判の最後に、夫と父親の言い分をサポートします。昔からの伝統だと。
これから教育を受けられるようになれば、解決するのか? それだけじゃない。
映画の最後に「知識は光なり」とありました。
立場を正当化するために、「伝統」という言葉を使ってないか?
原作では、裁判のシーンはなく、ヌジュームが人生を振り返る形で描いています。
裁判シーンで重層的にイエメンを描いていて、イエメンだけの問題でなく、観ている者自身の問題でもあると投げかけています。
マリヤム:映画を観て、他人事ではなく、自分の目線で考えてみれば、日本はイエメンに比べれば、先進国かもしれないけれど、ジェンダーから見ると問題があると思います。
10歳の子が権力に立ち向かう。家族の評判や、確立した制度と闘う勇気を教えてくれます。
藤本:お姉さんのナジューラはレイプされ、村を出て行かなければなりませんでした。性被害者の方が肩の狭い思いをするのは、日本でも同じ。
夫のお母さんは悪役ですが、でも閉じこもったヌジュームに哀れみの言葉をかけています。でも、自分が乗り越えたことだからというのは詭弁。
鳥山: 「従属はしない」という夫だけど、兄アリーや夫は伝統に縛られています。上からの力に縛られていて、男としての役割が果たせなかった時に最悪の状況になります。
サウジアラビアとの戦争が続いていて、村では暮らせず、一家が町にやってきてうまくいかない中で、お金目的で児童婚が行われます。
マリヤム:イエメンが他の国と違うのは、部族社会であること。アイデンティティーに直結しています。その中にいれば、貧困からも逃れられるし、女性も守られる。より豊かな男に嫁がせればいいだろうと。父親は夫に性交は待ってくれと言ったけど、守ってくれなかった。
兄アリーとサーミーはかなり違う。長男であるアリーは家父長制の考え方。サーミーは心で反応しています。義母は家父長制の犠牲者。教育があれば自分を持つことができる。
鳥山:教育があればはトリッキー。判事の奥さんは、男と交わったヌジュームを自分の娘と同じ部屋に入れたくない。
藤本:児童婚は、他の国にも?
鳥山:どちらかが18歳以下というのが、児童婚の世界基準。日本は女性16歳で結婚できる。児童婚大国ですね。
マリヤム:世界基準がイエメンに適用されるべきと思って日本に来て、16歳で結婚できると聞いてショックでした。1999年までは、15歳以下は結婚してはいけないという法律があったのに、保守派が取っ払ってしまいました。その後、18歳以上と法改正されたけれど、内戦で批准されていません。
藤本:マリヤムさんは、2014年に来日。内戦の影響で国に帰れてないのですね。
マリヤム:サナアが故郷。ユネスコの世界遺産です。格差もある社会で、実際、何が起こっているか感じてほしい。内戦ですべて変わってしまい、元に戻ることはありません。
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内戦で児童婚どころじゃないのでは思っていたら、実は、仕事がないため、父親は幼い娘を嫁がせることで金を得るという状態が続いているとの報道があった。児童婚の低年齢化がますます進んでいるようだ。
戦争が終わり、経済が活性化すれば児童婚は減るのだろうか・・・
ノートルダム寺院の火災には、すぐに多額の寄付が集まるのに、世界最大の人道危機と言われているイエメンに手を差し出そうとする大きな動きがないのが悲しい。(景山咲子)