東京国際映画祭 トルコ映画『シレンズ・コール』 ラミン・マタン監督インタビュー ~ 自立したトルコ女性シレンは、西洋のオリエンタリズムに合わない~ (咲)
東京国際映画祭 2018年 コンペティション部門
『シレンズ・コール』 2018年/トルコ
*物語*
離婚寸前の妻の父が営む建築会社に勤めるタクシン。建築ラッシュの大都会イスタンブルに嫌気がさして、女友達シレンが有機栽培をして暮らしている南の町のコミューンに行く決意をする。辞表を出したタクシンは、社有車と社用の携帯電話を取り上げられてしまう。交通渋滞でタクシーを降りたタクシンは、慣れないバスや電車に乗るが、小銭がなくて苦慮する。あげく、無賃乗車で検挙されそうになり逃げる羽目に。
トルコ行進曲に乗って、イスタンブルの町を右往左往するタクシン。夕方のフライトに乗りたいのに、なかなか空港にたどり着けない。しかし、憧れて行った南の地も決して天国ではなかった・・・
ユーモアと皮肉を散りばめて、本作を紡いだラミン・マタン監督にお話を伺う時間をいただきました。
インタビューの前に、10月27日の上映後のQ&A、10月30日の記者会見があり、お聞きしたかったいくつかのことが話題に出ました。
また、インタビュー後には、2回目の上映後のQ&Aも行われました。
10月27日のQ&Aの折の記事は、公式サイトをご参照いただくとして、写真のみこちらに掲載します。
また、記者会見やQ&Aでの大事なポイントをこちらにまず挙げておきます。
◆原題は『Siren's Call』 (シレンからの電話)
トルコ語タイトル『Son Çıkış(最後の出口)』が原題ではなく、英語タイトル『Siren's Call』の方が、先につけたタイトルです。
女友達の名前Sirenは、神話に出てくる人魚で、水兵たちを海に引きずり込むことで知られています。トルコ語でパトカーのサイレンと同じ綴りのため、トルコではサイレンを思い浮かべる人が多いので、トルコ語タイトルを後から別に考えました。「最後の出口」が意味するところは観客に委ねます。
◆モーツァルトのトルコ行進曲
曲の元々のタイトルは「Rondo alla turca」。(ロンド:輪舞)。最初の10分位を編集していて、タクシンが町をぐるぐる回る内容に合うと思いつきました。最後の方では、調子を崩してみたら面白いなと考えました。
◆イスタンブルの乱開発
イスタンブルの人口は公式で1700万人位。そこまで新しい住居が必要なわけではないのに、ここ数年、建築バブルで、バブルも崩れつつあって、150万戸が売れ残っています。ちゃんとした建設計画もなく、インフラも整備されていません。
◆男たちのたむろする茶屋
タクシンが疲れ果てて入った古い町並みに残る茶屋。空港に行けなくて困っていると知って、親分肌の男が茶屋にいる男二人に車で送るように指示します。昔ながらのトルコの助け合いの精神ともいえますが、茶屋に集まる人たちはちょっと極右っぽい人たちで、昔の伝統的なトルコを残そうというフリをしているんです。
◆タクシンがシレンと再会したカフェバー
シレンと女友達がお酒を飲みながら煙草を吸っていた店は、若い人たちが飲みに行く隠れ家的な知る人ぞ知る場所で、解き放たれた気持ちなれる所です。
◎ラミン・マタン監督インタビュー
私がイランのことにも係わっていると自己紹介したところ、お父様がイラン人とのこと。ラミンというのは、イラン系の名前でしょと監督。お父様は外交官でトルコに駐在していた時に、お母様と知り合って結婚。その後は、ずっとトルコに住んでいて、監督自身もイランに行ったことがなく、ペルシア語も、出来ないとのこと。お父様が、トルコに居座ることになった事情など、お伺いしたい気持ちを抑えて、映画についてお伺いしました。
なお、通訳の都合で、監督は英語で発言されました。
― 35年前に初めてトルコに行って以来、6回訪れています。最後は10年ほど前です。
この映画を観て、ますます乱開発が進んで、ビルの谷間にモスクがあるのを観て、古き良きイスタンブルはどこに行ったと寂しくなりました。
監督:ほんとに、この10年でさらに変わりました。
― ビルの合間にモスクが埋もれるように建っているところが映し出されていましたが、あれはどのあたりですか?
監督:冒頭の工事現場は、アジア側のカドゥキョイの近くです。埋もれたモスクもアジア側です。撮影自体は、イスタンブルのあちこちで撮っています。
― バスの中でお釣りを乗客たちがバトンリレーしているのは35年前と変わらないと可笑しかったです。バスも恐らくこれからはカードになるので、なくなる文化ではないかと思いました。チャイハネに男たちが集っているのも昔ながらですが、いずれも消えつつあるトルコの姿を映像に残す思いがあったのでしょうか?
監督:大きなバスは、もうカードになってしまっています。ドルムシュ(ミニバス)では、今も見られる光景です。
男たちが集まるチャイハネは、今は確かに消えつつあります。古いものを映したかったのではなく、話の展開で、あそこに集まっている男たちがタクシンと絡んで何かを起こすということで登場させたのです。
― 立ち退きで、これまでのご近所付き合いがなくなる上に、高層アパートで新しい隣人と顔も合わせない事態になって、孤独な老人が増えるのではないかと心配します。世界のどこの都会でも起こりうることだと思いました。
監督:まさにそうですね。大都会の話として共感いただければと思います。
― 一軒家に一人住まいしているおばあさんは、若者に大麻を売っているようでしたが、若者が偽札で支払って騙しているのが気になりました。オレオレ詐欺じゃないですが、世界のどこにでもある話で、これも共感してもらえると思いました。
(ここで、通訳の方が日本でのオレオレ詐欺について、詳しく説明してくださいました。あぁ~持ち時間はあまりないのに・・・!)
監督:同じようなことがトルコでもありますね。実は、私の母も騙されかけたことがありますよ。
― 時折映し出される看板の言葉 「ここはあなたが勝つための場所」「人生の幕開けに」など、映画の内容にぴったりでした。 実際に町にあるものを映したのでしょうか?
監督:撮影場所を探しているときに、たまたま見つけたものなのです。新しいマンションの売り込みのためのキャッチフレーズなどですね。
― この映画では、シレンや友人の女性が生き生きと自分の思う人生を歩んでいる姿が、男たちと対照的で素敵でした。トルコの女性というと、スカーフをしっかり被って、伝統的な家父長社会の中で生きているイメージが強いですが、対極にある、仕事を持ち、活躍している女性たちのことを描いていて嬉しかったです。
監督:そうおっしゃっていただいて嬉しいです。実は西洋では、自立して活躍する女性はトルコのイメージに合わないと不評なのです。バーで煙草を吸う女性など論外なのです。前回の映画も生き生きとした二人の女性についての物語だったのですが、もっと抑圧されているステレオタイプな伝統的な女性じゃないと、彼らのオリエンタリズムに合わないという次第でした。西洋の人にとって、トルコ人といえば、いつも鬱々としているイメージなのですね。残念ながら。
― 40年程前に、トルコ大使館主催の料理教室に参加したら、文化参事官の方が女性で、とてもアクティブに働いていて、当時の日本の女性はまだまだ仕事上で地位が低かったので、うらやましく思ったことがあります。
監督:トルコは西欧に先駆けて女性の参政権も認めた国なのに、そういった面をヨーロッパ諸国は見てくれないのです。それに、トルコの現状は後退していますし。
― エルドゥアン大統領のもと、宗教的にも保守化しているようですね。
監督:政治的なことは言いたくないですね・・・
― 確かに! もっとお話したいところですが、あっという間に時間が来てしまいました。
テッシェッキュル エデリム (トルコ語でありがとうございます)
監督:先日の上映後にも、トルコ語で話しかけてくださる日本人が大勢いて嬉しかったです。
― トルコは日本人に人気で、トルコ語を学ぶ人もすごく増えています。
通訳の方からも、エルトゥールル号遭難事件のこと(1890年、和歌山の串本沖で遭難したトルコの船の乗組員たちを串本の人たちが助けた)が映画になって、日本でもトルコに親近感を持つ人が多くなったことが語られました。
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映画では、カタルの貿易投資団が来るため、空港からの道路が封鎖されていて、渋滞を起こしていて、タクシンはなかなか空港に行けないでいました。
私も、1991年7月にイスタンブルに行った折、ボスポラス海峡を渡る船に乗ろうとエミニョニュの船着き場をめざしたのに、あちこち道路が封鎖されていて、なかなかたどり着けないということがありました。着いたらボスポラス海峡も封鎖でした。アメリカのブッシュ大統領が湾岸戦争のお礼参りにトルコに来ていて、船着場近くの広場で演説を行ったあと、ボスポラスクルーズをされた次第。そんなことも、懐かしく思い出しました。その頃のイスタンブルには、まだ高層ビルはなく、モスクの丸い屋根とミナレットがそこかしこに見えていたことも思い出しました。時代に応じて開発は必要だけど、景観は旅人の郷愁をそそるためだけのものではないと思います。(景山咲子)