イスラーム映画祭
カイロに住む12歳のハーニーは、教会が大好きな男の子。父は銀行のマネージャー、母は音楽家。高級アパートで暮らしているが、ある日、突然、父が逝ってしまう。授業料の高い私立学校に通い続けることは難しくなり、公立学校に転校する。母から、友達を作らないこと、宗教の話はしないことと、念押しされる。公立学校の生徒はムスリムばかり。ハーニーは少数派のコプト教徒なのだ。車で母親に送られて登校し、美味しそうなサンドイッチを持参するハーニー。クラスには、身体の大きな落第生3人組がいて、何かと意地悪される。その3人が、セクシーなネリー先生を襲おうと話しているのを耳にしたハーニーは、ネリー先生に「身体を隠す服装を」と進言しにいくが、先生は取り合わない・・・
恵まれた私学から一転、とてもまともに勉強できるような環境でない中、自分を見失わず、前に進もうとするハーニーの姿が眩しい。コメディータッチで、エジプトの公立学校の問題や格差社会、少数派コプト教徒の存在を描いている。
原題『ラー・ムアーハザ』は、言いにくいことを切り出す時の言葉。先生に父親の職業を問われた生徒たちが、「ラー・ムアーハザ」と前置きして、配管工など、いわゆる動労者階級の職業を次々に言うのだが、ハーニーも真似をして「ラー・ムアーハザ、銀行員でした」と言ったので、「おまえ、ふざけてるのかよ」と、「ラー・ムアーハザ」のあだ名を付けられてしまう。
上映後のトークで、本作の字幕を担当したお一人、勝畑冬実さんから、「ラー・ムアーハザをどう訳そうか悩んだのですが、字幕には字数制限があるので、ちょっと違うと思いながら、“残念ながら”と訳しました」と説明があった。イスラーム映画祭主宰の藤本さんからは、「恥ずかしながら」という言葉が近いと思うとのコメント。
勝畑さんによれば、エジプトの公立学校は、1クラスの人数が多く、教育的問題を抱えているという。先生は給料が安いので、放課後、教室で塾を開いたり、家庭教師をしていて、それを受けられない貧しい家庭の子は成績が良くない。先生が生徒の親の職業を聞いたのは、うがった見方をすれば、親が塾代を払えるかどうかを判断したかったからともいえるとのこと。
劇中、ハーニーが朝礼で皆の前で歌を歌う場面がある。神さまを称えた歌で、クルアーンに示されるアッラーの99の美称を連ねたものである。アッラーはアラビア語で神さまのこと。キリスト教もユダヤ教もアラビア語では神はアッラー。コプト教徒のハーニーにとっても、神を称えた歌なので、ぎりぎり歌える歌詞。
アムル・サラーマ監督は、少年時代を過ごしたサウジアラビアからエジプトに帰国し、公立学校に転校したときの経験を本作の脚本に盛り込んでいるという。
中学生が主人公なので、主題歌はじめ挿入歌も、アラビア語の文法にちなむ歌詞が多い。
主題歌「ひとりぼっちの文字」には、「一つの文字がほかの文字と組み合わせて変化するように、僕も皆と繋がっていきたい」という歌詞が含まれている。繋がりたいという気持ちを持つことが大事というメッセージのこもった歌詞なのだ。
一方で、断食月に、教室でただ一人、サンドイッチにかぶりつくハーニーの勇気も称えたい。